3話 偽り


 森の奥――。

 草花に囲まれた二つの切り株がある場所。

 姫がそこに行くと、エニルダは切り株の傍らに立っていました。

 鳥たちは切り株に留まり、可愛らしい声で謳っています。


 エニルダの髪は風に揺れ、温かい笑みを浮かべています。

 その姿は、姫の不安を忘れさせるに充分でした。

 

 ふたりは花を摘み、花冠を編み、互いの頭上を飾りました。

 野イチゴを食べ、冷たい湧き水を飲みました。

 リスの親子の、小さな巣穴を探しました。

 小さな泉で、草舟を浮かべて遊びました。


 エニルダは、姫に『露玉つゆだま』を食べるよう勧めませんでした。

 

 ――妖精の食べ物の話は物語の中のこと。

 ――あれは、お腹が空いていたから差し出してくれただけ。

 ――あたしの思い過ごし。


 

 姫は考えを改め、『露玉つゆだま』を口に含みました。

 そして天気の良い日は、ふたりは姉妹のように楽しい時間を過ごしました。

 誰にも咎められず、花や鳥や蝶と戯れました。




 時は、ゆったりと流れて行きます。

 森に落葉が積もり、やがて雪に覆われました。

 姫は館に籠もり、日の大半を暖炉の前で過ごします。

 空が晴れ渡った日には、森の入り口から奥を覗き込みます。

 けれど、エニルダは現れませんでした。

 

 

 そうして春が訪れ、姫は足早に森に向かいます。

 エニルダは、前と変わらずに切り株の傍らに居ました。

 

 けれど、姫は大人になっていました。

 具合の悪い日も増えました。

 そうした日には、姫の部屋の窓の外に一輪の花と薬草が置かれていました。

 薬草を煎じた湯は、痛みをやわらげてくれました。

 姫は薬湯を飲み、森の花を眺めて心を慰めたのです。



 

 エニルダと出会い、二回目の冬を越えた春浅い日。

 森を訪れた姫は、エニルダが痩せたことに気付きました。

 前のように動かず、切り株に座ることが多くなりました。


「どうしたの? 体が痛むの?」

 姫は、花束を差し出して訊ねます。

「お薬が必要なら言って。泉のほとりの薬草で良いのね?」


 姫は、顔を曇らせます。

 昔は、エニルダが『妖精』だと信じていました。


 今は、確証が持てません。

 人とも『妖精』とも違うように思えるのです。

 すると――



「……私は、長く生きられない」

 エニルダは思いも寄らぬことを呟き、姫は驚きます。

 エニルダの手を取ると、その手は氷のようでした。


「どうして!? エニルダは……妖精でしょう?」

 姫は、冷たい手を温めようと握り締めます。

 けれど、姫の手も冷たくなるばかり。

 エニルダの手を温めることは出来ません。



「この世界の太陽も月も、私たちの体を傷付けるの」

 エニルダは、悲し気に微笑みます。

「風も土も、火も水も、私たちの命を削ってしまう。私たちは、そういうものが無い世界で生まれたから」


「そんな……」

 姫は、エニルダの傍らの花束を見つめます。

 花や草も、エニルダを傷付けているのではないか――。

 それを慮ってのこと。

 けれど、エニルダは首を振りました。


「いいえ。心配しないで。水や草花に触れたからって、すぐに影響が出る訳じゃないから。立っていても、草の上に寝ていても同じことよ。この世界から逃げない限り、衰弱が進むの」


「……逃げられないの!?」

「仲間たちと、逃げる方法を試してるけれど……」


「……仲間?」

 姫の声は震えます。

 エニルダには仲間が居て、必死に生きようとしていることを察したのです。

 エニルダがそんな辛い思いをしていたとは、全く気付きませんでした。


 姫は羊毛織の茶色のクロークを脱ぎ、エニルダの肩に掛けます。

 出会った時、姫はエニルダを見上げていました。

 姫の頭のてっぺんは、エニルダの肩の高さと同じでした。

 でも今は、エニルダの耳の位置と同じ高さになりました。

 姉のように慕っていたエニルダが、とても小さく感じます。


「教えて! どうすれば、エニルダを助けられるの!?」

 姫は、エニルダを抱きしめます。

 けれど……エニルダの返答は意外なものでした。


「ごめんなさい、マリレーネ。私は、あなたを騙していた……」


 

 そう告げたエニルダの姿は――スーッと消えてしまいました。

 茶色のクロークが、短い草の上に落ちます。

 姫は呆然と――丸まったクロークを眺めます。

 

 何が起きたのか分かりません。

 エニルダの言葉の意味も理解できません。


 けれど、エニルダは二度とこの森に現れない。

 マリレーネは、そう悟ったのです。

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