GW3日目 前編


 朝目が覚めると雨が降っていた。


 雪姫はまだいない。 昨夜、捧げ物(俺と親父が食べた回鍋肉の残りと牛乳)を旨い旨いと食べた後、社殿で休むと出て行ったきり見ていないが、そろそろ起きてくるだろう。

 なんせ親父が朝拝の祝詞をあげ始めたらうるさくて寝てられないだろうから。


 あくびをしながら一階に降りる。

 親父はもう食事を終えて朝のお勤めに向かったようだ。

 台所の食卓の上には今朝も朝食が用意してある。

 朝食だけは、母親が死んでから一度たりとも欠かさず親父が用意してくれている。

 きっと自分の中のけじめなんだろう。 頼りなく感じることも多い父親だがそういう面は尊敬する。


 今朝はご飯と味噌汁、卵焼きにほうれん草の炒め物。

 母さんの料理の味はよく覚えてないから、これが俺のお袋の味になるのかなぁなんて考えながら食事を済ますと親父の分も含めて皿を洗う。

 洗面台で洗顔と歯磨きを済ませる。


 自室に戻ろうとすると居間からテレビの音が聞こえてきたので不思議に思い、そちらに向かうと 雪姫がちゃぶ台に頬杖をつきながらテレビを眺めていた。


「おはよう雪姫」

「おはようなのじゃ! なあ、何故このてれびとやらから流れてくる朝のじょーほーばんぐみとやらはこんなにも沢山の人が出ているのじゃ? 一人いれば十分ではないかや?」

「それは言ってはいけない。例え神といえど、気安くそこを突っつくと火傷じゃすまないんだ」

「なんと!! 人の世もおっかないのー」


「それより腹が減ってないか? おにぎりぐらいなら作れるけど」

「今は大丈夫じゃ! 奉納されておった果物をいくつか食したゆえ」

「そ、そっか(……親父気づいてないのか? 後で泥棒騒ぎにならないといいけど)」


「それよりお主は今日、どうするんじゃ?」

「雨も降ってるしなぁ。

 昨日一昨日と忙しく歩き回ったし今日ぐらいはゆっくりしててもいいかもな。

 雪姫は何かしたいことあるのか?」

「妾も特に無いのじゃ、街で人の様子を眺めるのも面白いがこの雨では人の出も少ないだろうしの」

「じゃあ今日は家でゆっくりしてるか」


 そんなことを話し合っていると廊下に置いてある固定電話から呼び出し音が鳴り出した。

「おっと電話だ……ちょっと待っててくれ」

「うむ!」

 小走り電話に向かう。


「ほいほいっと……はい、もしもし?」

『おう、お主か。儂じゃ』

「あれ、師範どうしたんですか?

 葬式の相談なら神社うちじゃなくてお寺にして下さいよ」

『バカモン!! そんなことではない!

 お主、今日十時頃道場に来い、分かったな。』

「ちょっと待って下さいよ、こっちにも予定が…」

『ふん、友人が居らんと嘆いていたお主にか?』

「ぐっ、このクソ爺……」

『昼飯ぐらいなら食わしてやるから、ちゃんと来る様にな。じゃあの』

「ちょっと…あっ、切りやがった」


「ふむ、お主の剣術の師か」

「うぉ! ……雪姫、聴いてたの?」

 いつの間にか雪姫が横に立ちこちらを見上げていた。

 流石神様、気配の消し方は師範並だ。


「うむ! それに知っておるぞ、その道具は離れた人間同士が会話出来るでんわというものじゃな!」

「いつの間に……」

「おれおれさぎとかんぷきんさぎ? には、気を付けるのじゃ!!」

「…………」

(テレビの影響か? アニメとか見せたら一気に嵌まりそうだな)


