6章 死語りの巫女

1話 星のとばり

 ――果てしない空。

 ――果てしない砂。

 ――吹きすさぶ風。


 太陽は容赦なく熱を注ぎ、乾きを誘う。

 けれど、月は火照りを冷ましてくれる。

 月と星に見守られ、ヒズルは東の地を目指す。

 

 東の地には、『天上輪都市バルトゥス』があると言う。

 そこには『女神さま』の神殿があり、子供も住んでいるらしい。

 そして『天上輪都市バルトゥス』は、『魔導書ベスティアリ』を持つ自分を招こうとしている……。


 

 ――ほーっと息を吐き、身を起こす。

 髪を手櫛てぐしで梳き、砂を払う。

 彼方に沈む赤い夕陽が眩しい。

 夜の女神が目覚め、翻した黒い袖が空を覆い始める。

 黒に誘われた月の女神が杖を振り、星の精霊たちが謳う。


「……今夜も、無事に旅ができますように」

 ヒズルは『魔導書ベスティアリ』を膝に乗せ、宵の空に祈る。

 

 隣に横たわっていたラージャが身動みじろぎした。

 マリーレインは泉の水を皮袋に注いでいる。

 バシュラールは鍋で『露玉つゆだま』を作っている。

 水草をむスイレンの足元を、スナネズミが走り抜けた。

 

 

 

 太陽が沈み、ヒズルたちは出立の準備に入る。

 顔を洗い、ヒズルとラージャは『露玉つゆだま』を口に入れる。

 蜜と香草を煮詰めた飴で、一粒で半日は腹が満たされる。


 ターバンを口元に巻き、ヒズルは『魔導書ベスティアリ』の或る頁を開く。

 そこには、イド砂漠の地図が浮かび上がっている。

 『テオドラ』が示してくれたのだろう。

 かつての主要交易路が示され、都のあった場所には城が描かれている。

 失われたは、ヒズルの想像力を掻き立てて止まない。


 

 ヒズルはスイレンに跨り、手綱を取った。

 バシュラールは無言で歩き始め、マリーレインは「テュラリラ」と口ずさみながら彼の後ろを行く。

 しかめっ面のラージャは、スイレンの後を進む。

 

 ヒズルは、遠ざかる小さなオアシスを振り返った。

 そこには動物たちが集まり、命を育むだろう――。

 もしかしたら、旅人が通るかも知れない。

 カラクレオ村の人々のように、『シン』に束縛されない旅人が。

 


 今宵は風が穏やかだ。

 紺碧の空に掛かった、金と銀の星図に思いを馳せる。

 すると、マリーレインが語り始めた。


 

 ――遥かな昔、天上に四姉妹の花の女神が住んでいました。

 ある日、一番下の妹女神は、雲の隙間から地上を見降ろしました。


 すると、果てしない大海原を泳ぐイルカの群れが見えました。

 百頭の白いイルカと、五十頭の黒いイルカ。


 それらの先頭を行くのは、海神に仕える人魚族の青年ハルフェルです。

 彼の胸には、真珠の首飾りトルク

 編んだ長い髪は、月光よりも淡い金。

 鱗は銀色で、尾の先端は虹の色。


 凛々しい姿に、妹女神は恋に落ちました――。

 




「……阿呆アホくさ」

 ラージャは、鼻先で笑う。

「おい、ヒズル。こんな夢物語を聞いてると、耳が腐るぞ」


「何て失礼な奴でしょう。罰として、一晩おんぶしてあげましょうか」

 マリーレインは芝居語りを続け、ラージャのが引き攣った。

 彼女の髪に手足を絡み取られ、数時間に渡って背負われた屈辱が蘇る。

 

 ご丁寧にも、『魔導書ベスティアリ』にはその様子が記された。

 目にしたラージャは絶句したが、後の祭り。

 『魔導書ベスティアリ』は、汚すことも破ることも出来ない。

 持ち主のヒズルにも、消すことは出来ない。


「いいか、その頁を見るな開くな見せるな!」

 ラージャの血相に、ヒズルは従順に頷いた。

 が――ヒズルは、コッソリとその頁を開いている。

 オアシスに寄って来たスナネコたちが、右隣の頁に描かれているからだ。

 左頁から首を反らし、かわいいスナネコたちに見入るように努力している。



 

 二時間ほど進み、星図は変化していた。

 『星の河』が南の地平から昇り、銀の流れを描く。

 ヒズルは『魔導書ベスティアリ』に触れ、故郷に語り掛ける。

 テオドラ、おじいちゃん、お父さん、お母さん、街のみんな――

 あの流れが見える?――と。

 



「……ここか」

 バシュラールは足を止め、前方を見据えた。

 白い髪が逆立ち、扇の如く広がる。

 何かを探っているのだろうか。

 ヒズルはスイレンを停め、彼の表情を伺った。

 彼は、後ろに佇むラージャに訊ねた。


「ラージャ・タリアシン。この先の『結界』を探知できるか?」

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