10話 大公妃の妹

(……すまぬ。そなたらの心に踏み入ったこと、申し訳ない……)


 ささやきが耳を揺らす。

 ヒズルは目尻を拭い、黒衣に包まれた人型を見た。

 だが――ささやきは、その方向から届いているのでは無い。

 まるで、体を包むようにr四方より響く。


(その黒衣の身が、枯れ木に等しきものことは、そなたらにも判ろう。それは、我が魂を繋ぎ止める『くさび』のひとつ……)


「くさび……?」

 ヒズルは応え――ラージャが忌々し気に、腹の底から声を絞る。


「この部屋全部が、あの干物の『魂の器』ってとこだな。四大精霊の加護とイドルの結び目サウィン、そして干物本体……それらが、干物となった巫女様の魂をこの世に繋ぎ止めてるってとこだ」


(その通りだ……炎の申し子よ)

 揺らぐ『気』が、言葉を紡ぐ。


(この玄室に入った者は、否応なしに自らの心を視せられる。慣れれば平常を保てようが、初めての者は心をえぐられるであろう……。今の我には、制することは出来ぬ)



「いえ……大丈夫です」

 ヒズルは『魔導書ベスティアリ』を抱え、頭を下げる。

 幻夢と言えど、父と再会できた。

 現実には見られなかった『人』の姿の父。

 

 家の石の寝床で寄り添って眠った日々――

 その思い出は、今も共にある。

 

 ラージャも、大切な人の温もりに触れたのだろうか――

 カイルもベルディタも、掛け替えない何かを思い出し――心変わりしたのだろう。

 



「それで……あの……」

 ヒズルは姿勢を正し、巫女の魂に呼び掛ける。

「僕は、アルガの街のヒズルです。僕たちに会いたいと仰っていると聞いて、ここに来ました」


(その通り……そなたらに真実を伝えるべく、ここに招いた。我は、グ・シン国の巫術師ナギのミカギ。グ・シン国の大公の妻ヨギの妹に当たる者……)


「大公様って……国の王様ですか?」


(大陸の東には、多くの国が在った。それらの国を纏めた宗主国が、グ・シン国だ。大公と呼ばれた者が、グ・シン国の王にして宗主である。東の国々の王族は、幾人もの妻を持つ習慣ならわしが在った。我が姉は、大公の第一の妃であった。子は成さなかったが、大公の妻たちを纏め、公子や公女たちの養育にも力を注いだ)



「オレたち西の国の魔導師と戦い、追い詰められ、最後に死神アンクウどもを呼んだ……あんたたちグ・シンの巫術師ナギが」

 ラージャが声を挟む。

 彼も、過去の西と東の戦いは知っている。

 彼に取っては、忌々しい敵かも知れない。

 培った憎しみを抑えることは難しい。

 それでも、必死に自分を抑え込んでいるようだった。



(そう……我は、『死の霊獣アン・クウ』を呼び出した七人の巫術師ナギの一人……)


 

 巫女の言葉は、ヒズルは背筋を凍らせる。

 バシュラールたちをこの世に呼び、破壊をもたらした張本人に身を包まれている。

 

 思わず、自分の手を見た。

 アルガの街の住人たちも、元はこのような姿をしていた筈だ。

 それが『死神アンクウ』の攻撃で『テオドラ』と街は傷付き、住人たちは地を這う生き物に姿を変えていった。

 

 先祖の誰かが、家の壁に女神像を掘った。

 異形へと変わりゆく我が子や孫の姿に驚き、恐れ、救いを求めたのだろう。

 その願いと祈りは、三百年を経て叶った。

 街の最後の子である自分に、希望は託された……。


 



(アルガのヒズルよ……『魔導書ベティアリ』を開き、床に置いておくれ)


 巫女が言った。

 言われるままに『魔導書ベティアリ』を床に置き――その手前に座す。


(我が語る真実を『魔導書ベティアリ』に記すが良い。それは、決して褪せぬ書物であることは知っている……)



 巫女の語りは、ヒズルを通し――『魔導書ベティアリ』に文字を刻む。

 それは、見たことも無い文字だった。

 けれど、読める。

 ラージャも、驚愕して文字を見る。

 

(我が国の文字だ……この文字も後世に遺るのだな……)


 巫女の感慨が、焔を揺らす。

 哀切なる語りが始まる。




 ――この大陸は、西と東に分かれていた。


 異なる神への信仰と文化が、そうさせた。

 西の国々は四座の女神を信仰し、東の国々は多数の御魂を陽神カミ陰神メガミと呼んだ。


 西の国は石で家を建て、東の国は木で家を建てた。

 西の国の剣士はつるぎたてを持ち、東の国の剣士は太刀タチを持った。

 西の国は自然を操る魔術師が王に仕え、東の国は死霊を操る呪術師が王に仕えた。


 二つの文化と魔法。

 異なる神々。

 異なる祈り。


 それらは、いつしか人々の心をも分けた。

 きっかけは分からない。

 しかし、些細な争いは広がった。

 家族を殺され、友を亡くし、家を焼かれた怒りは収まらず。


 人の血が流れるのを神々が望むか、それをはかれる王は無し。

 憤怒を押し止めるすべは無く、憎しみの洪水が大陸を覆った。


 力を持たぬ民は逃げ回り、飢え、渇きに倒れた。

 その遺骸すら、敵に切り刻まれた。

 敵の民の血だけが、己の正義を信じさせた――。

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