5話 終焉の眷者

 うごめく『塊』から飛び出したは、地にうずくまっている。

 ヒズルと同じような黒いはだは、浮かんでは消える泡のように鼓動している。

 その表面には、白い顔と手首の先が浮かんでいる。

 天使さまのような、二本の脚の形も。

 

 

 は、ゆっくりと顔を上げた。

 天使さまや『女神さま』を思わせる顔であるが、二つの瞳は泉の水よりも黒い。

 天使さまとは、明らかに外見が違うのだが――それを上手く表現できない。

 だが、ヒズルは警戒心を解いた。

 これは敵ではない、害を与える存在ではないと――何かが教えてくれる。

 

 ヒズルは、『お母さん』から受け継いだはだに触れた。

 が纏う黒いはだは、『お母さん』のはだに似ている。

 触れてもいないのに、そう感じる――。

 

 

 懐かしい感慨に捕らわれたヒズルは、「お母さん」と呼んだ。

 すると――は立ち上がった。

 黒いはだの中から抜け出すように――

 黒いはだの裾を引き摺りながら――

 黒いはだと一体化している髪を波打たせ、二人に近寄る。



「……来たか……アンクウ……」

 は言う。

 ヒズルが聞いたことの無い高さの声で。


「……そなた、名は在るのか?」

 の鋭い黒い瞳は、天使さまを見つめた。

 天使さまは、無言で頭を少し振る。

 その直後、天使さまの御髪かみは翼のように逆立った。

 

 天使さまは右腕を空に掲げる。

 翼のような御髪かみの一部分が千切れ、腕に絡みつく。

 それは、たちまち細い棒状のものに変化した。

 それを握った天使さまは、斜めに構え――逆の手をヒズルの肩に当てる。


 あの時――自分を助けてくれた時に見たものは、だと知った。

 天使さまは、翼の一部を変化させられるのだ。

 変化した棒の先端は尖っている。

 相手に害を与えるものだと理解するのに、時間は掛からなかったが……



「……何の真似だ? 人質か?」

 の声には――静かな怒りと諦めを感じる。

「……『シン』たる私を倒し、街を消すか……死を紡ぐ『アンクウ』の眷者けんじゃよ」


 の声は、風さえも止めるかのように重く轟く。

 間を置かずに、は叫ぶ。


「この街が滅びるのは分かっておろう!?」

「その子の後に産まれる者はいない! 母体となれる者は、もういない!」

「なぜ、放って置いてくれないのだ! 静かに滅ぶことを許してくれない?」

「……街の者たちに罪は無い! 先人たちの罪を贖う義務は無い……」




 

「……僕の過ちだ。ヒズルを助け、食物を与えた」

 の慟哭が静まると――『アンクウの眷者けんじゃ』は、謝意を告げた。

 

 その瞬間――ヒズルには、の顔が、驚きに歪んだように見えた。

 向き合う両者の白い髪と黒いきぬは吹き荒ぶ風にも乱れず。

 髪は逆立って揺れ、きぬは息づくように揺れる。



「……なぜ、その子を助けた?」

「……分からない」


 ヒズルは、囁き合う両者の隙間に戸惑いを見い出す。

 共に、自らの行いの答えを出せていない……。



 しばしの沈黙の後――は唇を噛んだ。

「……そなたの発した匂いに反応した私も……悪いのか……」

 は、瞼を少し閉じる。

「……もう一度、訊く。そなた、名は在るのか?」


「無い」

 彼が答えると、の白い唇の端が上がった。

「……泥細工だな、お前たちは。私は『テオドラ』だ……自分で名付けた」


 『テオドラ』は揺れる前髪を手で弾き、ヒズルに語り掛ける。

「ヒズル……そなたを切り離す。その男と共に街を出よ」


「え?」


「これを持て……」

 『テオドラ』は、はだの内側から、石板を出した。

 ヒズルが落とした石板である。


 『テオドラ』は片手で石板を持ち、もう片手の手で石板の表面に触れた。

 石板が青く輝き、その形が少しずつ変化し始めた。

 不思議な現象に、ヒズルは驚愕する。

 

 やがて『石板だった物』の表面は濃い碧色に変わり――『テオドラ』の白い手が、それを撫でる。


「……これを身から放すな。手を伸ばした範囲の外に出してはならぬ」


 『テオドラ』は身を屈め――ヒズルに、それを手渡した。

 爪の先で表面を捲ってみると、それは軽やかに開く。

 内側は、白い薄いかみが幾重にも重なった物体だ。


「そなたの命を支える魔導書――『ベスティアリ』だ」


 『テオドラ』は立ち上がり、険無き表情で語る。

「そなたの見たもの、聞いたこと、感じた全てが『魔導書ベスティアリ』に刻まれる。世界が、どう進むかは私には分からぬ。そなたは世界を歩き、『魔導書ベスティアリ』の空白を埋めよ。全ての空白が埋まりし時に、そなたと世界が存続していることを祈ろう……」


「……ベスティアリ……?」

 受け取った『書物』の感触に、ヒズルは驚く。

 白く薄いかみを包む、碧く厚いきぬ

 その表面には、見たことも無い色彩の『文字』が刻まれている。


「『魔導書ベスティアリ』は炎でも燃やせぬ。アンクウどもの太刀タチでも切れぬ」

 テオドラの漆黒の瞳が、微かに揺れ――濡れる。

「そなたが生き延びれば、この街は滅びたことにはならぬ……生きよ……」


 そして彼女は……太刀タチを持つ彼に、手を差し出した。

太刀タチを置いて行け……我が身の始末は付けられる。その子を頼む……」


「テオドラさま!?」

 ヒズルは叫ぶ。

 状況が全く理解できないが、この人が自らの意思で『死』を選んだことは確かだ。

 この人が何者であれ、それを見過ごせない。

 手前に駆け寄り、白い顔を見上げる。

 けれど、彼女は両手を首元で組み、穏やかに微笑む。


「彼が私を見逃しても、他の『アンクウ』が来る。その前に……」


 

 それを聞いた彼は、彼女の足元に進み出て、片膝を付いた。

 太刀タチを置き、『女神さま』にかしずくように頭を垂れる。

 

 白い髪が風に舞い上がる。

 黒い髪が地に広がる。

 

 その姿に――ヒズルは『女神』と『天使』を見た。

 とても高貴で、とても悲しくて……美しい、と思った。

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