3話 温もり

 ヒズルは、多少手こずりながらも魚の下処理を終えた。

 エラと内臓を取り除き、川で洗い、腹に香草を詰め、塩を振って串に刺し、焚火で炙り焼きにする。

 香草はそこらに自生しているし、塩の塊はバシュラールから渡されている。

 マリーレインが見つけたキノコも、串に刺して炙った。

 串は、マリーレインの生成だ。


 マリーレインが言うには、火器は生成できないらしい。

 剣や弓矢などは簡単だが、火砲などは無理とのことだ。

 


「んあ~、美味しかった♪」

 マリーレインは上々機嫌で、串を地面にポイと捨てる。

 釣り上げた三匹の魚は、ヒズルが二匹を食べ、一匹はマリーレインが食べた。

 マリーレインは「私たちは食べる必要ないから」と拒否したのだが、ヒズルも引かなかった。

「二人で食べた方が、おいしい」と魚の串を差し出し続け、結局は彼女が折れた。


 そして甘酸っぱい野イチゴを食べ、煮沸した川の水で喉を潤し、夕食は終わった。

 マリーレインの満足そうな笑顔に、ヒズルは魚を分け合って良かったと思う。

 

 バシュラールは、食事を勧めても言葉少なに拒否する。

 だから今はもう勧めず、独りで食べる。

 

 彼は魚釣りをヒズルに見せ、目に付いた野生の果実やキノコを採る。

 ヒズルは、自然と口にして良い物と悪い物を覚える。

 薬になる草や実や根のことも、いずれ教えると彼は言う。

 火起こしは、黒い『発火石はっかいし』を打ち叩く。

 夜は、火を絶やしてはいけない。

 川や泉の水は、煮沸してから飲む。

 

 『言葉』や『文字』は『魔導書ベスティアリ』が教えてくれるが、生きるための知恵や知識を与えてくれるのはバシュラールだ。

 それらの知恵も、余さずに『魔導書ベスティアリ』に記された。

 

 それを読み返す時、ヒズルは自分の幸運を『女神さま』に感謝する。

 生まれ育った街は、言わば『廃墟』だった。

 けれど、短いながらも家族が身を寄せ合って暮らした場所だ。

 そこを離れ、今は生きる術を学んでいる。

 自分が生きることが、『テオドラ』から託された『希望』だから――。

 


 


 日射しはまだ空に残り、鳥の群れが遠くの稜線を目指して飛ぶ。

 花の甘い香りと、香草の鼻を抜けるような香りが風の中で交じり合う。


「ね、それ見せて。一緒に見たいな」

 マリーレインは、ヒズルの真横に座った。

 肩が触れ合い、白い柔らかな髪が頬に触れ、ヒズルの胸は何故か高鳴る。


「はい……じゃあ……」

 ヒズルは『魔導書ベスティアリ』を――ピタリと付けた二人の膝の間に置いた。

 深い碧の布張りの表紙の中央には、金色の紋章が浮き出ている。

 盾の内側に丸い太陽が描かれ、それには二つの目と鼻と口がある。

 太陽の周りには八つの鋸歯きょしが描かれ、下部にはX型に交差するくわとハンマーが鎮座する。

 鋳鉄で名を馳せた『アルガ』の街の紋章だ。


 

 表紙を左に捲ると、口絵が現れ――ヒズルは驚いた。

 昼に見た時は、こんな頁は無かった。

 出現した口絵には、『女神さま』が描かれていた。

 

 編んだ金茶色の髪を高く結い上げ、体の線に沿った白の薄衣を纏う。

 背には、六枚の純白の翼がある。

 右手には金色の王尺を持ち、招くように左の手のひらをこちらに向ける。

 

 その周りを跳ぶのは、十二羽の白い鳩。

 背景は縦に分割され、その右側は青空。

 左側には夜空に輝く三連の星。

 足元には川が流れ、紫の花が咲き、二羽の白い蝶が羽を休める。

 

 

「これが……女神さま……」

 美しい色彩で描かれた御姿に、ヒズルは感激した。

 祖先が彫った『女神さま』は、新たな御姿で蘇った。

 端正な御顔の瞳は、宝石の『アクウァ・マリーナ』と同じ高貴な碧色だ。


「きれい……」

 マリーレインも魅せられたように、しっとりと呟く。

「すごく素敵な絵。君の心を映してるのね」


「いえ、そんな……」

「分かるよ。君の澄んだ瞳を見ればね……」


 マリーレインは、首を傾げて微笑む。

「君は愛されてるんだね。ご家族から、すごく愛されてる」

「でも……家族は……」


「知ってる。でもね、君のお母さまは……君を遺してくれた」

 彼女は、ヒズルの黒い髪の隙間に指を入れた。

「アルガの街の女性は、その体を我が子に与えて、天に迎え入れられるのでしょう? お母さまたちは、そうして命を繋ぎ続けた……」


「……僕のお母さんが……最後の女性だったらしくて……」

「……ごめんね……思い出させちゃって」


「いいえ……」

 ヒズルは『魔導書ベスティアリ』に濡れた顔を押し付ける。

 マリーレインは、震えるその髪に頬を寄せる。


 髪を濡らす水滴の重みを、奇しくもヒズルは感じ取った。

 マリーレインは、母と自分を想い、泣いてくれている――。

 

「本当に美しい髪ね……あなたのお母さまの心そのもの……」

 囁きと温もりに、優しく包まれる。

 バシュラールとは違う優しさだ。

 それはとても心地良く、ヒズルも心を預ける。

 

 調理前に、彼女は自分を『お姉さん』と称した。

 『お兄さん』や『お姉さん』――故郷では、失われた存在だった。

 『お姉さん』は、こんなに温かい――。


 おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、街のみんな、テオドラ……

 温もりに包まれていることを忘れない――ヒズルは誓う。

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