後編 御灯明(みあかし)
ヨギ大公妃は両膝を付き、星月菩提樹の数珠を手のひらに掲げ、『
木像の高さは、人の身丈ほど。
髪を二つに結い上げ、額に花飾りを付け、薄い長い
その御心にて、傷付いた魂を救済する地母神である。
――祭壇に捧げられた蝋燭の長さは、半分より短くなった。
ヨギ大公妃は顔を上げ、背後に控える女たちを見た。
妾妃たちは手を合わせて祈り、四人の公女たちは手を取り合う。
公女たちの
公女は未婚が慣わしであり、清らかな御身のままである。
すでに多くの民が無意味に命を奪われた。
大公一族も後を追うのが最期の務めと――覚悟を決めている。
だが……
「イリ側妃よ。我が問いに答えてくれるか……?」
ヨギ大公妃は、妾妃に問いかける。
「そなたの侍女……ハザと申したな。ハザは『魔導師』であるな?」
――妾妃たちは驚愕し、祈る手を下ろした。
――公女たちは手を離し、後ろを見つめた。
『魔導師』は、西の大陸の魔導使いである。
ある者は炎を、ある者は水、ある者は風を操る。
されど――東の大陸では自然を操る術は
「聞いた話では、風と気を操る『魔導師』は、転移の術が使えるそうだな。そなたは『風と気の使い手』であろう。側妃の父王は万一を考え……そなたを侍女として遣わしたのだな?」
ヨギ大公妃の言葉に、侍女は石の如き顔で平伏した。
イリ妾妃は、引き攣る声を絞り出す。
「寛大なる大公妃さま……お許しくださいませ! わたくしは、大公妃さまの御供を致します! ですから……イセだけは……」
『魔導師』を侍女としたるは、大罪である。
グ大公の耳に入っていたら、とうの昔に戦は始まっていただろう。
だがヨギ大公妃は――微笑んだ。
「……御子を連れ、直ちに去れ。そなたは、我らと
呼応するように、祭壇の
妾妃たちは惑い、姉公女たちは末の妹を庇うように身を寄せ合う。
女たちの昂ぶりが収まるのを待ち――ヨギ大公妃は切々と述べた。
「そなたらは生きよ。生きて、二つの大陸の愚かな戦いを後世に伝えよ。二つの大陸の愚かな王と愚かな王妃たちが、
「……大公妃さま……」
イリ妾妃は、泣き濡れた顔を上げる。
青い瞳が、晴れ渡った空の如く輝く。
ハザは立ち上がり、イセ公女を抱き起こす。
イセ公女は不安そうに姉公女たちを見降ろし、母妃に小さな手を伸ばす。
姉公女たちは、最愛の妹に希望を託すかのように、沈黙を湛えた笑みを贈る。
「さあ……無事に立ち去る姿を、我らに見せておくれ……」
ヨギ大公妃は座し、祭壇の反対側に立つ三人を眺めた。
ハザの口からは、『風の四神』に捧げる霊唱(オビコッド)が紡がれる。
イリ妾妃にすら理解できない歌唱だが、それは誰の耳にも美しく響いた。
異国の霊唱は、『
祈りは、言葉を凌駕する。
思いは、言葉で束縛できぬ。
霊唱に包まれた三人の足元に、銀環が浮かぶ。
それは明けの光のように、薄闇を照らした。
「イセ……どうか……生き延びて……!」
「忘れないから……いつか、
姉公女たちの濡れた声、妾妃たちの嗚咽、侍女たちの慟哭の中――銀環は消えた。
『風の四神』たちにより、妾妃たちの体は西の地へと運ばれた――。
――為すべきことは果たした。
ヨギ大公妃は安堵の息を吐く。
だが、時間は無い。
ハザの霊唱は、
ただちに、侍女たちに沙汰を下す。
「
侍女たちは協力し合い、扉の内側のかすがいに二本の横棒を通した。
横棒で固定された扉を破るには、時間を要する筈だ。
「すまぬ……公子殿に、最期の別れをさせてやれぬ……」
ヨギ大公妃は、二人の妾妃とその妹公女たちに詫びた。
だが、すでに覚悟を決めていた女たちは、ただ畏まって頭を下げる。
聡明なる大公妃に、付き従うことに異は無い。
ヨギ大公妃は、袖の下から絹の小袋を出し――床に置いた。
「……我は『
「はい……おかあさま」
年長の公女が
爪の大きさよりも小さい、黒い
「すまぬ……」
ヨギ大公妃は今一度詫び、
女たちは布切れを回し、それぞれの手のひらに
女たちは、祭壇を見上げた。
一本の蝋燭が燃え尽きた。
薄暗さは増し、灰色の一筋の煙が上へとなびく。
希望は、尽きていない。
滅びには、屈しない。
――また、フクロウが鳴いた。
――外から、怒声が聞こえる。
――それはすぐに遠くなり、蝋燭の灯りは消え、『
――長い夜が始まる。
† ……1章に続く †
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