前章 無明抄夜

前編 呪ろぎ(まじろぎ)

 深夜である。

 厚い雲に覆われた空は、月影すら見えず。

 すさぶ風は止まず。

 狼どもの遠吠えだけが、焼野を貫く。


 城も街も村も、盛る業火に瓦礫と化した。

 老いも若きも、男も女も、みな平等に殺され、川は血にまみれた。

 高貴な者たちの首は木に吊るされ、下々の首は田畑に打ち捨てられた。


 落ち延びた兵士には、さらに惨い仕打ちが待っていた。

 七夜の間じっくりと苦しめ、八夜目にぼろ布と化した身を焼かれる。

 勝利に酔う騎士や魔導師は、その悲鳴に合わせて高らかに歌う。


 ――グ大公を引き出せ。

 ――グ大公の妻と妾を引き出せ。

 ――グ大公の息子たちの手足を斬れ。

 ――グ大公の娘たちの舌を切れ。

 ――グ大公一族を八つ裂きにしろ。

 


 

 ……諍いのきっかけを思い起こしても無駄だろう。

 ただ、西と東の異文化が衝突した。

 ただ、西の神々と東の神々がたもとを分かった。

 西の大陸の騎士たちは剣と盾を構え、魔導師たちは炎を放った。

 東の大陸の武士たちは大太刀オオタチを構え、巫術師ナギたちはジュを放った。


 だが、小国が集う東の大陸は、次第に追い詰められた。

 一つの国が落ちると、その隣の国も六十日と保たなかった。

 その周りの国は、五十日後に落ちた。

 

 縄が千切れるように東の国々は分断され、西の国々の侵攻が始まって四百と八日。

 東の果ての『グ・シン国』の宗主城は、包囲された。

 宗主のグ大公は、自ら城に火を放って脱出した。

 大公妃と四人の妾妃、二人の公子、三人の公女、七人の巫術師ナギ、二十人の供人は、森の深きにある『咒禰いさやね』に身を潜めた。

 

 

 森の大樹が集うほとりに、その『咒禰いさやね』は佇む。

 正殿の右に、男たちが集う『東の』。

 正殿の左は、女たちが集う『西の』。

 北側には、巫術師ナギたちの祈祷所たる『巫儀いさや』がある。


 

 グ大公以下、全員が白き長衣に黒き帯、真紅の勾玉飾りを首に下げていた。

 『東の』には大公と公子たち、十人の侍従が入る。

 『西の』には大公妃と妾妃と公女たち、十人の侍女が入る。

 巫術師ナギたちは『巫儀いさや』に入り、それぞれ八滴の血を祭壇に捧げる。

 『死の霊獣アン・クウ』を召喚するために。





 そして『西の』にて――

 

 ヨギ大公妃は、フクロウの鳴き声に耳を澄ませた。

 枝葉の揺れる微かな音さえも感じ取れる。

 祭壇には二十本の蝋燭が灯され、その火は弱々しく揺れる。

 細い窓から外を眺めれば、燃え盛る宗主城が見えるであろう。


 ヨギ大公妃は立ち上がり、女たちを見降ろし、己が生涯を思う。

 隣国の二の姫として生まれ、グ大公に嫁いで三十の年が過ぎた。

 子は成せず――それでも、夫は優しかった。

 

 だが二年前にいくさが始まり、夫は国のために優しさを捨てた。

 星月菩提樹の実を繋げた数珠を捨て、漆黒の大太刀オオタチを腰に差した。

 昼も深夜も、黒と金の具足を脱がず。

 妾妃たちをも、寝屋に入れず。

 ひたすら、敵の血を絞り出す計略にのみ、時を費やした。

 


 しかし、国の命運は尽きた。

 投降しても、せずとも――死は逃れられぬ。

 ならばと――グ大公は、禁術を用いて敵を滅する断を下した。

 我が身と妻子を贄にし、『死の霊獣アン・クウ』を世に放つ――。

 

 放たれた『死の霊獣アン・クウ』を御せるは、それらを召喚した巫術師ナギのみ。

 だが、彼らも死を決意している。

 召喚の術――巫召術ナギツチが成された直後に、毒を飲む。

 術の直後は動けず、敵に囚われれば斬刺は免れぬ故に。

 自らの死を持って、敵を殲滅し――復讐は果たされるのだ。

 

 


「愚かよ……」

 白樺シラカバの枝で飾られた祭壇を背に、ヨギ大公妃は白き紅で飾った唇を動かす。

 四人の妾妃と五人の公女の半分は啜り泣き、半分は数珠を握って祈る。

 

 その中に――濃き夜空色の髪の女たちの中に、金色の髪を持つ者たちがいた。

 西の国の王女であったイリ妾妃と、その御娘のイセ公女である。

 イリ妾妃の本名は、イハリタ・グルセニア。

 よわい十五で、政略にて嫁いで来た。

 初めて入城した少女は、着慣れぬ装束を引き摺り、オドオドと頭を下げた。

 少女はすぐに子を成し、金色の髪に赤い瞳を持つ末娘は、姉たちに可愛がられた。

 だが、二年ふたとせ前に西の国々とのいくさが始まり、状況は変わった。

 

 イリ妾妃はイセ姫と部屋に籠もり――最期が近き今、一年振りに外に出たのだ。

 イリ妾妃はふた回り痩せ、イセ公女の顔色は悪かった。

 母に手を取られ、前に座る姉姫の背を見つめ、固く唇を閉ざしている。

 無情なる争いは、幼い公女の幸福を許さなかった――。


 そして、もう一人――イリ妾妃の侍女も、他の侍女に混じって座している。

 くすんだ金の髪を高く結い上げた侍女のよわいは三十。

 他の者同様、白と黒の装束と赤の勾玉を身に付けている。



(我らの愚行は、後世に伝えなくてはならぬ……)

 ヨギ大公妃は、祭壇の『陰神メガミ』を見上げた。

 古きに彫られた『陰神メガミ』の木像は黒ずみ――しかし、碧なるギョクの瞳は清流の如き慈悲を讃え、女たちの祈りを受け止めていた。

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