「で、師に会いに行くのか?」

「まあ、昼飯もご馳走してくれるらしいから。師範の料理は結構旨いよ、俺も昔いろいろ作り方を習ったんだ」

「よし! 妾も行くぞ!!」

「……多分雪姫は食べられないぞ、他の人に見えないんだから」

「……分かっとるわい」

 一気にしょんぼりしてしまう雪姫。


 こういうところは子供っぽいのだ。

 神様だと思っていてもつい甘やかしてしまう。


「……代わりに夕飯は何か旨い物作るから」

「左様か! ならばかれーを所望するのじゃ!」

「なんだ気に入ったのかカレー」

「うむ! あれは旨い、とても良いものじゃ 」

「じゃあ、カツカレーでも作るか」

「かつかれーじゃと? なんじゃかつとは!」

「ふふふ、夕飯まで内緒だ」

「何じゃろな、気になるの~気になるの~」


 ****


 その後は雪姫と居間でテレビを見たりしているうちに約束の時間が近づいて来たので、社務所で事務仕事をしている親父に一声かけ師範の家に向かう事にした。

 社務所は家のすぐ目の前に建っていて短い渡り廊下で繋がっている。


 廊下を渡り社務所へ入ると、親父が事務スペースでなにやら巻物とにらめっこしていた。下に敷物をして、手にはビニール手袋まではめ本格的だ。


「親父……親父!」

 声をかけたが巻物に親父は集中していて気づかない。仕方がないので肩を少し叩く

「うん? どうした?」

「師範に呼ばれたからちょっと出かけてくる。

 昼飯ご馳走になってくるから」

「ああ、分かった。気を付けてな

 伊東先生によろしく」


「……それ一昨日の巻物か?」

「ああ」

「なんか分かったか?」

「うーん。元々口伝を集めただけっぽい物だしな、内容がバラバラで一貫性が無いんだ。

 例えば女性の神様だというのは共通しているんだがその姿も妙齢から童子まで様々だ。

 まあいろいろ混じり混んで、これがルーツだという様なものは分からないかもな」

「そっか、まあ頑張って」

「ああ」

 妙齢の雪姫なんて想像出来ないな、なんて思いながらその場を後にする。


「さて、そろそろ出かけるから」

 と雪姫に声を掛ける。

「妾も行くのじゃ」

「えっ、結局雪姫も来るの?」

「うむ、お主の師にも興味があるからのー」

「ふぅん」

 そうして、二人連れ立ち玄関に向かう。

 靴を履き傘立てから傘を一本とったところでふと思う。


「雪姫の傘どうしよう……」

 雪姫に傘を渡したら傘だけフヨフヨと浮いている怪奇現象の出来上がりだ。

 かと言って雨の中何も差さずに歩かせるのは気が引ける。


「妾は傘などいらんのじゃ。雨ぐらい弾ける」

「でも雨の中俺だけ傘を差すっていうのもなぁ」

「ならお主の傘に入れてたもれ? それで万事解決じゃ!」

「……まあいいか」

 神様と相合傘ね、変な気分だなあ……。


 師範の道場へと向かい安物のビニール傘を差し雨の中歩いて行く。

 隣には雪姫、ちなみに雪姫の足元はいつも履いてる白い足袋に何処からともなく雪駄のようなものを出して履いている。


 駅前商店街の入り口まで来てふと昨日の雪とのやり取りを思い出す。

 またバッタリ出会って昨日みたいなことになったら面倒臭い。遠回りをしていこう。


「悪い、やっぱり違う道を行こう」

「なぜじゃ?」

「この先には妖怪の亜種みたいのが住み着いていて、いきなりくっついてきたり腕を掴んだりしてくるんだ」

「なんと面妖な! ならば神たる妾が祓ってしんぜよう!!」

「へ? いや、祓うほどの悪者でもないから、 悪いけどここは遠回りしていこう。な?」

「うぬ? お主がそう言うなら構わんのじゃが……」


 あんなのでも俺と話してくれる貴重な友人…………でも無いか。


 ****


 線路を渡りしばらく歩くと師範の家に着いた。


「ほう、ここがお主の師の家か、なかなか大きなな屋敷ではないか、……ボロっちいが」

「さすがに雨漏りは去年直したらしいけどな」

