後編 御灯明(みあかし)

 ヨギ大公妃は両膝を付き、星月菩提樹の数珠を手のひらに掲げ、『陰神メガミ』の木像に祈りを捧げる。

 木像の高さは、人の身丈ほど。

 髪を二つに結い上げ、額に花飾りを付け、薄い長い衣裳きぬもを纏い、肩に掛けた領巾ひれを足元に垂らしている。

 その御心にて、傷付いた魂を救済する地母神である。



 ――祭壇に捧げられた蝋燭の長さは、半分より短くなった。

 ヨギ大公妃は顔を上げ、背後に控える女たちを見た。

 

 妾妃たちは手を合わせて祈り、四人の公女たちは手を取り合う。

 公女たちのよわいは、上は二十四で下は十六。

 公女は未婚が慣わしであり、清らかな御身のままである。


 すでに多くの民が無意味に命を奪われた。

 大公一族も後を追うのが最期の務めと――覚悟を決めている。

 だが……



「イリ側妃よ。我が問いに答えてくれるか……?」

 ヨギ大公妃は、妾妃に問いかける。

「そなたの侍女……ハザと申したな。ハザは『魔導師』であるな?」


 ――妾妃たちは驚愕し、祈る手を下ろした。

 ――公女たちは手を離し、後ろを見つめた。


 『魔導師』は、西の大陸の魔導使いである。

 ある者は炎を、ある者は水、ある者は風を操る。

 されど――東の大陸では自然を操る術はカミへの冒涜とされ、『魔導師』は忌むべき者と見做みなされていた。


「聞いた話では、風と気を操る『魔導師』は、転移の術が使えるそうだな。そなたは『風と気の使い手』であろう。側妃の父王は万一を考え……そなたを侍女として遣わしたのだな?」


 ヨギ大公妃の言葉に、侍女は石の如き顔で平伏した。

 イリ妾妃は、引き攣る声を絞り出す。

「寛大なる大公妃さま……お許しくださいませ! わたくしは、大公妃さまの御供を致します! ですから……イセだけは……」


 『魔導師』を侍女としたるは、大罪である。

 グ大公の耳に入っていたら、とうの昔に戦は始まっていただろう。

 だがヨギ大公妃は――微笑んだ。


「……御子を連れ、直ちに去れ。そなたは、我らと宿すくを共にする値なし」

 呼応するように、祭壇の白樺シラカバの葉が揺れた。

 妾妃たちは惑い、姉公女たちは末の妹を庇うように身を寄せ合う。

 

 女たちの昂ぶりが収まるのを待ち――ヨギ大公妃は切々と述べた。

「そなたらは生きよ。生きて、二つの大陸の愚かな戦いを後世に伝えよ。二つの大陸の愚かな王と愚かな王妃たちが、無辜むこの民を犠牲にし、地と空を焼き払った。それが伝われば良い……」



「……大公妃さま……」

 イリ妾妃は、泣き濡れた顔を上げる。

 青い瞳が、晴れ渡った空の如く輝く。

 ハザは立ち上がり、イセ公女を抱き起こす。

 イセ公女は不安そうに姉公女たちを見降ろし、母妃に小さな手を伸ばす。

 姉公女たちは、最愛の妹に希望を託すかのように、沈黙を湛えた笑みを贈る。



「さあ……無事に立ち去る姿を、我らに見せておくれ……」 

 ヨギ大公妃は座し、祭壇の反対側に立つ三人を眺めた。

 ハザの口からは、『風の四神』に捧げる霊唱(オビコッド)が紡がれる。

 イリ妾妃にすら理解できない歌唱だが、それは誰の耳にも美しく響いた。

 異国の霊唱は、『陰神メガミ』の像にも深く染む。

 祈りは、言葉を凌駕する。

 思いは、言葉で束縛できぬ。


 

 霊唱に包まれた三人の足元に、銀環が浮かぶ。

 それは明けの光のように、薄闇を照らした。

 

「イセ……どうか……生き延びて……!」

「忘れないから……いつか、陰神メガミさまの御許で会いましょう……!」

 姉公女たちの濡れた声、妾妃たちの嗚咽、侍女たちの慟哭の中――銀環は消えた。

 『風の四神』たちにより、妾妃たちの体は西の地へと運ばれた――。

 

 

 ――為すべきことは果たした。

 ヨギ大公妃は安堵の息を吐く。

 だが、時間は無い。

 ハザの霊唱は、巫術師ナギたちに気付かれただろう。

 ただちに、侍女たちに沙汰を下す。


かんぬきを掛けよ! 誰も入れてはならぬ!」


 侍女たちは協力し合い、扉の内側のに二本の横棒を通した。

 横棒で固定された扉を破るには、時間を要する筈だ。



「すまぬ……公子殿に、最期の別れをさせてやれぬ……」

 ヨギ大公妃は、二人の妾妃とその妹公女たちに詫びた。

 だが、すでに覚悟を決めていた女たちは、ただ畏まって頭を下げる。

 聡明なる大公妃に、付き従うことに異は無い。

 ヨギ大公妃は、袖の下から絹の小袋を出し――床に置いた。


「……我は『死の霊獣アン・クウ』の贄とはならぬ。滅びの力の血肉となることを拒む」

「はい……おかあさま」

 年長の公女が目後まなじりを拭い、進み出て――小袋を引き裂いた。

 爪の大きさよりも小さい、黒い丸薬がんやくが転がり出る。

 

「すまぬ……」

 ヨギ大公妃は今一度詫び、丸薬がんやくのひとつを取った。

 女たちは布切れを回し、それぞれの手のひらに丸薬がんやくを収める。


 女たちは、祭壇を見上げた。

 一本の蝋燭が燃え尽きた。

 薄暗さは増し、灰色の一筋の煙が上へとなびく。

 

 希望は、尽きていない。

 滅びには、屈しない。


 

 

 ――また、フクロウが鳴いた。

 ――外から、怒声が聞こえる。

 

 ――それはすぐに遠くなり、蝋燭の灯りは消え、『陰神メガミ』は沈黙した。

 ――長い夜が始まる。



 

 † ……1章に続く †

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