2話 謀りごと
翌朝も、雨は止まない。
勢いは少し収まったが、陰鬱な音は窓を打ち続ける。
窓を少し開き、見上げた空の色は――昨日の昼と同じだ。
厚い雲の蓋に、すっぽりと覆われたかの如く。
ヒズルの熱は、少し下がった。
まだ朦朧としているものの、背中の
痛みも和らいでいるようだが、自力歩行には数日を要するだろう。
明け方に飲ませた『
バシュラールは、明朝に宿を発つことにした。
今日中に、ヒズルの旅支度を整えねばならない。
まずは、今朝の宿の状況を観に行くことにする。
三階の個室は、半分ほど埋まっている。
そのうちの二部屋から――男と女が営む気配がする。
雨続きで、他にすることも無いらしい。
二階は、壁で仕切られていない大部屋である。
ベッドと積み上げた藁が並んでいる。
銭に余裕のある者はベッドを使い、そうでない者は藁の中で寝る。
客たちは酔いつぶれているのか、大きな
異国の帽子を被って壁際で寝ている男がいた。
横の壁には濡れたマントが吊り下がっている。
昨夜、馬車で訪れたのは、この男かも知れない。
一階に降りると、広間中央の囲炉裏には、鉄鍋が掛かっていた。
若い女中が、その中のスープを掻き混ぜている。
「あら、お目覚めですか?」
女中は手を止め、礼儀正しく挨拶をしてくれた。
金茶色の髪の娘で、齢は十五を過ぎたぐらいだろう。
着古した茶色のドレス姿で、長い髪は三つ編みにしている。
「ちょうどスープが温まったところです。お部屋にお持ちしますよ」
「ありがとう。今朝は弟の食事は要らない。林檎の搾り汁だけ欲しい。自分で持って行くから」
「分かりました。すぐに用意しますね。その間に、お顔など洗ってください」
女中に勧められ、外に出る。
張り出した屋根の下に、横長の洗い場がある。
横には水瓶があり、洗い場の中には木桶が三個並んでいる。
小さなタオルで顔を拭くと――茶色のマントを着た男が、厩舎に走って行く。
昨日も、この時間に厩舎に向かっていた使用人だ。
今朝も、厩舎の掃除をするのだろう……。
広間に戻ると、女中が深皿にスープをよそっていた。
「はい、朝食です。どうぞ」
「ありがとう」
礼を言って食事を入れた編かごを受け取り、三階の部屋に戻る。
ヒズルは眠ったままだ。
朝食はライ麦パン、香草と豆とカブのスープ、ビールと林檎の搾り汁。
余裕のある客は、金を渡してスモークした鹿肉を追加するらしい。
バシュラールは朝食を淡々と処理し、ヒズルに林檎の搾り汁を飲ませる。
カラになった編かごを廊下に出し、ヒズルの世話をする。
ヒズルは眠ったままだが、痛みは消えたようだ。
朝より、熱も下がった。
ひと安心していいだろう。
そして――夕刻。
バシュラールは一階に降りた。
夕食時は酒が提供され、広間が混み合う時間帯だ。
逗留している商人たちから、旅支度を入手する必要がある。
ランプの明かりに照らされた大広間は、熱気で溢れていた。
白いクロスを被せた丸テーブルが並び、その上にスープ皿、コップ、パン、干した果物が乱雑に並んでいる。
テーブルに陣取る男たちはそれらを脇に寄せ、ゲームに興じていた。
笑い声、下品なスラング、罵声が縦横に飛び交っている。
使用人の男たちに混じって、亭主夫妻が給仕をしていた。
若い女中では、酔客の相手は無理だとの判断だろう。
バシュラールは、あるテーブルに目を付けた。
商人三人が、サイコロゲームをしている。
テーブルの前に立つと、三人はギロリと目を剥いた。
恰幅の良い中年、ターバンを巻いた痩身、東方の編笠を被った初老。
酒臭い息がバシュラールの鼻を突いたが、臆せずに言う。
「弟の旅支度を整えたい。商品を売って欲しい」
そして、モスグリーンのチュニックの内側に手を入れる。
サイドスリットから、ベルトに結び付けた巾着袋を見せる。
紐を少し緩めると――中から銀貨が覗いた。
男たちは、顔を見合わせて頷いた。
世間知らずの
「おお、友よ。まずは交渉だ。そこに座りたまえ」
中年男は両手を広げて笑い、ターバン男が隣のテーブルに座っていた男から椅子を奪い取り、ターバン男との間に置いた。
バシュラールは微笑み、椅子に腰を下ろす。
「弟は……11歳だ。肌着や靴下、
「兄ちゃん。我々は、商品を抱えている訳じゃない。街を渡り歩き、そこで買い付けた商品をそこで売る。少しは商品を持ち歩いているが、街で買うより値が張るよ?」
「構わない。今、必要だ」
「……それよりも、勝負しないかね? 兄ちゃんが勝てば、商品は
編笠男が、木製のサイコロを六個、テーブルにバラ撒く。
バシュラールは、サイコロに描かれた『目』を見つめ――訊ねた。
「それでは、貴方たちが損をするのでは?」
すると、男たちは爆笑した。
周りのテーブルの連中も、何事かと集まり出す。
亭主の妻は眉に皺を寄せ、彼らに近付こうとした。
しかし、その後ろに居た男が彼女を呼んだ。
「おい、
その時には、バシュラールたちのテーブルの周りは、人の壁が出来上がっていた。
割り込む隙など無い。
亭主の妻は嘆息し、諦めてカウンターに向かう。
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