逢魔が時の帰り道


 その後、何とか追い払った馬鹿五人組の背中を見送り、俺と明美さんは帰り道をゆっくりと歩いていた。


「…………という事があったんだ。

 ……それであいつらにあんなに懐かれるとわ思わなかったよ」

 俺は、先日あいつらとの間にあった事のあらましを、明美さんに話していた。


 軽蔑されるかも知れないとは考えたが、流石に黙っておけないだろうと思ったのだ。

 だが明美さんはクスクスと笑っている。


「……軽蔑する?」

 俺は恐る恐る尋ねる。

「ううん。弱みを握って脅すだけなら駄目かも知れないけど、ちゃんと話しをしてそれであの人達があんなにも納得してるなら問題ないんじゃない? ……でも写真は消してあげたら?」


 そう言う明美さんに、俺は少しほっとして

「そうだね、もう必要無さそうだし」

 と答える。


「でも、賢くなるな馬鹿になれか……話しを聴くと理解出来るけど実践するのは難しそうだね」

「そうだね、現実には勉強して学校を卒業しなきゃ仕事にも就けないし。世の中の技術も発展しない。けど本質はそこじゃない、心根の問題なんだ」


「心根?」

 明美さんは不思議そうに呟く。

「うん、頭脳と心で考えを分けると言ってもいい。

 頭脳は賢くしても、心はひたすら正直に純朴に、むしろそれ自体は働かせない」


「うん? どういうこと?」

「人間も生物である以上、生死の楔からは逃げる事は出来ない。頭脳を種の保存を至上命題としたプログラムだとすると、心はそれを写し出して確認するモニターの様なものだと思えばいいんじゃないかな」


