3話 女神はサイコロを無視する
「兄ちゃん、『
ターバン男は、木製の古びたコップを掴む。
「コップに三個のサイコロを入れ、三度揺すり、テーブルに伏せる!」
ターバン男は、その通りの動作をして見せた。
「そして、そぉおおお~っと持ち上げる!」
コップの下から現れたサイコロ三個の目は『1』『4』『5』である。
「二人が交代でサイコロを振り、出た目の合計が多い方が勝ちだ!」
「何回、それを繰り返すんですか?」
バシュラールは、何も知らぬ気に問い返す。
「七回でどうかね?」
中年男が、六個のサイコロをバシュラールの前に移動させた。
「友よ、好きなサイコロを選びたまえ。仕掛けがないか確かめてくれ」
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
バシュラールはサイコロを一個ずつ手に取り、眺め、その中の三個を選んで自分の前に置く。
中年男は残りを三個を、バシュラールの正面に座るターバン男に渡した。
そしてコップを一つ、バシュラールの前に移動させた。
「では、勝負を始めよう。友よ、君が先攻でいいよ。一回ごとに、攻守が変わる」
「分かりました。よろしくお願いします」
バシュラールは軽く会釈し――サイコロをコップの内側に落とした
軽く回し、テーブルに伏せ置き、持ち上げる。
出た目は、『2』『4』『6』だ。
「ほう……では、オレの番だな」
ターバン男は小馬鹿にしたように言い、勢いよく同じ動作をする。
出た目は、『1』『2』『3』である。
ターバン男たちの目が点になった。
見ていた泥酔客たちが爆笑する。
「ぎゃはははははははは!」
「ツケが回りやがったな、バリス!」
「よっしゃ! 兄ちゃんが勝つ方に銀貨二枚だ!」
「まだまだ……今度は、こっちが先攻だ!」
ターバン男は鼻をしかめ、コップを振ったが――
出た目は『1』『1』『4』である。
「そんなバカな!?」
ターバン男の声がひっくり返る。
蟻の動きを観察する如く、サイコロを覗き込む。
バシュラールは、それを無視してコップを振り、伏せた。
出た目は、『3』『6』『6』だ。
観客は大盛り上がりである。
「兄ちゃんに、銀貨三枚!」
「負けろ、負けろ、バリス、負けやがれ!」
ターバン男(バリスと云う名前らしい)との勝負で、金を巻き上げられた男たちは歓喜し、罵声を飛ばす。
中年男と編笠男は大口を開け、六個のサイコロを眺めている。
「今度は、僕の先攻ですね」
バシュラールは、ちょっと嬉しそうにコップを振る。
出た目は、『1』『2』『2』だ。
「ははは……
ターバン男は少し平常心を取り戻し、サイコロをコップに放る。
「オレの勝ちだああああ!」
そしてコップを上げた時、観衆は雨雲が吹き飛ばんばかりの声を上げた。
『1』『1』『1』の目が、
ターバン男は、石のように固まった。
「おい、バリスの野郎、漏らしやがった!」
「みっともねー!!!」
「
男たちは勝利の歓声を上げ、三階に泊まっている良い身なりの夫婦も、階段に姿を見せた。
男たちの声が、三階まで届いたのだろう。
「バリスが負ける筈ないっ!」
編笠男は、顔面蒼白で立ち上がる。
バリスのサイコロは、勝負が始まる直前にスリ替えた。
それぞれの目に描かれた数字は――
『1』『2』『3』『5』『5』『6』。
『2』『3』『4』『5』『6』『6』。
『2』『3』『5』『5』『6』『6』。
すなわち、二回目の勝負の時点で、『1』が二つも出るのは有り得ない。
しかし、この場でバリスのサイコロを確かめることは無理だ。
バレたら、周りの連中に何をされるか分からない。
「勝負を続けませんか?」
バシュラールは、微塵の悪意も感じられない声で言った。
「ああ、俺が代わりに続けるっ!!」
編笠男は、ターバン男を椅子ごと突き飛ばす。
開いた場所に移動し、のほほんと座っている若者を見た。
こんなお坊ちゃまに尻尾を振るなど、プライドが許さない。
だが、彼と対峙した瞬間――彼の美しい碧い瞳に、『虚無』の片鱗が見えた。
その瞳は、かつて――自分が殺した師匠のそれに似ていた。
命が消えた後の――光を映さず宿さず、まるで底無しの穴のような瞳だ。
。
編笠男は、激しく悔いた。
世間知らずな顔付きの若者は、『羊の皮を被った得体の知れない何か』だと悟る。
プライドと命を天秤に掛け、プライドを選択するほど愚かなことはない。
編笠男は上半身を折り、テーブルに額を押し付けた。
負けを認め、勝負を下りる所作である。
客たちの勝利の大歓声に、『月の里亭』は揺れた――。
ヒズルの衣類やブーツを入手したバシュラールは、部屋に戻った。
少し大きいだろうが、人間の子供の成長は早い。
括り紐で調整すれば、何も問題はない。
他は――出立前に、パンと水割りのワインを少し分けて貰う。
燭台の蝋燭に明かりを点け、静かに眠っているヒズルの下着を取り替えた。
濡れた下着を洗うべく、丸めて持って部屋を出ると――老修道士が立っていた。
茶色のフード付きクロークに身を包み、柔和な表情でこちらを見上げている。
フードから少しばかりの白髪がはみ出ており、窪んだ瞳の色は
「修道士さま、ごきげんよう。一昨日は、ありがとうございました」
バシュラールは丁重に礼を述べた。
一昨日、ヒズルに解熱薬を処方してくれた人である。
「弟の熱は下がりました。旅支度も整いましたので、明朝に出立いたします」
「……いや、皆が就寝した後に発ちなさい。皆が目覚める前に……」
老修道士は、やるせない声で囁く。
「
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