10話 まどろみの終わり
ニワトリたちの声で、ヒズルは
寝返りを打つと、猫たちがベッドから飛び降りてニャーと鳴いた。
頭を反らせ、小窓から射す光に瞬きし、シーツの下の干し草の香りを吸う。
ここに残れたら、と思うのは否めない。
だが――
エオルダンが四千人を害した事実から、目を背けることは出来ない。
けれど、バシュラールだって多くを犠牲にしている。
それは、人間同士の争いが招いたことだ――。
それならば……バシュラールに付いて行く。
エオルダンは「彼らを利用しろ」と言った。
その通りにしよう――。
バシュラールと行動し、真実に近付こう――。
ヒズルは少し腫れた目を拭い、足を降ろす。
衣類を身に付け、顔を洗い、みんなで昨日と似た朝食を食べた。
後片付けをし、『
揺れる葉はささやき、白い種子が宙を舞い、風が緩やかに髪を梳く。
犬も猫も腰を落として座り、こちらを見上げている。
携行食として、パンとチーズの塊、蜂蜜、堅焼きビスケット、ソバ粉、干し葡萄、干し肉を分けて貰った。
それらを詰めた布袋は、バシュラールとマリーレインが分けて持つ。
「ビスケットは、百日は腐らない。大切に食べるんだ」
エオルダンは屈み、ヒズルの肩を撫でる。
「君には、もうひとつ贈りものがある」
エオルダンは、納屋から道具を抱えて出て来た。
そして指笛を吹くと――納屋の後方の森から白馬が駆けて来た。
この森を見つけた時に、マリーレインが見たと言う馬だろうか。
白馬は、計ったようにヒズルの前で立ち止まった。
体高はヒズルの身長とほぼ同じで。耳の先から足の先まで白一色の馬だ。
バシュラールやマリーレインの髪のような、一点の曇りもない白だ。
「鞍や
エオルダンは、素早く白馬に馬具を取り付ける。
「半時間も乗ると、君の体や乗り方に合うように形が変わるだろう。言わば『魔法の馬具』だな。
「……エオルダン……」
ヒズルは何とも言えない表情で、彼を見上げる。
こんなにも彼は優しくて――だから、嫌いになれない。
「それと……『
エオルダンが鞍の後ろを軽く叩くと……その部分が迫り上がる。
『
「はいはい。おねーさんたちは、食料を持って徒歩でしゅね~」
マリーレインは口を尖らせたが、その眼差しは温かだ。
「さあ、馬に『名』を与えたまえ。そうすれば、この馬は君の忠実な友となろう」
エオルダンは、赤い手綱を差し出す。
ヒズルは、それをゆっくりと掴み……呟いた。
「……スイレン……この馬の名は、『スイレン』です」
「……なぜ、その名を?」
「分かりません。でも、その名が浮かんだんです」
「それは花の名だよ。水底に根を下ろし、水面に白い花を咲かせる。南の大陸の古い文明では『再生』のシンボルとされた花だ……」
「……再生……」
ヒズルは呟き、スイレンの頬を撫でた。
スイレンの漆黒の瞳は、包み込むようにヒズルを見つめる。
誘われるが如く、ヒズルは鞍の後ろに『
そして鞍に両手を掛けると――あたかも、体が風に持ち上げられたように浮いた。
するりと体を半回転させ、スイレンの鞍の上にフワリと着地する。
木製の鞍は全く硬さを感じさせず、腰や太腿に馴染む。
「かっこいい! 絵になってるぅ!」
マリーレインは拍手し、バシュラールも――微笑みを浮かべた。
「行きたまえ……。君が求めた時に……また会えるだろう」
「……はい」
エオルダンの惜別の言葉に、ヒズルは応えた。
馬上だと、目線はエオルダンと対等の位置に来る。
光射す場所で見た薄青い瞳には、苦しみの痕跡が見える。
「また……みんなでソバを食べたいです! 蜂蜜を掛けたチーズも……!」
ヒズルは鼻をすすり、微笑み……手綱を握る手に力を込めた。
呼応するように、スイレンは脚を踏み出す。
体が僅かに上下に揺れるが、不快感は無い。
スイレンは、最大限の注意を払って歩いているのを感じ取れる。
「出発ね! おじさん、ありがとう!」
マリーレインは後ずさりしつつ手を振り、バシュラールは前を向いて先頭を行く。
――ヒズルは何度も振り返る。
家の前に立つエオルダンと、二匹ずつの犬と猫。
テクテク歩いているニワトリ。
遠ざかる一家に後ろ髪を引かれつつも――木々の隙間に身を滑らせる。
木の香り、花の香り、土の香り、水の音――
それらは軽やかに背を叩く。
前方に、紫色の花のカーペットが見えた。
森の出口は近い。
ヒズルは、もう一度振り向く。
途端に、森の香りは消えた。
周囲は、見慣れた草原に戻っていた。
広い空と白い雲が、地平の果てまでを包んでいる。
『
「おじさんとは、また会えるよ……」
マリーレインは、中天の太陽を見上げた。
ヒズルは頷き、手綱を強く握り締める。
傍らでは、バシュラールの髪が翼のように
彼が、どこに向かおうとしているのか分からない。
けれど、その先の果てで見る景色が――『
それを見るために――生きる。
† 次章に続く †
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