3話 女神ブリグレト

 ラージャは、脇目も振らずに村から遠ざかる。

 行く先に見えるのは、白い雪と青い空。

 つまぶく風が、木々がまとった雪の粉を撒き散らす。


 その中を、緋色のマントを巻き付けたラージャは、一心不乱に歩く。

 追うヒズルは、太陽を見た。

 太陽の位置と明るさから、おおよその時間は分かる。

 けれど、遠くに行って無事に村に帰れるか――

 それが少し不安だ。

 

 ラージャが無断で出掛けるのは珍しくない。

 けれど、朝食も摂らずに出て行くのは初めてだ。

 ヒズルは右手で腹を押さえる。

 今頃、マリーレインのスープにあり付いている筈だった。



「ラージャ、寒くないの? 朝ごはんは食べた?」

 新雪に足を取られながらも、ラージャに駆け寄る。

 見上げた顔は、いつも通り険しい。

 唇を噛み締め、眉を吊り上げ、白い息を荒く吐く。

 マントの下は、羊毛織の染めていない膝丈のチュニックと黒いズボン、ブーツ。

 マントとブーツ以外は、村人から借りた物だ。

 見習い魔導師の象徴たる緋色のマントだけは、身から外そうとしない。


 

「……馬鹿か、お前は。凍えて死ね」

 やや低めの、不穏な言葉が発せられる。

 だが、いつものことだから気には留めない。

「殺す」と「死ね」は彼の常套句だ。

 

 兄弟子を死神アンクウに殺された――

 それが彼の主張だ。

 兄弟子の名は『ユーウェン』。

 バシュラールもマリーレインも、その名を知らないとだけ言った。

 殺したとは言わない。

 弁解もしない。

 

 けれど――ユーウィンが、死神アンクウと戦って死んだのは事実だろう。

 だから、ヒズルはラージャを案じる。

 自分も、死神アンクウに街を滅ぼされたからだ。

 死神アンクウたちを憎悪しないのは、街は滅びる寸前だったから。

 最後の子供の自分が『黒い水』を飲み、異形になっていたら街は『死』を迎えた。

 

 けれどバシュラールに救われ、テオドラに希望を託された。

 自分が生きることが、街と多くの住民が存在した証なのだ。



「……ねえ、寒くないの?」

 ヒズルは、再び問う。

 毛皮のクロークと帽子のおかげで、凍えはしない。

 冷たさは感じるが、普通に動ける。

 けれど、ラージャは軽装だ。


「黙れ、クソ虫」

 ラージャは立ち止まり、マントを探る。

 隠しポケットから出して見せたのは、赤く発光する火岩石かがんせきだった。

 ヒズルは目を丸くする。


「……勝手に持ち出したの?」

「返せばいいんだろ、クソ虫。だがな、『火の魔導師』を舐めるな。ちょい念を込めれば、発熱させられる。毛皮なんぞいらん」

「……良かった。凍えてるんじゃないかと思った」


 ヒズルは微笑む。

 今日は、ラージャがいっぱい話してくれて嬉しい。

 しかし、彼は直ぐにそっぽを向く。

「てめえと一緒にするな、脳無しは死ね!」


 そう言いつつも、雪の上に白っぽい塊を投げ捨てる。

 香草入りの羊のチーズだ。

 それを見たヒズルの心には、暖かな火が灯る。


 ――やっぱり、ラージャは優しい。

 ――兄弟子の仇を取ろうとする者が、冷酷な筈はない。


 口の悪さは、兄弟子への愛情の裏返しなのだ。

 自分を復讐に巻き込まぬよう、突き放そうとしているのだ。



「ふん。牛以外のチーズなんて臭くて食えるか!」

 ラージャは憎まれ口を放ちつつも、足を止めない。

 その頬が、モゴモゴ動いている。

 パンでも口に入れたのだろう。


 ヒズルはチーズを拾い、ひと口かじって背負う袋に入れる。

 バシュラールとマリーレインは、すでに自分たちに気付いているだろう。

 離れて追跡しているかも知れない。

 それでも、念を入れて食料は残して置こう――。



 

 いつしか、太陽は天頂に昇った。

 空気は相変わらず冷たいが、日射しは少し暖かくなった。

 遠くの稜線は、空に溶け込むようにそびえている。

 薄い雪を被った枯れ木の根元で動いているのは、ウサギだろうか。

 それを狙ってか、翼を広げた大きな鳥が上空を旋回している。

 振り返っても、雪原しか見えない。

 ヒズルも不安になり、空腹を堪えて訊ねた。

 


「ラージャ、どこ行くの? こんなとこ、何もないよ」

「黙れ。脳無しのクソ虫が。死ね、帰れ」


 ――とは言うものの、彼も疲労を感じているようだ。

 膝に手を当て、荒い息を吐いている。

 赤茶色の切っ放しの髪から、汗の雫が滴る。

 ヒズルは肩に下げた袋に手を当てた。


「チーズがあるから、食べようよ。少し休もう」

「勝手に食え。クソ虫には、臭い物がお似合いだ」

「でも」

「……うるせえな。岩場に行くだけだ。火岩石かがんせきの」

「えーっ!?」


 ヒズルは戸惑う。

 火岩石かがんせきは、カラクレオ村だけでなく、近隣の村の財産だ。

 勝手に採掘するなど許されない。


「クソ虫、オレを盗人ぬすっと扱いすんな、死ね」

 ラージャは吐き捨て、舌打ちした。

「『炎の女神ブリグレト』と契約を結び直すだけだ。あそこには『火の精霊』がいる」

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