「……単にプログラムに従うのではいけないと?」

「いけないとは言わない、ただそれじゃ動物と変わりない…………人間だろ、俺達は」


 俺がそう言うと明美さんは少し考え込み言う。

「具体的に心って何?」

「世の中がいくら移り変わろうとも決して変わらないもの、かな……理性と言い換えてもいい」


「もし、感情が理性を上回ったら?」

「だからこそ、馬鹿になるんだ。

 心に余計な脂肪を付けて、曇らしたら鏡にならないからね」

「ふーん……」


 明美さんはまだピンときていないようだ。

「……まあ、そんな大層なものでもないんだけどね。俺だって毎日のように苛々しているしさ、馬鹿な事ばっかしてる」

 俺は苦笑いを浮かべながら頭を掻く。


 そんなことを話しているといつのまにか道の分かれ目にたどり着いた。

「じゃあ、俺こっちだから」

「うん、……また明日」

 そう言って俺と明美さんは別れる。

 俺は自宅に向けて自転車を漕ぎ出した。


 ****


「あーやっぱり明美さんいい人だな。あの五人組のせいでどうなることかと思ったけど。

 ……でも帰り際変な話しちゃったな、めんどくさい奴だと思われないといいけど……」


 そんな事を独りごちながら自転車を漕いていると、ふと家の冷蔵庫がそろそろ空になる事に気づいた。


「……商店街で買い物してくか」

 俺は独りそう呟くと、今来た道を戻るのだった。


 ****


 暫くして商店街の入り口にたどり着いた。

 だが、何か様子がおかしい。入り口に警官が二人立っているのだ。

 その顔色は青ざめているように見える。


「すいません、どうかしたんですか?」

 俺は気になって近くに居た八百屋のおっさんに声をかける。


「ああ、あんた知らないのか?……この近くで殺人事件があったんだよ」

 八百屋のおっさんは眉間にシワを寄せて言う。


「えっ!? 犯人は捕まったんですか!」

「いや、まだ見つかってないらしい。物騒な世の中になったもんだぜ」

「そうですか……怖いですね」


 俺の頭の中にあったのは、明美さんの事だった。鉢合わせしたりしていないだろうか。

 ……あとついでに雪も。


 ……何か嫌な胸騒ぎがする。


「どうもありがとうございます」

 そう言い残し、俺はその場を離れた。


 ****


 取り敢えず俺は、立花骨董店に向かう事にした。

 雪が居るかどうかだけでも確めておこうと思ったのだ。


 幸い、今日は店が開いていて中に明かりがついている。……誰か居るみたいだ。


「……こんばんは」

 俺は店の扉を開けると挨拶をする。

 すると奥からおじさんさんが出てきた。


「おお、孝之君じゃないか! ……こんな時間に珍しいね、学校はもう終わったのかい」

「うん。……それより近くで殺人事件があって、犯人もまだ捕まってないって聞いたんだけど、雪はもう帰ってる?」


 するとおじさんは驚いた様子で目を見開く。


「本当か!? ……いや、まだ帰ってない。

 ……取り敢えず気をつけて帰って来る様に携帯に連絡を入れておこう」


 そう言うと、おじさんはスマホを取り電話をかけ始めた。

 それから暫くして、電話を切ると言った。


「……繋がらない。だが心配しなくても大丈夫だよ。すぐに帰ってくるさ」

「……そうだな」


 そこにピロンと受信音が鳴りおじさんのスマホにメッセージが入った。

「雪だろう。……なっ!!」


 おじさんは酷く驚きスマホを床に落としてしまう。

 俺はそれを拾い文面を確認する。

 そこには、


『たすけて本屋で』


 とだけ表示されていた。


 俺は何も言わず店を飛び出した。


 ****


 立花骨董店から商店街の書店までは全力で駆ければ二・三分といったところだ。

 自転車は置いて来た、人の多い夕方の商店街ではむしろ邪魔だからだ。


 そんな所を全力疾走していれば、奇異な目でも見られる。怒声も浴びせられる。

 だが、今ばかりは構っていられない。


 息も絶え絶えになりながら俺は何とか書店までたどり着くと、遠巻きに人だかりができた店の前で錯乱した若い男が何事か喚きながら包丁を振り回していた、


 …………片腕に雪を抱えて。


 更に店の奥には、何故か真っ青な顔をした明美さんが居た。

 俺は咄嵯に叫ぶ。

「お前、何やってるんだー!!!!」


 俺の声に男がこちらを振り返る。

 男は焦点の合わない目つきをしてこっちを見ると言った。

「うるせぇ!! 死ねっ、みんな死んでしまえばいいんだっ」


 俺は一瞬呆気に取られてしまった。しかし、直ぐに我に返ると、男の懐に飛び包丁を持つ手首に手刀を喰らわせた。


 そして、そのまま男の横腹に強くボディブローを放つ。

 手応えからして肋が何本か逝ったかもしれない。


「うぐぁ……、くそっ」

 踞り痛みに悶える男をよそ目に雪の方へ振り返る。


「大丈夫か!?」

 雪は怯えながらもコクりと首肯する。

 俺はホッとして力が抜けそうになる。


 その時、背後で叫び声が上がった。

「き、貴様っ、何をしているかー!」

 見れば先程の男が二人の警官に取り押さえられている。

 どうやら今の騒ぎを聞きつけてやって来たようだ。


 だが、おかしい。

 押さえ付けられた男の体がムクムクと膨張していたのだ。


「う、うわぁ!」

 終いには自らを押さえ付けていた警官を一人振りほどいて撥ね飛ばしてしまう。明らかに異常な光景だった。


 吹き飛んだ警官は店舗の壁に打ち付けられそのまま動かなくなる。

 それを見て野次馬の群衆も我先に逃げ出す。残されたのは俺と雪に明美さん、警官二人だけだ。


「何だ、こいつ……」

 己の眼が信じられず、俺は恐る恐る無事な方の警官に尋ねる。

「お巡りさん……そいつは人間ですか?」

「……いや、違う! あれは、……化け物だ!」


 俺の問いに答えた警官は腰から拳銃を引き抜き、

「貴様! 動くな、動くと撃つぞ!!」

 と叫ぶ。


 明美さんと雪は俺の背中に隠れ震えている。

「コロス、コロォーースゥ!!!」

 その言葉と同時に、辛うじて人の形をしていたモノが、一気に膨れ上がり見る影もない程に醜悪な姿へと変貌した。

 その姿はまるで…………


「……鬼?」

 雪がポツリと呟く。


 そう、鬼だ。

 身体中が真っ赤に充血して開かれた口には牙の様な物まで見える。

 極めつけは頭に一本の黒い角が生えている。


 その鬼は近くに有った置き看板を片手で軽々と持ち上げる。

 重さ十キロ以上はあるかという物をだ。


「き、貴様っ!! それ以上動くと本当に撃つぞ!!」

 だが鬼は動きを止めない。


 それどころか、手に持った看板を振り上げると、思い切り警官に向かって投げつけた! ドゴオオンという凄まじい音と共に、店舗の壁が破壊される。


「ひぃっ!!」

 恐怖に駆られた警官は銃を構え直すと引き金を引いた。

 パンッと乾いた音が響く。

 だが、銃弾は確かに鬼の体に撃ち込まれた。


 ……しかし。


「……効かないのか?」

 傷一つ負わず、鬼はゆっくりと歩み寄ってくる。

 警官は悲鳴を上げながら何度も発砲するが、一向に効果は無い。

 やがて拳銃は弾切れを起こす。


 絶望的な状況の中、鬼の拳が警官の顔面を捉え、鈍い音を響かせて店の壁に叩き付ける。

 そのままズルリと崩れ落ちる。


 俺は覚悟を決め、雪達を守るように前に立つ。

「雪、明美さん下がってて。お前達は絶対に守るから」

 二人は不安そうな顔をしながらコクりと首肯すると、奥へと避難し姿を隠す。


 俺は深く深呼吸をすると、静かに構えを取る。

「さあ来いよ。……化け物が。ぶっ殺してやる。……出て来い『一心』俺にあいつを倒させろ!!」

 やっと分かって来た感覚を思い出して、そう叫ぶ。


 そして自らの左手を見る。

 そこには、黒塗りの鞘に収まる一振の太刀があった。


 静かに太刀を引き抜く、刃紋の美しいその刀身を夕日が茜色に染め上げる。


「グギィイ!! ガァア!!」

 俺の言葉を理解したのか、鬼は雄叫びを上げる。

 そして、突進してくる。


 それを紙一重でかわすと、カウンター気味に胴回し蹴りを叩き込む。

 確かな手応え。だが、やはり奴はビクともしない。


 今度は俺が猛然と襲い掛かる。

 上段からの打ち下ろし、次いで突きを放つ。


 それら全てが、奴の分厚い筋肉に阻まれて致命打に成り得ない。

 このままではジリ貧だ。その時、ふと思い出す。


(そうだ。確かあの時は……。)

 俺は大きく息を吸うと、ありったけの声で叫んだ。


「頼む!! この人達を守りたいんだ!!! 力を貸してくれっ、『一心』っ!!」

 瞬間、強烈な眩い光が刀から放たれた。


 あまりの光量に思わず目を閉じてしまう。

 そして、再び目を開く、そして鬼を見る。


 鬼の体からは先程までの力強いエネルギーが失われている様に見える。

(今なら倒せる!!)

 そう不思議な直感がそう告げていた。


 俺は再び大きく息を吸い込み、渾身の一撃を放つ。

 俺の放った一撃は、見事に鬼の体を切り裂いた。


 鬼の体から黒い霧が吹き出して行く。それは直ぐに晴れて行き、後には一人の気の弱そうな若い男が倒れているだけだった。


 遠くからサイレン音が近づいて来る。

 さて、どうしようこの状況。


 ****


 その後男は逮捕され、雪と明美さんは極度のショックを受けた為として病院に搬送された。

 そして、俺は事情聴取の為警察署に連れていかれた。


 聴取は深夜にまで及んだが、

「男が警官相手に暴れ、警官が倒されたので覚悟を決め立ち向かおうとしたところ、男が勝手に倒れた。

 姿が変化したかは混乱していて覚えていない」

 で、貫き通したところ一応は納得したようだ。


 ちなみに、警察の方で犯人を取り調べたところ、

「何かに取り憑かれた様に感じ、急に強い眠気が来て意識を失った。

 起きたら、何故かあの場に倒れていた」

 と答えたらしい。


 ……考えるまでも無く、原因は瘴気を大量に取り込んだ事だろう。

 だが、その事は警察には分からない。


 あの若い男は、凶悪犯として一生の殆どを塀の中で過ごす事になるのかもしれない。

 そんな事をパトカーで送って貰いながら考えた。


 そして家に帰り着くと、玄関には心配そうな顔をした親父と、

「帰って来るのが遅いのじゃ!!」

 と頬を膨らませた雪姫が待っていた。

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