8話 聖域

 細い窓から、月明かりが零れる。

 ヒズルとラージャは、貸してくれた『双六パトリ』で遊んでいる。

 粘土盤に二十四のマスを刻み、サイコロを振って石の駒を動かして遊ぶ。


 壁際に置いたランプには、炎が浮かぶ。

 ラージャの術で、油が無くても炎は煌々と揺れ続ける。

 

 しかし、二人とも言葉少ない。

 『死語シガタりの巫女』との謁見は近い。

 緊張で、喉は自然と引き攣る。


 ラージャは、脇に置いた砂時計を逆さまにした。

 あと一回返せば、謁見の時間だ。


 

「入るね」

 ドア代わりに吊るされた織物の向こうから、マリーレインが現れた。

 彼女が持って来た編かごには、畳んだ白い装束が入っている。

 謁見用の衣装らしいが、ラージャは一枚を取り、しげしげと眺めた。


「……オレも会って良いのかな?」

「もちろん。巫女様がお望みだから」


 そう言うマリーレインも、白いロングチュニックに、青いサッシュを締めている。

 自分の頭髪で生成した衣装では無さそうだ。

 髪も、項の下で三つ編みにして纏めている。

 いつもと異なり、高貴で淑やかな雰囲気だ。


 彼女は砂時計を眺め、「時間になったら、また来るね」と言い残して退室した。

 ヒズルたちは粘土盤を片付け、着替える。

 白いゆったり目のズボンに、膝丈の長袖のチュニックに、布編みの靴。

 マリーレインを真似て、腰の所で青いサッシュを結ぶ。

 ヒズルは髪も結び直し、ラージャも櫛で梳き直す。


「肩に髪が落ちてないか?」

「付いてないよ。僕の背中も見て」


 本当の兄弟のように、互いの身なりを整え合った。

 互いの声と手触りは、固まった筋肉をほぐしてくれる。

 二人は微笑み、頷き合う。

 

 

 砂時計の上に残る砂がほんの一握りになった時、再びマリーレインが来た。

 二人は並んで、先導する彼女の後ろを歩く。

 回廊にはランプが連なり、茶色い岩肌に三人の影が浮かぶ。

 

 ここを掘った人たちは、どこに行ったのだろう――。

 ヒズルは遠い過去に思いを馳せ、『魔導書ベスティアリ』を抱く手に力を込めた。

 争いから逃れ、故郷を捨てて生きる道を選んだ人々が居た。

 生きることは、未来へ繋ぐことだ。

 自分は『テオドラ』に希望を託され、生かされている――。

 ヒズルは大きく息を吸い、吐く。


 

 住民たちは寝てしまったのか、暗い回廊に生活音は無い。

 三人の足音と、マリーレインのチュニックの裾の衣擦れが鳴る。

 その音は、さらさらと――耳に心地よい。



 やがて回廊は終わり、下に続く階段が現れた。

 段差は緩やかだが、表面はつるつるだ。

 だが、布靴の底は滑らない。

 細かい網目が、滑りを防いでくれるらしい。

 それでも、ヒズルは壁に手を付き、慎重に足を運ぶ。



 降りと曲がりを繰り返していると、空気は冷たさを増した。

 それは不快では無く、神聖な霊気に身を清められているよう。

 ここは巫女の住まう『聖域』だと実感する。



「……着いたのか?」

 ラージャは、ユーウェンのペンダントヘッドを握る。

 魔導師たる彼は、先んじて感じたものが在るのだろう。

 ヒズルも、チャザから貰ったペンダントを見下ろす。

 だが、魔導とは無縁なせいか何も感じない。


「この先に巫女様がいらっしゃるわ。四大精霊に守られた玄室にね」

 マリーレインは最後の一段を降り――すると、その先の闇が消えた。


 白い炎が円を描くように走り、玄室を浮かび上がらせる。

 その外容に、ヒズルは圧倒された。


 マリーレインの身長より遥かに高い玄室が、すぐ先に在る。

 黒い岩を正方形に切り出した部屋、と言うべきだろうか。

 その横幅も広く、真正面には閉じた石扉が在る。

 扉の真上には、楕円と三角形を組み合わせた刻印が浮かぶ。


 

「これは!」

 ラージャは玄室の包む回廊を走り、曲がり、姿が見えなくなった。


 正方形の玄室を造るために、周りの岩をくり抜き、通路を掘り出したのだ。

 くり抜かれた四角い地下空間の中央を、大木が貫いているようにも見える。

 

 こんな地下深い岩盤をくり抜く。

 その残土を外に運ぶ。

 気の遠くなるような作業が行われたのだろう。


 

「壁の四方に、四大女神の御印が刻まれてる……」

 一周して戻って来たラージャは、ヒズルの手前で跪いた。


「大気の女神アウグレタ、炎の女神ブリグレト、大地の女神グエンドレダ、水の女神グドレアネ。正面のは、アウグレタの刻印だ」


 刻印に向かい、ラージャは恭しく拝礼する。

 しかし、その顔には驚きと戸惑いが浮かぶ。

 四つの力に守護された玄室の中に居るのは、異教の巫女だ。

 三百年を生きていると云う、不可思議な存在だ。


 ヒズルはラージャに倣って地に膝を付き、『魔導書ベスティアリ』を置いた。

 『テオドラ』も、大地の精霊だった。

 祈りの言葉は知らずとも、女神と精霊に感謝と敬意を示す。



 すると――玄室中央の石扉が開き始めた。

 響く重々しい音。

 漏れる夕映え色の光。

 くゆる香草の清んだ匂い。


 この感覚は何だろう?――

 ヒズルは腰を浮かせた。

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