4話 こころ、触れる

 


 二人が火岩石かがんせきの採石場に辿り着いた時には、太陽が西に傾いていた。

 さすがに二人とも疲弊し、肩で喘いでいる。

 晴天下とはいえ、雪と風に体力を削がれた。

 汗で下着が濡れたが、脱ぐことは出来ない。


 ヒズルは身震いしつつ、眼前の灰色の断崖を眺める。

 雪で覆われた小山は、家屋を四つ重ねたほどの高さだ。

 前面は垂直に切り取られ、刃のように鋭く切り立っている。

 横の斜面には、一本の木が身を構えたように根付いている。

 その葉は散り、湾曲した枝には薄い雪化粧が施されている。



火岩石かがんせきには火の精霊、木には大地の精霊が宿る。精霊の加護が強い聖地だ」


 ラージャは、うやうやしく崖を眺める。

 跪き、両手を胸で交差させて祈りを捧げる。


 ヒズルも、ラージャを真似て跪く。

 大地の精霊だったテオドラ。

 大気の精霊だったエオルダン。

 ロセッティが如何なる精霊かは不明だが――彼らのために祈る。

 召された魂と、彷徨う心の平安を願って祈る。

 皆が『女神さま』のかいなに抱かれているように、と。

 

 



「おい、祠は崖の上だ。反対側に回って登る。その前に休憩だ」

 ラージャは、山の断面に背を預けて座る。

 ヒズルもそれに倣うと――風が止んだ。

 静寂が灯り、鳥さえも姿を消した。

 温かな陽光だけが、二人を照らす。

 見渡す限りの白い大地と、青い空。

 二つの色だけが、二人の前にある。 

 

 

 ラージャは、懐から皮袋を出した。

 皮袋に雪を詰め、火岩石かがんせきを入れる。

 たちまち皮袋の中の雪は溶け、湯気が立ち昇る。


「お湯になった! すごい!」

「……飲めよ。雪を舐めたら冷えるからな」

  

 ラージャは、皮袋を差し出す。

 その顔は、憑き物が落ちたように穏やかだ。

 聖地の霊力を感じ、ささくれ立った心に変化が訪れたのかも知れない。

 

 ヒズルは湯を半分飲み、背袋から出したチーズを半分に割り、さらに半分に割る。

 半分のチーズは背袋にしまい、四分の一をラージャに渡した。

 湯気の立つ皮袋も。


「食べてよ。口に合わなくてごめん。でも、栄養があるから」

「……ふん」

 ラージャは軽く鼻息を吐き――チーズをひとかけら口に入れる。

 ヒズルもチーズを味わいながら飲み込む。

 


 出会った時のラージャは泥まみれだった。

 マリーレインと『露玉つゆだま』を作っている時、彼は突然現れた。

 二人の十歩手前に――忽然と沸いて出た。


「死神どもめ、死ね! お前らは、オレの仲間の命を奪った!」

 彼の両の手のひらから、炎が噴き出す。

 炎は蛇の如くうねり、それが彼の身にまとわりつく。

「ユーウェンの仇だ! 地獄に墜ちろ!」


 彼は叫び、炎蛇がマリーレインに飛び掛かった。

 が――次の瞬間、彼はマリーレインのパンチ一発で地に沈んだのだった。



「殺せ! クソども、ゴミネズミ! 殺せ殺せ殺せ!」

 目を覚ました彼は手足を縛られて転がされているのに驚愕し、自棄じきで叫んだ。

「呪ってやる呪ってやる呪ってやる! さあ殺せ、いま殺せ!」


「……そんなことしないよ」

 ヒズルは、もがく彼の額を濡らした布で拭った。

「動かないで。静かに寝てないと」

「くそっ! 人間のくせに奴らに味方するかッ! 死ね!」


「僕は生きる……街の『シン』のテオドラと約束したから」

 ヒズルは言った。

「彼女から託された『魔導書ベスティアリ』で、僕の命は繋ぎ止められている。僕が生きることが、滅びた街の希望だから。だから……君も生きよう」



 

 ――ヒズルの言葉に何かを感じたのだろう。

 ラージャ・タリアシンと名乗った少年は、ヒズルたちの後を付け出した。

 付かず離れず、ぎらつく殺気を目に浮かべ――

 ウサギや魚を捕えて屠り、川の水をすすり――

 カラクレオ村に着いた時には、ヒズルのマントの裾を掴んでいた。

 



「遭難を心配して、チーズを残したのか? 火があれば、祠で一晩は過ごせるさ」

 ラージャは、いつになく饒舌だ。

 皮袋の湯を飲み干し、取り出した火岩石かがんせきをマントで拭う。


 すると、チュニックの下に掛かっているペンダントが見えた。

 彼の看病をした時に見た、黄緑石のヘッドのペンダントだ。


「ユーウェンの……形見になっちまった。大気の魔導師が使う『飛天石』だ。大気の精霊の力を借りて、空間を移動する。火の魔導師のオレでも使える。一回使ったら、精霊の霊力を封じなればならないけどな。残念だが、オレには出来ねえ」


 

 ――ラージャが突如出現した理由が、ようやく分かった。

 ラージャは、兄弟子から渡された『飛天石』を使ったのだ。

 それを常に胸で温めていた……。


 

「祠は、岩場の上のようだ。お前も来い」

 ラージャは、ぶっきらぼうに誘った。

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