3話 迷宮を行く

「ヒズル。オレのペンダントを外して、自分に掛けろ」

 ラージャは頭を下げて、ヒズルに向ける。

 ヒズルは頷き、ラージャのマントの前を開いた。

 胸に下がっているペンダントの木の鎖チェーンを取る。


 ヘッドは、カラクレオ村のチャザから貰った『炎の女神ブリグレト』の刻印だ。

 それを、バシュラールが彫った木の鎖チェーンに繋いでいる。

 バシュラールが作った物を身に付けるのを、ラージャは嫌がった。

 けれど――ヒズルの「落としちゃうよ」の一言で、渋々と首に掛けたのだ。



「……これでいい?」

 ヒズルはペンダントを掛け、ヘッドの刻印を見つめる。

 これを掛ける意味を訊ねると――ラージャは答えた。

「『壁』が、見えやすくなるかも知れないから」


 そして、手のひらの炎を心臓の高さに掲げる。

「風の衣を纏いし『大気の女神アウグレタ』よ。汝貴なんじが姉妹の『炎の女神ブリグレト』の下僕しもべを導き給え。我に汝貴なんじが道を示したまえ……」

 

 示したまえ――に続き、ラージャは未知の霊唱オビコットを繰り返す。

 ヒズルが聞いたことも無い不思議な言語だ。

 けれど、歌物語のように耳に心地よい。



(女神さま……)

 知らず知らず、膝を付いて祈る。

 アルガの街の、地下の家に彫られた女神。

 その一部は『魔導書ベスティアリ』となり、数多あまたの想いが綴られた。


 テオドラから託された希望。

 ロセッティが守ろうとしたもの。

 エオルダンの罪と悔恨。

 

 生者と死者の記憶。

 水辺には生き物が集い、岩窟から人は去った。

 北の村では、人が逞しく生き延びている。

 

 自らを『シン』から切り離した魔導師。

 異界より召喚された白き死神。

 精霊より託された白馬……



 ――突如、瞼の裏が紅く染まる。

 温かな風が通り抜け、瞳を上げた。

 すると、目の前に夕焼け色の壁がそびえていた。

 それは幻のように浮き上がり、向こう側の砂と夜空が透けて見える。

 

「これって……?」

 ヒズルは立ち上がり、手を伸ばし、壁に触れてみる。

 壁は硬く、ヒズルの身長の倍ほどの高さまで、夕焼け色に染まっている。

 氷に、夕陽を染み込ませたように。


「オレの炎で照らした。普通の蝋燭じゃ無理だけどな」

 ラージャは、鼻高々に微笑む。

 炎の灯りの反射で、ヒズルにも視認できるようになったのだろう。

 ラージャが貸してくれたペンダントも、一役買っているに違いない。


(ありがとう、チャザ)

 ヒズルは、大切な友達に礼を言う。

 チャザだけでなく、村人全員を思い浮かべる。

 自分とラージャを探そうとした、村人全員の想いが込められた刻印なのだから。

 


「ほぁ~。キミ、やるじゃん」

 感心したマリーレインは、ラージャの肩をポンと叩く。

 迷惑だ、言わんばかりの顔のラージャだが、その眼差しは誇らし気だ。

「ふん。行くぞ、ヒズル」

 

 ラージャは先陣を切って進み、ヒズルはスイレンの手綱を取って後に続く。

 マリーレインはハミングしながら揚々と、バシュラールはいつもと変わらず無言で最後尾を行く。




 進むたびに、夕焼け色の壁は幻想的に浮かび上がり、そして背後に消えて行く。

 ラージャの炎に照らされた壁は、神秘の威容を啓示する。

 世界には、まだ女神も精霊も存在している――。



「すごいね……」

 ヒズルの感嘆は醒めない。

 迷路の壁の厚さは分からない。

 けれど幅も狭くなく、スイレンと並んで曲がっても壁には接触しない。


 それが重なり、まるでバラの花びらのような迷宮となっているのだ。

 しかし、見上げた夜空には特別な変化はない。

 砂上を這う蛇もおり、迷路の壁に関係なく動けるようだ。

 人と死神アンクウを試す迷宮なのだろう。


 

 

 迷宮に入って半日近く――。

 一行は、二度目の休憩を取った。

 水を飲み、ヒズルとラージャは『露玉つゆだま』を半分に割って舐める。

 自給自足主義のラージャだが、ヒズルが嫌がるので狩りを控えている。


「いいか、砂漠を出たら狩りを教えてやる!」

 無駄と知りつつ彼は言い、ヒズルも殊勝に頷く。

 


「夜が明けるまで到着すれば良いけど」

 マリーレインは、兄弟のように向き合う二人を危惧する。

 

 月は大きく傾き、夜明けも遠くない。

 広くない迷宮通路での一泊は、彼らのために避けたい。

「飛び上がって見降ろせば、ひと目で出口を見抜いて着地できるのに」


「……それをすりゃ、奴らは自決するって息巻いてんだろ」

 ラージャは大きく息を吸う。

 迷宮内は無風で、砂埃も殆ど立たない。

 

 だが――彼にも疲れが見える。

 炎を発し続けるには、集中力も必要だ。

 

 壁に囲まれている感覚は、ヒズルとラージャの心労を募らせる。

 

 


 すると――見えない壁に変化が訪れた。

 鉄を打つような音が響き、何かが弾け飛んだ衝撃が突き抜ける。

 風が吹き込み、砂が高く舞い、ヒズルとラージャはマントで口を押える。


 バシュラールは自らのマントを大きく広げ、風を遮った。

 彼は言った。

「……出口に達していたようだ」



「えっ?」

 ひとしきり風が収まり、ヒズルは顔を上げた。



 空が大きく広がったように見える。

 薄い月明かりが差し、周囲が一変する。

 

 幕が剥がれ落ちたように、『魔導書ベスティアリ』に描かれた岩窟が出現した。

 それは巨大な影絵のように、威風堂々と左右立ち塞がっている。

 

「すごい……!」

 ヒズルもラージャも、圧倒されて立ち尽くす。

 ヒズルは、岩窟の威容に。

 ラージャは、大気の魔導術に。



「間に合ったね……」

 

 ――穏やかに語り掛けられ、振り向く。

 二つの人影が、すぐ後ろにあった。

 

 ヒズルとラージャは驚愕する。

 ひとりは、見たことのない青年だが――

 もうひとりは、カラクレオの火の祠に現れた魔導師の男だったから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る