第14話

「おわあ」とか「きゃあ」とか叫んだのは夫婦のみで、有紀と智也は静かだった。

 その代わり、顔は路面に白線を引いたように真っ白であり、蛍光灯の光量がか細いため、なおさら不健康に見えた。

「なんだ、いまのは。ここどこよ、パチ屋の駐車場か」

「なして駐車場で溺れるのかねえ。おっかしいさ」

 あまりにも手ごたえがある体験だったので、夫婦は興奮していた。

「うるさい、おまえら黙れ。しゃべるな、殺すぞ」

 ヤクザのような口調は有紀であり、智也は蒼白のまま黙っていた。

「また夢を見せられた。だから」あまり騒ぎ立てるなと、血走った眼が言っていた。

「なんだ、夢か。よりによって夕張のパチ屋で溺れるって、なんだかなあ」

「あたしの夢も同じだよ。あそこは時給が安くてさあ。便所なんかハエだらけだったし」

 夫婦らしく、一つの夢の中にいたようだ。

「わたしのは、わたしのじゃない。あれはフィクションだから信じるな」

「僕のもそうだ。おそらく、あの子供が作ったデタラメなんだ」

 自分が体験した夢を、そこにいる全員が共有していたと、有紀と智也は考えていた。

「なんのことだ。あんたらもパチ屋でやられたくちか。いなかったけどな」

「あのパチンコ屋はスロットがぼったくりなのさ。店長が仕込んでいたねえ」

 自分たちの夢を夫婦に見られていないとわかってホッとした有紀と智也だが、もう一人の人物にはしっかりと観察されてしまった。

「智也君。あの女の子はどうしたの。割れた鏡でケガをして、ただごとじゃないよね」

 その言葉に智也は硬直する。次に千夏は有紀のほうへ、そして義男と一二三を見た。

「あなたは、お父さんにめぐまれなかったのね。とても痛ましい。おじさんとおばさんは、若いころとちっとも変わらない」

 千夏だけが皆の夢に係わっていた。彼女はしっかりと見ていたのだ。

 有紀が智也を見た。据わった眼玉は灰黒色で温度がなく、唇だけ動かして声にはならぬ冷酷を発していた。

 智也は首を振って、否の意思表示をする。無茶をするなという意味だ。

有紀が大きく息を吸い込み気合を充填した。能力の切っ先が誰に向かっているのか、智也にはわかっていた。

 連れのサイキックが人間相手には効かないのを知っていたが、さっきは見事にカニ蜘蛛を粉砕した。なぜだがわからないが、異質な物理能力を獲得していることを理解していた。

 イヤな予感があった。

「ダメだ、やめろ」

 サイキックが突き出した右手は千夏をポイントしている。それを見るや、彼女の傍にいる義男と一二三が頭を抱えてしゃがみ込んだ。「はあーっ」とカラカラに乾いた声を張り上げる。

 千夏の背後になにかが見えた。胴長の女児が大仰に腕を振り回し、短い足をちょこまかと動かしながら迫って来る。床に這いつくばった義男の背中を踏み台にしてジャンプすると、尻を向けながらすっ飛んできた。

「ぐはっ」

 りん子の得意技であるヒップアタックが、有紀の顔面にぶち当たった。後ろに智也がいたので背中の衝撃は緩和されたが、顔には相応の被害が出た。鼻がひしゃげて、その周囲が腫れあがった。りん子はそのまま走って、加工場へ行ってしまった。

「姉ちゃん、たのむからいきなり脳張力はやめてくれや。吐くのはイヤなんだよ」

「でも、後ろからあの子供が来てたんだから、しょうがないっしょ」

 りん子が接近してきたので、有紀が能力を使って闘ったが、あえなくやられてしまったということになった。

「しっかし、ガキのケツって硬いんだな。姉ちゃんの鼻がひん曲がってるべや」

「あの子はバケモノなんだから当然だよ。あんたのやわケツとは違うさ」

 意識を失うまではなかったが、有紀は朦朧としていた。曲がった鼻の骨を、義男が遠慮なく元に戻した。短い悲鳴で我に返り、カラシが効きすぎたように苦い表情だった。少し離れたところにいた千夏は黙って見ていた。

「千夏さん。りん子ちゃんは妹さんですよね。あなたが小学生の時に凍った川に落ちて亡くなった妹さんです」

 いきなり智也が核心をついてきた。夫婦が少し驚いた表情をするが、すぐにウンウンと頷いた。夢を見られたことを払拭するように、相手の事情へとすり替える。

「違う。りんちゃんは妹の娘よ。千沙の娘。千沙はちゃんと結婚したんだよ。そして女の子を産んで、家族でちゃんと暮らしてるの。りんちゃんはめいっ子だから」

「なあ奥さん。オレたちの夢を奥さんが見たなら、オレたちも奥さんの夢を見たんだ。ちっさいガキんちょが、凍った川に落ちたんだ。あれは奥さんの妹さんだろう」

「事故で妹さんが死んでしまったんだねえ。いつまでも想ってるから、成仏しないで出てくるさ。あの世から出てくるからバケモノになるんだよ。奥さんにも原因があるさ」亭主とは違い、一二三はなかなかに辛辣だった。

「違う。りんちゃんは妹じゃない。めいっ子だって言ってるでしょっ。ふざけないで」

 千夏は強情だった。キーキーと語尾が跳ね上がっている。

「あの子をなんとかしねえと、奥さんがえらいことになるんだぞ。その脳張力の姉ちゃんじゃねえけど、もうとり憑かれてんだ。放っておいたら、変な夢見せられて狂っちまうぜ」

「りんちゃんは夢なんか見せない。あの子は優しいの。人を傷つけたりはしないし、私を助けてくれるんだから」

「奥さんなあ、げんによう、この姉ちゃんは鼻を潰されたぞ。すげえ暴れるし」

「悪いのは、りんちゃんじゃない。あなたたちよ」

 千夏の厳しい眼差しは、おもに若い二人に向けられていた。智也は緊張した顔で受け止め、有紀は千夏を睨んでいる。鼻は定位置に戻っていたが、その周囲はぷっくりと腫れあがって変色していた。

「きぃぃぃー」と奇声を発して、千夏が走り去ってしまった。突然の奇行であり、呆気にとられて見送るしかなかった。

「まいったな、こりゃ。奥さん、完全にやられてるみたいだ。ありゃあ正気じゃねえぞ」

「あんた、ここにいたらヤバいよ。逃げたほうがいいんじゃないのさ」

「まあ、そうだけど、奥さんをあのままにしとくのもなあ。あれをまだ頂いてねえし」

「それがあったよねえ」

 出ていくにしても、夫婦の所持金は数千円と小銭だけだ。腰が逃げかけていた一二三も、そのことを考えて眉間に皺を寄せている。

「おい、おまえらどこに行くんだ」

 智也が有紀を支えて歩き出し、無言のまま自分たちの部屋へ入ってしまった。

「なんだか辛気臭くて頼りにならない超能力だねえ」

「チッ、使えねえ奴らだ。しゃあねえ、オレが行ってナシつけてくるか」 

「あんた、まさかバケモノと話をする気なのかい」

「おうよ。死んじまったのは、まあしょうがねえとしてな、いつまでもお姉ちゃんにまとわりつくなって説教してやる。ちゃんとした大人が言えば、すなおに成仏するだろうが」

「そんなに簡単にいくもんかい。きっと祟られるよ」

 義男は平気な顔をして歩き出す。一二三は、二度ほどため息をついてから後に続いた。

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