5話 岩窟の湯屋
「僕のことは『イドル』と呼んでくれ。まずは、ゆっくり汗を流そう。着替えも用意してある。『ミカギ様』との面会は深夜になる。それまで自由に過ごすと良い。君たちの馬も元気だよ」
イドルフィンは案内しつつ、説明するが――
『ミカギ様』なる名が出た時、ヒズルとラージャは目を合わせた。
この人物が『
三百年を生きていると云う巫女――
すぐに真偽を確かめたいが、イドルフィンの物腰は風を
訊ねても、「本人から聞いて」と誤魔化される光景が視える。
それに、やはり湯で髪を洗いたい。
手櫛を入れると指の間に砂が付き、肩に零れ落ちる。
蒸し風呂にも興味がある。
カラクレオ村では、水を張った浴槽に熱した石を入れて入浴した。
蒸し風呂も熱した石を使うようだが、だいぶ違うようだ。
二人は、未知の入浴方法に惹かれる。
複雑な回廊を歩いていると、やがて薬草の匂いが漂ってきた。
空気も湿っている。
進むと、分厚い織物が吊り下がった穴に出くわした。
薬草の匂いは、この奥からだ――。
「この先が風呂場だ。疲れが取れるだろう」
言い残し、イドルフィンは影の如くスーッと立ち去った。
ラージャは織物を勢いよく
そこは脱衣場で、八人も入れば満員だ。
実際、掘り出された岩棚には八個の編かごが置かれている。
編かごには、大小一枚ずつの麻布も入っている
入浴に使うのだろう。
「でかい布は、上がった時の体拭きだろ」
ラージャは手早く衣類と、藁編みのサンダルを脱ぎ捨てる。
ヒズルは編みかごの隙間に『
ランプの灯りで照らされた肌は、褐色に見える。
棟には、形見の黄緑石のペンダント。
その下に、火傷のような傷痕がある。
左の太腿にも、大きく
至る所の細かな裂傷。
全てが、彼の『生』の証だ。
「おい、入るぞ」
ラージャはヒズルの視線に気付かぬように、湯屋入り口の織物を
熱気が一気に、体を包んだ。
「わぁ……」
ヒズルも湯屋に駆け込み、小さな歓声を上げた。
中は湯気に満ちており、視界が白く霞む。
開いている左手で顔を仰ぎ、目を凝らす。
湯屋の内部は正方形で、岩を切り出した椅子が並ぶ。
中央には、石を積み上げた炉が在る。
横には木桶が七つ並び、
桶の中には、薬草が浮いた水が波打つ。
奥の床には、小さな浴槽が二つ。
浴槽の片方には、幾つかの石が沈んでいる。
「『
ラージャは、底に沈む石を眺める。
火は、人間には不可欠なものだ。
生きるために必要な火と水。
その周囲に、人や動物は集まる。
先ほど擦れ違った人々は、魔導師では無さそうだった。
肌の色や顔の特徴も異なっているように見えた。
『
ヒズルはそう思いつつ、浴槽の湯を手桶ですくい、体に掛けた。
湯は適温で、とても気持ちが良い。
減った分の水は、壁から突き出ている円形の管から補充されている。
どういう仕掛けか分からないが、魔導の力を利用しているのかも知れない。
「こりゃ、気持ちいいぜ!」
ラージャも盛大に、髪に湯を掛ける。
傍らの編かごには緑色の固形物が三個入っている。
ラージャは嬉々として、布に擦り付けた。
「石鹸だ。匂いからして……薬草を練ったっぽいな」
「石鹸?」
ヒズルは手に取り、匂いを嗅ぐ。
少しの苦味が舌の奥に広がったが、嫌いな匂いじゃない。
「これを布に擦りつけて、洗うんだよ。汚れが綺麗に落ちる」
「へえ……」
ヒズルは感心し、ラージャの真似をして石鹸を布に擦り付ける。
布に染みた湯にとろみが出て、香りが一気に広がる。
体を擦ると、爽快感が肌を優しく包む。
足元に置いた『
おじいちゃんたちにも、この香りやお湯の温かさが届いて欲しい――
そう願いながら。
「広いお風呂って気持ちいいね…」
ラージャ、と言おうとして……けれど口を閉じた。
眉を吊り上げたラージャが、背後を睨んでいる。
ヒズルも振り向き――「あっ」と肩を上げた。
湯屋の入り口に立っていたのは、例の『大気の魔導師の男』だった。
湯浴み用と思しき薄手の麻のガウンを着て――気まずそうに顔をしかめている。
「……イドルの命令で来ただけだ! 好きで、お前らと風呂に入る訳じゃないぞ!」
「……はい……」
ヒズルは何となく応え……こそっと吹き出した。
彼の言い草が、ラージャとそっくりだったから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます