7話 語り継がれるべきこと

 ヒズルが目覚めたのは、陽が沈む頃だった。

 カイルが着ていたのと同じ湯浴み着姿で、寝床に横たわっていた。


「良かった。慣れない蒸し風呂で、のぼせたのよ」

 マリーレインが、額に置かれていた布切れを取る。

 濡らしてから絞り、再び額に当てる。

 冷たさが気持ち良く、鼻がスーッと通る。

 薬草の煮汁で濡らしたようだ。



「……ぼく……のぼせた?」

 ヒズルは、ぼんやりと『のぼせる』意味を考える。

 熱い湯に長時間浸かることで体調を崩すこと――。

 テオドラの遺してくれた知識が答えを導き、はぁーっと息を吐く。


「息苦しくない?」

 マリーレインは、毛布を少し捲る。

 はだけられた湯浴み着の合わせの下――心臓の上に人差し指を当てる。

「うん、心臓は異常なし! 冷ました薬湯よ。ゆっくり飲んで」

 

 ヒズルの背に手を当て、ゆっくり身を起こさせ、陶器のコップを唇に当てる。

 渇きを覚え、傾けられたコップから流れる液体を飲み干す。

 微かに苦いが、蜂蜜の甘味が舌を覆って飲みやすい。

 


「……無理しやがってよ」

 ラージャの声に、そちらに目を移す。

 シンプルな無染の麻のチュニックを着ている。

 岩窟の人々と同じ装束だ。


「……カイルの野郎が、お前を風呂の外に運び出したんぞ。近くに居た住人が、ここに運んでくれた」

「……ごめん」


 ヒズルは謝罪し、マリーレインは再び彼を横たえた。

 天井の、例の壁画がヒズルを見降ろす。

 風呂場とこの部屋は、結構な距離がある。


 

「……カイルの野郎も謝ってたぞ。長居をさせたのは、自分のせいだってな。けっ、良い子過ぎて気持ちワリィっての!」

「もう、いいよ。何でも無かったし」

 

 そっぽを向くラージャをたしなめる。

 ラージャは、布張りの丸い扇の柄を握っている。

 火照った体を煽いでくれたのだろう。



「……バシュラールは?」

 ヒズルは訊ねる。

 岩窟に入った後に別れて以来、会っていない。

 消息を訊ねると、マリーレインが教えてくれた。


「巫女さまの所よ。何をしてるかは知らない」

「一緒じゃなかったの?」

「私は、ここの人たちの手伝いをしてた。はた織りをね」


 マリーレインは、事もなげに言う。

 ここの住人たちも、生きるために働いているのだ。

 滞在の返礼は必要だ。

 

 ラージャは察し、自分の寝床から立ち上がる。

「いつまで、ここに居る気だよ?」

「少なくとも七夜は。イドルは、ゆっくり旅支度をしろって勧めてくれた」

「そんなに寝てる訳には行かねえよ」


 その眼差しから、彼も働く気だ――とヒズルは察する。

 カラクレオ村では『心の病を患った子』だと思われていたラージャだが、祠の事件後は、積もった雪をねる手伝いをするようになった。

 復讐だけに囚われていた彼の、心の雪も溶けたのだろう。



「二人とも慌てない。ヒズル、体調はどう? 夕御飯は食べられる?」

「うん……お腹、空いてるかも」


 ヒズルは、遠慮がちにお腹をさする。

 マリーレインは微笑み、低めの椅子から腰を上げた。

「じや、夕御飯をいただいて来るから。具合が悪くなければ、深夜に『ミカギ様』に会いましょうか」


 

 ――マリーレインは足音無く、部屋から立ち去る。

 ラージャも再び寝床に腰を下ろし、首を左右に傾げる。

「ずいぶん、おしとやかじゃん。旅ん時とは、エライ違いだな」

「うん……」


 事実、彼女は様々な顔を見せてくれる。

 彼女は魚や獣の血を嫌がり、それを見ると「うえ~っ」と呻いて目を反らす。

 エオルダンと楽しそうに口喧嘩したかと思えば、村では美声を披露した。

 彼女が語る『伝説』や『物語』も、挿絵付きで『魔導書ベスティアリ』に記されている。

 

 ――ふと、思った。

 マリーレインは、どこで『それら』を知ったのだろう?

 彼女がこの世界に滞在した三百年の間に、人間に教わったのだろうか?

 それとも、彼女がその場で創造した『話』に過ぎないのだろうか?



「入るわよ。ライ麦パンと、干し肉と豆のシチューよ」

 マリーレインが、トレイを持って入って来た。

 トレイには、深皿が二つとパンが四切れ載っている。


 シチューには、羊の干し肉の細切れと香草が散らしてある。

 煮込まれた豆は柔らかく、干し肉の臭みは香草が消してくれる。

 岩窟の住人の数は分からないが、肉は貴重品に違いない

 住人たちの厚意に感謝しつつ、二人は夕食を残さず平らげた。





 陽光も月光も射さぬ地の底――。

 焔と祈りが満ちる場所に、バシュラールは正座していた。

 発せられた風で焔は揺らぎ、人には捕えられぬ音を奏でる。

 バシュラールの髪が揺れ、風の音階を作り出す。

 それは音となり、巫女に伝わる。


 黒衣の巫術女ナギは罪を犯し、我が身に呪いをかけた。

 身は朽ちたが――呪いは消えぬ。


(……吾子あこを探してくれたこと……感謝する……)

 

 巫術女ナギは、遥か昔を思う。

 玄室の四方を囲む、無数の蝋燭の焔が揺れる。

 巫術女ナギの身を囲む、四つの水盆に小波さざなみが立つ。


(……姉様あねさま……希望は断たれておりませぬ……)


 巫術女ナギの声を聴き、バシュラールは瞼を下ろした。

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