第4話

 千夏は、キャンパーカップルを加工場に併設された従業員の寮だった部屋へと案内した。

「元栓をひねっておいたからトイレは使えるよ。あと、お風呂は母屋を使ってね」

「お風呂までいただいちゃっていいんですか。お金とかないんですが」

 親切に慣れていない若者の心に、戸惑いと警戒が浮かびあがる。

「遠慮しないでよ。うちのお風呂は最新式だから、誰かに自慢したいの。なんだったら、りんちゃんと一緒に入ってもらっても楽しいと思う。ああ、でも男の人はダメよ」

 両手を交差させて大きな×を作ると、智也は愛想笑いだが、有紀の表情は固かった。ポーズをキメた千夏は、満足そうに腰に手を当ててニッコリとする。

「じゃあ、お布団持ってくるから」

「僕たちは寝袋がありますから」

 これ以上の厚意を心の負担にしたくない智也は、もっともらしい理由をつけて遠慮する。

「ちょいとイケメンさん、あなたはカッタ~イ床で寝たくても、女の子はちゃんとしたお布団で寝たいんじゃないのかな。と、これでも女の子の私は思うのよ」

 有紀が、うんうんと頷いていた。彼は心に重荷を増すしかなかった。

「では、お言葉に甘えます。それと僕もいきますよ。二人分の布団って重いから」

「そうね、男手があったほうがいいかな。てか、私だけじゃムリだわ」

 千夏と智也が布団を取りに元水産加工場を通過している。寮がある建物は加工場の端にあって、外玄関がない。内部を通って母屋へと向かった。

 採光窓からの明るさだけなので、どことなく薄気味悪い雰囲気があった。いまは動かなくなった加工機械類が、すぐにでも大音響を奏でて唐突に動き出すのではないかと、気弱な者は妄想してしまうだろう。 

「この加工場って、どんな魚を加工してたんですか」

「サケ・マスとか、スケソウダラとかだったかな。季節で獲れる魚が変わるから、冬なんか、おっきなミズダコもやってたっけ」

「スケソウダラって、あんまり食べないですよね」

「あれはタラコをとって、身のほうは練り物よ。カマボコとかチクワの原料ね」

「チクワって美味しいですよね。賞味期限間近の半額をよく買います」

「っもう、若者よ、もっと美味しいものを食べなさい。ていうか、稼ぎなさい」

「それは有紀にも言われます」

 和やかな会話である。知らない人間とは話したがらない千夏であったが、今日はテンションがいい感じに上がっていた。

「ほら、あれが練りものの機械よ」と言って、少し先の陰った場所にある機械を指さした。

「ええっと、なにかいますね」 

「え、マジ」

 野良犬でも侵入したのかと、千夏は顔をしかめた。ヘタに近づいて噛まれたくないので、その場から動かずに目だけ凝らしていた。そして、何かではなく誰かを発見する。

「りんちゃん、なの」

 りん子がいた。練り物機械の前で、なにやら忙しくアクションしている。

「あの子、なにをしてるの」

「なんか、踊っているみたいですけど」 

 りん子が踊っていた。安酒を飲みすぎた中年男がバカ騒ぎするみたいに、腰を前に後ろに、右や左にフリフリし短い腕を振り回している。演じている本人ではなく見ている者に羞恥を抱かせるような、滑稽な踊りだった。

「わっ」

 突然、音楽が鳴りだし、智也が十センチほど浮き上がった。大音響ではなかったが、薄暗くて寂しい空間には、ほどよく響いていた。

「ちょっと、この音楽はなんなの」

「え、ええーっと、アニソンですね。びっくりしたー」

 国民的アニメのテーマソングが流れていた。

「ラジオっぽいですね」

「どうしてラジオが。それより、あれえーっ」

 素っ頓狂ともいえるほどの大声を千夏があげた。

「動いてる。練り物が動いてるって」

 千夏が隣にいる智也の肘のあたりをつかんで、ホラホラと引っぱっていた。機械が動いていることに、どうして驚いているのか不思議だったが、彼はすぐに理解することとなる。

「あれは」

 カマボコの練り物機械は大釜に向かって三本の棒が突き出し、それを回転させることで魚の身を練る仕組みだ。回転速度は変えられるが、粘っこい大量のすり身を練りきるために、モーターは情け容赦なく強力である。誤って腕などを突っこんでしまったら、ただちに巻き取られて粉々にされてしまうだろう。

