立ち食いそば

長船 改

立ち食いそば


「いやー参った。寒い寒い。」


 僕は手をせわしなくこすり合わせながら暖簾をくぐった。


 とある駅構内の一角にある立ち食いそば屋。時代の荒波に逆らうかの如く、木造で、扉も無ければテーブル席もない。あるのはL字型のカウンター席のみという、実に質素な作りの店である。

 カウンターの奥では、色のくすんだ白の割烹着を着たおばちゃんが3人、せっせとそばを作ったり丼を洗ったりしている。

 店の名前は知らない。「駅そば屋」と、子供の頃からそう呼んでいる。


「かけ、いっぱいね。」


 注文をすると、おばちゃんが「はいよ」と言いながら、もうそばの湯切りを始めている。いつそばを茹で始めたのやら。ベテランの妙技か、それともただ雑なだけなのか。どちらにしても、それが、いい。

 そして僕は僕で、その隙に冷水機にコップをあてがい、水を注いでおくことを忘れない。駅そば屋は効率が命なのだ。


「はい、かけね。」


 目の前、カウンターの一段高い所に丼が置かれた。さすがに早い! 僕はそれを手に取って自分の側、カウンターの低い段の方へと移した。


 ほかほかと立ちのぼる湯気。それが出汁の匂いと混ざって鼻腔をくすぐり、僕はもうたまらなくなってしまう。


 割り箸を割って、口の中を整えるために少し水を飲む。そして七味を手に取ると、ぱっぱっとそばにかけてやった。

 子供の頃には出来なかった事。そばに七味をかける事。このぱっぱっ、という作業をするたびに、あぁ自分は歳を食ったんだなぁと実感する。


 手を合わせて、いただきますと、そう小声で呟いて。

 そばを箸でつまみ上げ、息を吹きかけ吹きかけ一気にすする!


 ……あぁ、この食感!


  口の中でさしたる抵抗もなく、簡単にちぎられていくこの駅そばの食感がたまらなく好きだ! うどんの持つもちもち感ではこの食感は達成できまい。もうひとつ言えば、今日のような震えるほどの寒さの日に、うどんでは熱を帯び過ぎて、正直僕には食べづらいのだ。その点でもそばは優秀だといえよう。


 ふぅふぅ。はふはふ。んん、美味い。


 とか何とか思っている間に、麺をあらかた食べ尽くしてしまった。続いて、まだまだ温かい丼を手に取りツユをズズズッとすすってゆく。たまに口の中に入ってくるネギの食感を楽しみ、ぴりぴりっとした七味の辛さを楽しみ、底にたまっているそばの切れ端は、箸を使って残さず口に流しいれてやる。


 ふぅっと大きく息をして、丼をカウンターの高い所に戻す。それを見たおばちゃんが、瞬時に丼を回収する。


 顔が火照っているのが分かる。額には汗をかいていた。懐もまるでカイロを仕込んだように温かい。


「ごちそうさまー。」

「280円ね。」

「じゃあ300円で。」

「はい、20円お釣り。」

「ありがとー、美味しかったー。」

「はい、ありがとねー。」


 店に入ってから出るまでわずか5分足らず。僕は今、とても満ち足りた表情をしているに違いない。手を組み合わせると、あの丼の熱がまだ残っていた。

 

 さぁ、行こうかな。


 僕は歩き出して……

 ふと立ち止まり……

 後ろを振り返った。


「そういえば……あの店のおばちゃんたち、ずっと見た目が変わってないような……?」

 

 駅そば屋のおばちゃん、おそるべし。

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立ち食いそば 長船 改 @kai_osafune

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