9話 夢のぬくもり

 扉は左右に分かれ、人が通れる幅に開け放たれる。


 押し開けたのは、マリーレインと同じ装束の女性たちだ。

 マリーレインと同年代の少女から、その母親世代と思しき女性までが四人。

 その中の――右後ろの女性は、あのベルディタ・オリーナである。


 気付いたラージャは、「げっ」と足を踏まれたように呻く。

 ヒズルも目を丸くし、ラージャとベルディタを交互に見た。

 手首を掴まれた感触が蘇り、首の後ろが逆立つ。

 居ると知っていても、実際に姿を見ると無意識に身構えてしまう。


 けれど、雰囲気は一変している。

 取り繕ったような笑みは消え、地味で控え目な様相だ。

 宝玉を嵌めた首飾りも外しており、三角形を組み合わせた刻印のペンダントを掛けている。

 

 ヒズルは、年長の女性のペンダントヘッドに炎の女神ブリグレトの刻印が彫られていると気付く。

 四人の女性たちは、四大女神に仕える魔導師なのだ――。

 


 

 女性たちは扉の両隣に立ち、年長の黒髪の女性が口を開いた。

吾子あこたちよ。ミカギ様は、あなたたちとまみえるのを楽しみにしておりました。お入りなさいませ」


「……はい」

 ヒズルは上擦った声で返し、立ち上がる。

 ベルディタとカイルを、別人の如く変えた巫女だ。

 どのような御方なのか――

 鼓動は、自然と高鳴る。



「……行くぞ」

 ラージャは、先立って歩き出す。

 巫女に強い関心を持っているようだ。

 ヒズルも『魔導書ベティアリ』を胸に密着させ、扉の奥へと進む。

 


 二人が扉を潜ると、四人の女性たちはそれを押し閉める。

 重い黒灰色の石扉である。

 にも関わらず、女性たちの細腕は難なく押し動かした。

 魔導の力が働いているのは間違いない。

 

 

 その扉の奥――。

 そこは『異界』であった。


 無数の蝋燭が玄室の壁を囲み、赤い焔が灯っている。

 焔は玄室内を赤く照らし――夕映えの湖の底のようだ。

 だが、ヒズルは直ぐに焔の異常さに気付く。

 芯が燃えているのでは無く、芯の上に焔が浮いている。

 ラージャの術のように、焔はを必要としていない。

 

 肩越しに振り向いたラージャの表情は、少し緩んでいた。

 炎は、彼には恐れるべきものでは無い。

 ヒズルは頷き、焔の間に伸びる狭い通路を辿る。


 

 向かう先には、黒い大きな水盆が四つ見える。

 水が並々と張られており、焔を映して揺れている。


 その中心に、黒衣を纏うものが在った。

 座したような人間の形で、黒衣にすっぽりと包まれている。

 ラージャが『干物』でと揶揄していたが、本当にそのようだ。


 いつだったか、マリーレインが話してくれた。

 ある砂漠の国では、死者の亡骸を墳墓に入れて保存したと。

 生まれ変わる日のために、亡骸が土に帰らぬように処理して保存したのだと。


 

 それが、この黒衣の人型なのだろうか――

 ヒズルはさすがに気後れし、歩を止める。

 すると――頬に触れた『風』が言葉を紡いだ。


(赤き瞳の子よ。炎の申し子よ。そなたらを待っていた……)


 

 その瞬間、ヒズルは墜ちた。

 夢の中に引き込まれたように、意識が体を離れる。


 天井の闇が渦巻き、焔と交じり合う。

 交じり合う黒と赤。

 それは、懐かしい空の色だ。

 故郷の空の色だ――。





「おとうさん……おじいちゃんは、いえにもどらないの?」

 父の大きな手を握り、見上げる。

 小高い丘の下には泉があり、街の人々が集っている。

 しかし、祖父の姿は無い。


 風が低く唸り、古びたマントが翻る。

 父は跪き、優しくヒズルを抱き上げた。

 その瞳は、薄い碧だ。


「おじいちゃんは女神様の所に行くために、家を出たんだよ。街の向こう……砂漠を越えた所に、女神様の神殿がある。そこには、お母さんもいる。おばあちゃんもね」


 父の薄茶色の短い髪が、風に靡いている。

 ヒズルは、自分の黒い髪を見た。

 お母さんと同じ色だと教わった。

 瞳も、お母さんと同じ赤――。


「……でも、まちの人は少なくなったね。ともだちがほしいな」

 ヒズルは、同じ年頃の子供を知らない。

 自分がこの街の最後の子供だと、父は言う。



「ヒズル……家に帰ろう」

 父は、ヒズルを抱えたまま歩き出す。

 崩れかけた家が立ち並び、無言で歩く大人たちと擦れ違う。

 誰もが、他人には無関心だ。

 舞い上がった赤黒い砂を避けようと、固く唇を閉じて道を行き交う。


 けれど――父の広い胸は温かい。

 焦げた臭いの風から守ってくれる。

 父の鼓動を聞くと、安心できる。



(……これは夢……?)

 

 ヒズルは、首を振る。

 父も自分も、人の姿をしている。

 あの街で暮らしていた時は、そうでは無かった。

 けれど――



「おとうさん……」

 ヒズルは呟く。

 夢だと分かる。

 でも、幸せだ。


 記憶の中の温もり。

 優しい声と眼差し。

 嘘でも夢でも良い。


 終わらないで――。

 あと少しだけ――。



「お父さん…!」

 縋りつき、そして夢は閉じられた。

 焔に囲まれ、地に座り、泣いている自分に気付く。


 手前では、ラージャが蹲っていた。

 彼も、すすり泣いていた。

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