「ちょ、ちょ、やめ、りんちゃん、あっ」

 なんと、りん子はそこに腕を入れたり出したりして遊んでいるのだ。しかも、体はあくまでも踊ったままである。

 三本の練り棒が唸りを上げながらその能力を増大していた。それぞれ高速回転する十数センチのすき間に腕を出し入れするのは、非常に難易度が高い。コンマ一秒でもタイミングが狂えば即座に腕が巻き込まれ、首を掻き毟りたくなりそうな惨劇を目撃しなければならないだろう。

「りんちゃんっ、お願いだから、止めてっ」

 千夏は、そう言うのが精いっぱいだった。最悪を予想してしまい一歩も進めなかった。見ているだけで心臓が千切れてしまいそうなほどの危機一髪、絶体絶命な場面であった。

 そんな卒倒寸前の保護者など意に介さず、りん子の調子はすこぶる良かった。プラスチックケースに乘って、ラジオのアニソンに合わせて踊りながら、まるでシャドウボクシングをしているかのように夢中だった。

 千夏は凍りついたままだが、智也はそろりと動き出していた。慎重に歩を進め、ダンシング女児の背後に来ると、練り物機械のスイッチ類を探した。背中の気配を、りん子は気にもしない。死と破壊の境界線上で、危険な遊戯をひたすら楽しんでいた。

「これかな」

 智也が停止ボタンを見つけて押した。回転と唸りがただちに止まり、りん子のダンシング・シャドウボクシングも合わせてフェードアウトした。

「あああ」

 へたり込むようにして、千夏が腰を落とした。意義のある仕事をやり終えた智也は、大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。

 遊びを邪魔されたりん子は、仏頂面をしている。プラスチックケースから飛び降りると、好青年の向う脛を蹴って走り去ってしまった。

「あ、痛っ」

 七歳の女児とは思えぬ健脚だった。少しばかり顔をしかめ、それでも自嘲気味に笑みを浮かべる智也のもとへ千夏がやってきた。

「智也君、ありがとう。もう、あんまりにも怖くて、心臓が口から出そうになったわ」

「いま、本人からもお礼をもらいました。足はちっちゃいんですけど、かなり痛いです」

「りんちゃん、元気すぎる子だから」

 ごめんなさいと謝罪をした。智也は、千夏の笑顔とともにありがたく頂戴する。

 りん子は魚のケースを滑らせるローラーコンベヤーの上を滑ったり、プラスチック樽の中に身を収めた状態で転がったりと、アクロバチックでエキセントリックな遊戯を披露していた。推奨できない遊びであるが、喫緊の危機が去ったので、保護者はいくぶんホッとしながら監視をしている。