 そんな話をしながら潜戸を潜り道場に向かう。

 引き戸を開け中に入ると、誰かが竹刀で打ち合っている音がする。


「誰か来ているのか?」

 靴を脱ぎ廊下を進む、雪姫も黙ってついてくる。

 道場に入ると師範と壮年の男性が向かい合い、竹刀を交えている最中だった。

 二人とも入ってきたこちらに構うこともなく立ち合いを続けている。両者一歩も退くことはない壮絶な戦いだ。

 それからも幾合か打ち合っていたが、 壮年の男性がバランスを崩したところに打ち込んだ師匠の一撃が決まり男性が竹刀を手放した事で勝負がついた。


 互いに一礼して、男性が師範に話しかける。

「いや相変わらずお強い。未だ衰えず、ですな」

「お主も以前よりキレが増して鋭い太刀筋になっておるの、修練も欠かしてないようで何よりだ。

 ……弟子も来たようだし一度茶でも飲むかの」

 師範がちらりとこちらを向いてそう言った。


 別室に移動して三人プラス一柱で向かい合う。

 ちなみにこの建物はかなり大きく道場の他に、部屋が二部屋と簡易給湯室が付いている。

 昔はここで泊まり込みで修行をしたこともある。


(俺が)淹れたお茶を飲み師範が男性の紹介してくれる。

「こちらは儂の教え… 知人の山岸隆君じゃ。

 今は県警の刑事をやっておって警察の剣道大会でも上位に入る腕の持ち主じゃ」

 何故か師範は俺に昔、高校教師だったことを隠したいらしい。

 それは昨日親父から聞いて知ってしまったのだが。


「初めまして宍戸孝之です」

「初めまして。

 伊東先生から聞いてるよ。なかなか見所のある青年だってね」

「これ!! 余計なことは言わんでいい。

 孝之、 お主これから山岸君と手合わせしてみろ」

「えっ俺が、何で?」

「お主、 今まで儂としか立ち会ったことがなかろう。それではいかんと思っての。

 たまたま山岸君が今日来ると電話があったのでお主も呼んだんじゃ。

 山岸君と立ち合えば学ぶことも多かろうて」

「はぁ」


「面白そうじゃな。やってみると良いのじゃ」

 雪姫がそう声を上げる。

「分かりました。じゃあ道着に着替えてきます」

 そう言って俺は着替えの為に立ち上がった。


 ****


 常備してある剣道着に着替え、俺は道場で山岸さんと向かい合っている。

 互いに一礼して竹刀を構える。

 山岸さんの顔には先ほどまでのにこやかな表情は無い。真剣な表情を俺の一挙一投足に向けている。


 床の間の前にふんぞり返った雪姫が、

「しっかりやるのじゃぞ~」

 と声をかけてくる。


 審判に立った師範が

「始め!」

 と声をかける。


 お互い中段に構える。

 山岸さんは構えを取ったまま微動だにしない。

 もう一度良く山岸さんのことを観察してみる。

 身長はそれほど大柄ではない、しかししっかりと鍛えられた筋肉が道着越しでもよくわかる。

 その重心もどっしりと安定していてまるで地面に向かって根が生えているようだ。

 かといって動きが鈍いわけではない、 目線の動きだけでこちらの動きを牽制してくる。


 やりづらい、やっぱりこの人は強い。


「どうした? 何処からでもかかってこい」

 それに反応したわけではないが、こちらも覚悟を決めて打ちかかる。

 はじめはシンプルに、中段から渾身の力を込め正面に鋭く切り込む。

 山岸さんはそれを真正面から受け止め、逆にこちらに押し返してきた。

「むん!」

「ぐっ」


 ギリギリの鍔迫り合いとなったがこのままでは押し潰されると思った俺は反動を利用して距離を取った。

「ふむ、ではお次はこちらから行こう」

 次の瞬間、壁が迫ってきた……様に見えた。

 頭の中にアラートが響き渡る中、直感に従って必死に防御を固める。


 バシンッ。

 山岸さんが上段から打ち込んだ竹刀が防御固めた俺に叩き込まれる。それだけで手がしびれた。

 だがそれだけでは終わらない。

 バシバシと左右上段から息もつかせぬ連撃が加えられたのだ。 こちらは防御だけで手一杯になってしまった。


