3話 『エオルダン』のパンケーキ
「……来るつもりはなかったが」
バシュラールは動じず、自分より長身の男性に話し掛ける。
「奇しくも遭遇した。この子に食事を提供して欲しい。狩りも教えたい」
「一夜の滞在を許そう。だが、狩りは禁ずる。冬季に、雄の成獣を三頭のみを狩ると決めている。だが、携行食として干し肉とチーズを提供しよう」
「それは助かる。パンはあるか?」
「ソバ粉のパンがある」
二人の言葉が交錯する。
だが――その有り様は奇妙だ、とヒズルは思った。
会話は成立しているのに、壁に向かって喋っているように感じる。
マリーレインは肩を
「
「……いえ……まあ……はい……」
ヒズルは曖昧に返答し、疑念を抱く。
――男性とバシュラールは、いつ知り合ったのか。
――バシュラールは『
――そして、男性を追う相手は……?
「連れのヒズルとマリーレインだ」
バシュラールは振り向きもせず、ヒズルとマリーレインを紹介した。
不意に名を呼ばれ、慌てたヒズルは
「初めまして……ヒズルです……あの……こんにちは……」
左手でマントのフードを下ろし、そろりと頭を下げる。
もちろん、『
「君の利き腕は?」
思わぬ質問をされ、ヒズルは必死に膝を伸ばして答える。
「み、み…右です」
「では、左腕で『
すると――バシュラールは振り向き、『目を丸くして』ヒズルを見た。
彼には珍しい、感情が乗った顔だ。
マリーレインも「あらら…」とばかりに唇を凸形に曲げる。
「……家に入りたまえ。君たちに朝食を提供しよう」
男性は言い捨て、家の中に戻る。
バシュラールはヒズルを見降ろし、促した。
「御馳走になろう。彼の名は『エオルダン』。敵ではない」
「……エオルダン……」
ヒズルは『
柔らかい光の筋が、屋内の輪郭を浮かび上がらせている。
それは、『
今晩は、ここで寝られる。
そう思うと、自然と顔が綻ぶ。
天気が良ければ野営も悪くない。
けれど家の中で眠れるのは、やはり嬉しい。
エオルダンの家は、広すぎず狭すぎず。
年季を感じさせるが、瑞々しい木の香りに満ちている。
客人たちはマントを脱ぎ、広間の細長い食卓に着いた。
バシュラールは姿勢を崩さずに静止し、マリーレインは食卓下に座る犬二匹を撫でている。
ヒズルは膝から『
背後の壁には石で囲まれた暖炉があり、白い灰が薄く積もる。
土壁で隔てられた調理場からは、香ばしい匂いが漂う。
脇には階段があり、上がった所が寝室らしい。
西と南の格子窓から外光が射しているが、室内は仄かに暗い。
ヒズルは暗さには慣れているので、このぐらいなら苦にならないが。
「……小金持ちの農奴の家、って感じね」
マリーレインは率直に述べた。
「でも見かけに反して、害虫やネズミは居ない。衛生上、問題なし!」
「見かけ……?」
「ええ。家は古びて見えるだけ。土壁もヒビが入っているけれど、実態は妖精女王の宮殿並みに清潔。塵ひとつ無いでしょ?」
「……はい」
ヒズルは、灰色に変色した木製の食卓を指で擦る。
しかし、指先にはホコリは付かない。
エオルダンの能力で、家の隅々まで管理されているようだ。
けれど、もっと見栄えの良い館にすることも可能だろうに。
古い農家を造り、ニワトリを飼い、狩りをする理由が分からない。
「調理が完了した」
バシュラールは調理場に向かう。
程なくして、彼はエオルダンと一緒に木皿を運んで来た。
大皿を持って歩く二人は少し戯画的で、マリーレインの頬はピクピク揺れる。
そうして食卓は、四枚の大皿が並んだ。
褐色のバンケーキ二枚、煮豆、香草を乗せた目玉焼き、ベーコンが盛られている。
別の小皿には。四枚のパンケーキと林檎のジャムが添えられていた。
そっちは全員のデザート用だ、とマリーレインは言った。
林檎酒と林檎の搾り汁が揃ったところで、四人は食事に取り掛かった。
食事にはナイフを使う。
ベーコンや目玉焼きをカットしてパンケーキに乗せ、四つに折って手で食べる。
けれど、ヒズルは食卓でナイフを使うのは初めてだ。
厚切りベーコンにナイフの先端を刺したまま……動かせない。
「……難しいよね」
マリーレインはヒズルのナイフを取り、ベーコンや目玉焼きを切り分けてくれた。
それらと蜂蜜で煮た豆を、ナイフでパンケーキに乗せる。
「あとは、畳んで食べるだけ。やってみて」
「……うん! ありがとう」
ヒズルは慎重に、パンケーキが破れないように折り畳む。
それを両手で掴み、ゆっくり噛み締めた。
パンケーキは香ばしく、煮豆は甘い。
目玉焼きの黄身は
林檎の搾り汁を含むと酸味が加わり、香草の香りが鼻に抜ける。
脇目も振らずに一枚目を食べ終えたヒズルを見て、エオルダンは言った。
「遠慮なく食べなさい。君と話がしたい。お昼は外で食べよう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます