2話 お留守番

 突然の闖入者に、ヒズルは目を丸くする。

 何より――『お留守番』とは、初めて耳にする言葉だ。

 しかし、すぐに『魔導書ベスティアリ』に封じられた知識が流れ込む。


 お留守番――

 留守番とは、『館や城の主の外出時に、そこを管理する番人』のこと――。



「お留守番……番人……」

 ヒズルは、声に出してみる。

 自分には家は無く、保護者はバシュラールだ。

 バシュラールが自分を管理しているとして……

 つまり『マリーレイン』は、自分の『番人』と云う事だろうか。



(バシュラールが、どこかに行く……?)

 微かな不安に駆られ、伺いを立てようと振り返る。

 バシュラールは鍋の柄を持って立ち、不動でこちらを見ていた。

 自分に敵意を持つ存在を現れたら、バシュラールは直ぐに駆け付けてくれる。

 だから『マリーレイン』は敵では無い、とヒズルは悟る。

 

 『イセルテ』も「私は敵では無い」と言った。

 白い髪に翠の瞳を持つ女性たちは、総じて味方と断定して良いだろう。

 けれど、バシュラールの口から事情を聞きたい。

 ヒズルは『魔導書ベスティアリ』を抱え、高く伸びた草の隙間を駆ける。





「今夜、仲間と会う。帰るのは明朝になる。その間、マリーレインと過ごすんだ」


「出掛けるの?」と云うヒズルの問いを、バシュラールは素っ気なく受け流した。

 鍋から視線を動かさず、煮詰まった蜜をスプーンですくい、トレイの上でひと口大に丸めて並べる。

 バシュラールが戻ることに安堵したヒズルだが――疑問は立て続けに生まれる。

 

 バシュラールには、複数の仲間がいる――

 『アンクウ』なる彼らは、どのくらいの数が存在するのか――

 彼らは移動しながら、『シン』を倒しているのか――

 それは、いつまで続くのか――

 

 

 だが――ヒズルの困惑の表情を見ても、バシュラールは意に介さない。

 マリーレインに鍋とトレイを渡すと、髪を羽根のように大きく広げ――消えた。

 その様子は神々しく、やはり『天使さま』そのものだ、とヒズルは見惚れる。

 彼が居るから、自分は青空の下を歩いている――。

 故郷の街のことも……恨みやわだかまりは無い。



「あーあ。無愛想ぶあいそ

 マリーレインは、ぶいっと頬を膨らませる。

「君に、『いい子で待ってるんだよ』とか言えば良いのにね」


「いえ……いいんです。僕も何も言わなかったし」

 正しくは、「行ってらっしゃい」を言うタイミングを逃したのだが――

 ヒズルは、銀色のトレイを覗き見る。

 固まりかけた金茶色の『露玉つゆだま』が、縦横たてよこに綺麗に並んでいる。

 バシュラールには不要な物なのに、自分のために作ってくれている……。

 


「さて、続けよっか」

 マリーレインは足を折って座り、鍋に残っていた蜜を丸める作業を続ける。

「そうだ。君、お昼ごはんは食べた?」


「干した魚と野イチゴを」

「それだけ?」


「はい……」

 ヒズルは俯く。

 正直、干し魚では満腹にはならない。

 けれど、動物を狩る気にもならない。

 バシュラールなら、苦しめずに即死させられるだろう。

 それでも、嫌だ。

 以前に見た鹿の親子を思うと、肉は口に出来ない。



「了解。では、お姉さんがお魚を焼くね! 釣りしよっか」

 マリーレインは、微笑んだ。

 自分が、狩りを嫌っていると察してくれたらしい。

 胸を撫で下ろし、緊張を解く。

 マリーレインも、バシュラール同様に親切だ。

 信頼しても大丈夫だ、と確信した。

 

 




 この世界の、昼の時間は長い。

 月が見える時間は、太陽が見える時間の半分ぐらいだ。

 今も――空は暗さを増せど、地平の向こうの太陽は残照を放っている。

 果てを流れる雲は淡い紅色に染まり、えも言われぬ美しさだ。

 傍らの草が揺れ、薄茶色の野うさぎが駆けて行く。

 故郷に無かった色鮮やかな情景に出会う度、ヒズルの瞳と心は驚嘆する。

 それでも――生まれ育った街が好きだった。

 祖父や父と暮らした家が懐かしい。

 あの石の寝床に横たわり、眠りたい――。


 思い出に心寄せつつ、固まった薄金色の『露玉つゆだま』を革の小袋に入れる。

 鍋とトレイは、一夜もすれば分解消滅する。

 バシュラールの髪から生成した物だからだ。

 彼が纏う衣装は汚れないから、それも生成した物だと思う。


 マリーレインのドレスのスカートにも、縫い目が全く無い。

 皺も寄らず、不思議な光沢がある。

 バシュラールの例からすると、彼らの衣装は一夜では消滅しないようだ。

 身に付ける物は、何らかの能力で維持しているのかも知れない。

 

 

「ルンチッチ♪ ルンチッチ~♪」

 マリーレインは口ずさみながら、髪一本を結び付けた木枝の竿を川の中に垂らす。

 バシュラールも、同じように自分の髪を釣り糸に使う。

 餌を付けなくても、釣り上げられるらしい。

 そのうち、普通の糸での釣りを教わろう、とヒズルは思っている。



 やがて、マリーレインは細身の魚を三匹を釣り上げた。

 けれど――

「あああああ~。あたし、やっぱ内臓と血が駄目ええええ!」

 石に魚を乗せ、自己生成したナイフを素手で持った彼女は大袈裟に叫ぶ。

 それは少しばかり滑稽であったが――


「……代わります」

 ナイフを受け取り、ぎこちなさが残る手つきで持つ。

 魚の口と尻尾は、まだ動いている。

 生きている。

 それでも――横目で「ごめんなさい」と謝りながら、魚にナイフを入れた。

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