第19話
翌朝になると、あれだけ荒れ狂っていた空は、成層圏まで抜けてしまいそうなほどの晴天となっていた。湿った土臭さとともに、そこいらに生暖かな湯気が立ち昇っていた。
嵐による騒音でよく眠れなかった隣の主婦が、午前六時半という彼女にしては遅めに起床した。顔を洗い、身支度を五分ほどで済ませ外へと出た。庭先に転がった植木鉢やゴミなどに罵声を浴びせながら加工場の前へとやって来た。
「あややや、なんだいこれは。空爆かい、空爆」
閉鎖されて久しい加工場前面の入り口が破壊されていた。シャッターがひしゃげて、ゴミやガラクタ類、その他が散乱し、ひどいありさまだった。
「あやー、臭いねえ。生臭い。鹿が死んでんじゃないの。こっちはタヌキかい。なしてこんなに動物がいるのさ」
死んだ動物の多さと臭気に顔をしかめながら足を踏み入れた。だが、すぐに出てきてしまった。「クマだ、クマだ」とわめいて敷地内を走り回る。三分ほどしてから戻ってきた。恐る恐る内部を窺い、息を止めて一歩二歩と足を踏み入れた。
「あらまっ、千夏っちゃん」
ひどく散らかされた場内で倒れている千夏を見つけた。意識を失っている彼女を外まで引きずり、ケイタイで救急車を呼んだ。サイレンの波が押し寄せてきたころ、千夏はようやく意識を取り戻した。消防車と警察も到着し、現場は騒然となった。
生きている者全員が気を失っていたが、助け出されるとすぐに覚醒した。皆が怪我を負っていた。
啓介は下半身麻痺の症状があり、骨も数か所折れていた。
有紀は両腕を失っていた。切断口に白いキノコが鈴なりになっており、救急隊員が触れるとすぐに溶けて跡形もなくなってしまった。不思議なことに、キノコが生えていた傷口は出血が完全に止まっていた。
智也は足首の片方が骨折し、もう一つは切断されていた。同じく出血はなかったが、なぜか焼け爛れており、眠りから覚めると激痛でのたうち回った。
目が覚めても一二三は泣き続けていた。首の骨が折れてしまった義男は、救急救命士が処置をするまでもなく、すでに絶命していた。
異常に発達した低気圧が大嵐を引き起こした夜、ヒグマに追われた鹿やその他の野生動物が使われなくなった元水産加工場に入り込み、たまたまそこに寝泊まりしていた人間を巻き込んで騒乱状態となった。
五名の怪我人と一名の死亡者を出し、動物の死骸が多数となった。正式にはそう発表されたが、単独行動が主なヒグマが数頭で、しかも周辺のあらゆる野生動物を巻き込んでの獣害事件ということで、様々な憶測を呼び込んだ。車や機械類が徹底的に破壊さているなど不可解な点が多く、とくに有刺鉄線の破片が散らばっていたのはオカルト的な想像を掻き立てた。都市伝説としてネットの一部で騒ぎになるが、忘れられるのも早かった。
事件後しばらくして、新藤家の敷地において水産会社が復活した。
千夏の夫である新藤秀一が、新会社を設立したのだ。出張先でたまたま練り物のアイディアを思いつき、試しに作って販売したら、そこそこの評判となった。大ヒットとまではいかなかったが、商売を始める決心を押すほどに夢を持たせた。夫婦で貯めていた預金をすべてつぎ込んで、零細ながらも水産加工場を再生させたのだ。
「今月も、なんとかやってこれたな」
「大きな注文がほしいね。ネット販売ばっかりだし、再来月はちょっと苦しいかも」
「営業部長が大口のお客さんをとってくるって、息まいているからな。期待しようか」
「そうね、一二三さんならやってくれそう」
新藤家の食卓で夕食をとりながら、夫婦が話をしていた。
「正直言って、障碍者雇用助成金に助けられているのもあるな。あれがないと満足に給料もだせないよ」
「そうね。有紀さんと智也君には、なんだか申し訳ないけど」
有紀と智也は、社員として㈱新藤水産の加工場で働いていた。失った足は義足で、腕は義手で作業しているが、効率が悪いのは否めない。加工品を作る主力は新藤夫婦となるが、彼らがどういう素性のものであれ、存在というだけでも会社に貢献できることもある。籍を入れて若夫婦となった有紀と智也は、会社の寮にて自炊生活をしていた。
「おじさんは歩けるようになったんだっけ」
「うん。長かったリハビリも終わりそうだって喜んでたよ」
大怪我だった啓介は千葉に帰り、しばらく入院していた。幸運にも、下半身の麻痺は免れたようだ。
一二三は、口の達者さを買われて営業部長の地位を得ている。大した成績をあげているわけではなかったが、物おじしない性格と意外にも情に厚い人間性は、まだまだ若輩な新藤夫妻には心強い存在となっていた。寮では有紀と智也の世話を焼き、格安で買った小さな仏壇に、毎日語りかけることを欠かさない。
霊能力者のミイラがあった部屋は、滅茶苦茶に荒らされていた。壁に貼りつけてあった絵も、干乾びた彼女の遺骸もなくなっていた。持ち去った誰かを、千夏は知っている。
「はあ~、商売の神様でも来てくれないかなあ」
椅子に座ったまま、大きく体を伸ばして秀一が言った。
「七福神の誰かが舞い降りてくれないかなあ」
夫の愚痴に、千夏がくすくすと笑う。
「大人の神様が忙しいなら、子供でもいいんだけど。座敷童とか」
「あらあ、子供ならいるわよ」
トントンと、千夏が足先で床を叩いた。秀一が妻のお腹を見つめる。
「我が家の王子様が生まれてくるまで、会社があればいいけどなあ。よし、頑張らなきゃ」
千夏は妊娠していた。すでにお腹が大きくなっており、出生前診断で男の子であることがわかっている。精神状態が良くなり、以前のように安定剤を飲むことはなくなった。
「なにいってんの、女の子よ。ものすご~く、おてんばなお姫様だけど」
そう言って、トントンとまたもや足先で床を叩いた。千夏がなにを言っているのか見当がつかず、秀一は愛想笑いをしていた。
夫婦が食事をしている床下に、逆さにへばり付いている者がいる。真っ暗闇の中で、幼い顔が不敵な笑みを浮かべていた。つぶらな瞳が、ギラギラと光っていた。
おわり
めいっ子、りん子 北見崇史 @dvdloto
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