4章 終の森の隠者
1話 不羈(ふき)の森
『世界は広い』――。
この言葉をいつ知ったのだろう、とヒズルは思う。
おじいちゃんかお父さんから聞いたのだが――思い出せない
地下の家で、三人が身を寄せて暮らした時間は短かった。
いつの間にか、おじいちゃんは居なくなり――お父さんは言った。
――おじいちゃんは、『女神さま』に迎え入れられるために旅に出たんだ。
――ヒズルが大きくなる前に、お父さんもそこに行くだろう。
――ひとりになったら……毎日、『女神さま』にお祈りしなさい。
――家族みんなで、『そこ』で暮らせるように。
「お父さん……」
明けゆく仄暗い空を見上げ、浮かぶ雫を拭う。
おじいちゃんも、お父さんも、お母さんも……『そこ』に居るのだろうか。
街のみんなも『テオドラ』も……
やがて――草原の彼方の地平から、太陽が顔を出した。
白い雲は紫色に染まり、銀の月は
身を起こすと、マリーレインが隣で眠っている。
バシュラールの後ろ姿が、近くの木陰にある。
眠る前も、眠りから覚めた時も、彼は同じ姿勢で立っている。
地に着くほどに長い髪は、風まかせに揺れている。
留守番をした日から、十二夜が過ぎた。
けれど、マリーレインは立ち去らない。
バシュラールの髪が元の長さに戻るまで付いて行く、と言っていた。
その日はとうに過ぎた。
けれど、何かと話しかけてくれる彼女が居るのは嬉しい。
昨日は『月のゆりかご』という遊びを教えてくれた。
円状の細い紐を手の指に掛け、紐をすくって、色々な形を作って遊ぶのだ。
「これは川」「これは二段ハシゴ」などと、マリーレインは説明してくれる。
指を動かしながら――ヒズルは不思議に思う。
人の姿を取り戻す前は、こんな遊びは知らなかった。
『女神さま』に祈り、街を歩き、眠る――それだけの日々だった。
太陽の下を歩き、魚を釣り、遊ぶ。
こんな生活は、想像できなかった。
『
「やったね! バッシーも誉めてくれたね!」の細字の落書きもある。
この落書きは、マリーレインの感想らしい。
それも記されるのは意外だが、大切な思い出だから嬉しい。
でも……バシュラールの姿が記されないことが寂しい。
彼は恩人で……『天使さま』だ。
彼が何であれ、その想いは今も変わらない。
「バシュラール……」
呟き、彼の黒いマントを
すると――昨夜には無かったものが見えた。
「え……?」
バシュラールが顔を向けている先に、木々が密集した『森』がある。
かなりの幅があり、奥も深そうだ。
これまで辿って来たのは、木々が点在する草原ばかりだった。
それと打って変わって『森』の木々は高く、広がる枝には葉が茂り、下は濃い色の深草に包まれている。
明らかに、草原の草とは異なる色合いだ。
「……『
いつの間にか起き上がっていたマリーレインが言う。
ヒズルは朝の挨拶も忘れ、振り向いた。
同時に、『
『
「……自由に動き回る森、っていう事でしょうか……?」
『
だが『動き回る森』とは――本当に『森』が動くのだろうか?
「あたしも、出会うのは初めてだけどね」
マリーレインも立ち上がり、頭頂で丸めて纏めていた髪をシュッと解く。
「こちらを攻撃する意志はない。行ってみる?」
「……僕たちの敵じゃないんですか?」
「……『森』は、追手から逃げ回ってるの」
毛布型に変形させていたショートジャーキンを元の形に戻し、袖を通す。
「一夜ごとに場所を変えてるの。稀に、あたしたちの仲間が様子を見に行く」
その言葉は、ヒズルを惑わせた。
一夜ごとに移動し、バシュラールたちが様子を見る『森』――。
目を細め、『森』を注視すると――白いものが動いた。
だが、それは直ぐに『森』の緑の奥に消えた。
「白い馬ね。鹿や豚も住み付いているって聞いた。森の生き物ごと移動してるの」
「……森の生き物も……?」
ヒズルの驚きは深まる。
追手から逃げ回り、生き物も住む『森』と言うのは、奇妙な話だ。
目を丸くしていると、バシュラールがこちらに来た。
ヒズルを見降ろし、手を差し出す。
「森に入る。食料を確保する」
「あ……はい……」
その時が来た、と――ヒズルは、息を殺して頷いた。
動物の肉が必要なのは分かっている。
バシュラールは、自分のために『狩り』をすると言っているのだ。
気は進まないが、従うしかない。
緊張して無意識に肩を張ると――マリーレインの柔らかな手が掛かる。
「……あの森の
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