「この工場、まだ動くんですね」

「配電盤は生きてるって、旦那が言ってたっけ。だけど機械が動いたのを見たのは久しぶり。びっくりしちゃった」

「照明も、なんとか点くようですね。それとラジオも」

 智也が壁にある照明のスイッチを押すと、天井付近が弱々しく灯った。ついでにラジオの場内放送も消した。

「りんちゃんを連れてくるから、ちょっと待っててくれる」

「いいですけど、一人で大丈夫ですか」

 りん子は加工場内を走り回っていた。ダンスをしている時と同様に、まったく勢力が衰えていない。

「へいきへいき。すぐだから」

 千夏がいざ捕獲に乗り出そうとするとき、智也がためらい気味に声をかけた。

「あのう、こんなことを言うのもなんなんですが」

 シャツの袖をまくり上げてやる気を見せていた千夏が立ち止まる。

「あの子は珍しいタイプなので、そのう、あまりかまわないほうがいいと思います」

 言葉を選んで慎重に言っているようだが、千夏の表情が少しばかり曇った。 

「男の子顔負けの暴れん坊だからね。力もあるし。でも、そういう子もいるのよ」

「そういうのではなくて、なんというか、あれに触れすぎてはいけないという感じで」 

「ええーっと、智也君はあんまり子供が好きではないのかな。りんちゃんを、あれとか言っちゃってるし。本人が聞いたら、きっと悲しむと思うよ」

 柔らかい言い方ではあるが、それ以上の無礼は看過できないといった目つきだ

「すみません。そのう、なんていうか、まあ、僕は子供が苦手かもしれません。変なことを言ってすみません。すみませんでした」

 智也は何度も謝った。千夏は気にしていないというように、肩を軽くたたいた。 

「じゃあね、お姉さんがちょっくら捕獲してくるから、待っててね」

 千夏はあっちこっち走り回って、ようやくりん子を捕まえた。まだ遊び足りないのか、めいっ子はイヤイヤをするが、大きな声で注意されて諦めたようだ。加工場から母屋へと連行される。

 台所でりん子に朝飯を食べさせているうちに、千夏は客用の布団を用意した。智也と共に母屋と寮を二往復し、二人分の寝具を運んだ。有紀は手伝いもせず傍観していた。

「寒くなるかもしれないから、いちおう、毛布も持ってきたほうがいいかな。大雨になりそうだし。北国の夏をナメたらあかんぜよ」

 肩を怒らせて名セリフを吐き出す千夏は笑みを浮かべていた。

「すみません。なにからなにまでお世話になって」

「いいのいいの。その代わり、あとでやんちゃなちびっ子の相手をしてね」

 半分冗談のつもりだったが、有紀の顔が強張った。智也は血の気のない愛想笑いを浮かべた。千夏が上機嫌で布団を敷き始めた横で、カップルはヒソヒソ話を始める。

「驚いた。本人はまったく気づいてないよ。これって、よくないパターンだね」

「そうみたいだ」

「あそこまで顕現しているのは、どうなのよ」

「どうって、わからないよ」

「きっと手強いと思う」

 会話を聞かれないように、二人は千夏に背を向けて壁を眺めるフリをしていた。

「それにしても、智也のセンサーは相変わらずビカイチだね」

「よろこんでいいのかな」

「いいでしょう。いつものことじゃないのさ」

 有紀は高揚気味だが、智也は浮かない表情だ。

「あれ、放っておいたらヤバいことするよ」

「いや、あれはあんがい害がないと思う」

 有紀が思い描く結論に、智也は自分の希望的観測を上書きする。

「断言できるの」

「やるなら、僕たちが来る前になにかしているんじゃないかな。いまのところ、とくに危険っていう状況じゃないし。あんがい、千夏さんには無害なのかもしれない」

「え、私がなに」

 ちょうど布団を敷き終えたタイミングで、外の強風も一瞬止んだ。その場の空気が抜けてしまう。自分の名前は、千夏が有している情報のなかでもっとも愛着のある言葉なので、他のなによりも敏感だった。

「いや、そのう、千夏さんにはお世話になりますよ。こんなにも親切にしてくれて」

「そうそう、わたしたち、いっつもテント暮らしですから。おふとんで寝るのって、久しぶりで感激なんです。千夏さんの親切に感謝です」

 もっともらしいことを言うが、二人の目はかすかに泳いでいた。

「不景気で、すっかり世知辛い世の中になっちゃったもんね。私が子供だった頃は、バイク旅の人ってけっこういたんだけど。あら、誰だろう」

 遠くで誰かが叫んでいるように聞こえた。千夏は、屋外に人の気配を感じとった。寮には窓がないので、そこから確認することはできない。

「お客さんみたい。今日は多い日なのかな。安心できないよ、嵐なのに」

 ちょっと行ってくると言って、千夏が出て行った。かび臭い部屋に残されたカップルは、あれこれ言いながら寝床の具合を確かめていた。

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