「くっ」

「何をやっておるのじゃ! 打ち返さぬか!!」

 雪姫の声援がとぶ。

 一瞬連撃が止まる。

 反撃のチャンスは今しかないと、一撃に全力を込めて再び打ち込む。


 山岸さんと目が合う。


 しまった。

 そう思った時には遅かった。山岸さんが半身になるようにして俺の一撃を避けると、その伸びた腕にそえるようにして竹刀を手首に打ち込んだのだ。


「一本! それまで!!」

 師範の声で我に返る。


 完敗だった。師範にはまだ敵わないが、そこそこ出来るつもりになっていた俺は、自信が打ち砕かれた気分になった。

「山岸さん、もう一本お願いします!」

 俺は思わず山岸さんに詰め寄ってしまう。

「俺は構わないが……」

 山岸さんはそういうとチラリと師範の方に視線を向ける。

 俺も師範を見る。


「せっかくの機会だ、気が済むまで相手をしてもらえ」

「山岸さんお願いします!」

 俺はそう山岸さんに頼み込む。

「あー、分かったよ」

 山岸さんはやれやれとばかりに肩をすくめるのだった。


 ****


 それから四回、全部で五回戦。たっぷり一時間は立ち合いが続いた。

 結局勝てたのは最後の一回だけだった。それも体術込みでなんとかだ。

 師範が昼飯にしようと言うので、立ち会いはそれで終わった。


 今は師範が料理を作ってる間に、庭の井戸でかいた汗を山岸さんと流しているところだった。


 雪姫は庭でちょうちょを追いかけている。


 俺は水を頭からかぶりながら山岸さんに話しかけた。

「何回も付き合っていただいてありがとうございました。自分もまだまだ未熟だと感じました」

「ははは。いやなに、それだけやれれば大したものさ。

 こっちもちょっと気分転換したかったから助かったよ」

「気分転換ですか?」

「ああ、このところおかしな事件が続いていてね」

 昨日の一件が脳裏をかすめる。


「それって……もしかして、ニュースで最近やってる事件ですか」

 すると今まで笑顔を浮かべていた山岸さんは一転厳しげな表情を浮かべる。


「君も知っていたか……。ああ、それだよ。善良な一般市民が何の動機もないのにいきなり凶悪事件起こすんだ。それでいてその時のことは覚えてないときている。

 事件の関連性すらわからず、もう上層部はパニック状態だよ……。

 おっとこれはあんまり言いふらさないでくれよ」

「……原因はわからないんですか」

「分からない。逮捕者の心理検査や病理検査も行っているんだがまったく原因がつかめない。

 中には未知のウイルスではないかと言ってるものまでいる」

「…………」

「逮捕者が泣きながら何故そんなことしたのかわからないと言うんだ。

 全く嘘をつく様子もなくな」


「……実は昨日街で交通事故を見ました。

 男の人がビルから奇声をあげて出てきたかと思うと大通りに突っ込んで行って車にはねられたんです」

「そうか……あれを見ていたのか。

 部所違いだから詳しくは知らないのだがな、その人も普通に仕事をして、タバコを吸いに行って戻ってきた直後からおかしくなったらしい。

 関連は分からないが俺の居る部所でも噂になってたよ」

「何か対策はしているんですか?」

「それが出来ないから困っているんだよ。

 精々市街の警戒を強化してるぐらいかな」

「そうですか……」


 俺はその原因を知っている。ただ貯まった瘴気が原因だと言ったとところで、信じてもらえないどころか頭の具合を疑われるだろう。


 そこに縁側から師範が声をかけてきた。

「おーい、そろそろ昼飯が出来るぞ。

 早く上がって来い」

「飯ができるってよ。そろそろ行こうか」

 山岸さんはそう言うと身体を拭きながら中に戻って行く。


 その背中をいつの間にやら隣に来ていた雪姫が無言でじっと見つめていた。

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