第十五話 手がかり

第十五話 手がかり

 

「……首が、痛い」


 山道を走ることおよそ十分、僕らを乗せた車は病院の駐車場に到着した。

 田舎の割にはそこそこ大きな建物で、看板には『御縁クリニック』と書かれている。

「大丈夫。ここ、病院だから」

 ……言われなくても見りゃわかるよ。

「いやぁ、すごかったねぇ。かなちゃんの車に乗ってたら、無敵の三半規管ができそうだよ」

「公道をレース場と履き違えているような運転に、よくもまぁそんなポジティブシンキングができるもんだね、夢咲さん……。あと三分同じ運転されていたら、僕、吐いてたと思うよ」

「大丈夫。ビニール袋、常備してる」

「さっきから何が大丈夫なの⁈」

 ……なんでドヤ顔なんだよ。

「本当君たちは仲がいいね。……とりあえず、まずは碧ちゃんを連れて行きたいんだけど、澪君、ちょっと車の中で待っててもらえる?」

 バックミラーを見て軽く前髪を整えながら、奏先生が聞いてきた。

「あ、わかりm」

「え、澪君も連れて行こうよ」

 普通、連れていくでしょ、みたいな顔をして、碧は奏先生に言う。

「保護者じゃないからダメ。……ごめんね、澪君、三十分ほど待たせるね」

 そう言いながら運転席を降りて、ほら行くよ、と手招きした後、月夜に白衣を翻し、奏先生は病院の入り口の方へ歩いていった。

「やっぱダメか……。ちょっと行ってくるね」

 続いて碧が助手席を降りて、奏先生を追いかけていった。

 カチャンッ、とロックがかかる音がした。


 ……さて、三十分の間、僕は何をしようか。

 車の後部座席に一人、特にすることもなく。

 ぼーっと外を眺めるにしても、数室に電気がついている病院の建物と、切れかけた街灯にたかる羽虫たち、あとは遠くの山々くらいしか見えるものがない。

 今頃、あの病室のどこかで、碧は診察か治療かをしているのだろうか。

 …………確か、碧はあと一年しか生きられないんだよな。

 余命一年。

 ……の割には、活発的だけれど。本人から何も聞いていなければ、あと一年生きられるかどうかなんて、想像することさえしないだろうに。

 一体彼女は、何を抱えているのだろうか。


 僕はスマホを開いて、検索エンジンに『余命一年 病気』と入力した。

 案の定、表示された検索結果には、僕が求めている答えはなさそうに見えた。

 『余命宣告を受けたら』『家族が余命宣告をされた時』『余命宣告は当たらない』

 うんざりするほどに、同じような内容のブログやホームページが列をなす。

 どれもこれも、現況の絶望に無理やり希望を見出すような往生際の悪さを、さながら悲劇のヒロインの如く、言葉巧みに感動ポルノへと昇華させている。

 こうして読んでいると、死は誰にも平等に訪れる、決して避けることのできないものだということを、最近の人類は忘れているんじゃないかとさえ思えてくる。元来、死はただの日常の一部分なのに。何も特別なことじゃないはずなのに。


 結局、数種類の感動ポルノと健康推奨事業のページを読んでわかったのは、余命宣告をされるのは、大半が、大抵が、ガンということだけだった。

 なら、彼女、夢咲碧はガンなのか。

 それも、摘出不可能な、末期のガンなのか。

 ……いや、待て。

 今、余命が一年なのであって、もっと前から、例えば二年前とかに、すでに『余命はあと三年です』と宣告されている可能性があるのではないか。

 そうなるともう手詰まりだ。いくら考えても意味が無い。


 振出しに戻る。

僕の知的好奇心も萎えてしまった。

 まだ十五分しか経っていない。何もすることがない待ち時間は、どうしてこんなに長く感じるのだろう。

 連絡する相手もいなければ、SNSの類もしていないし。

 睡眠も車両内で十分にとった。

 暗い車内で浴びるスマホのブルーライトに、そろそろ目が痛くなってくるころか。

 もう一度窓から外を覗く。

 帰ってくる気配は、微塵も感じられない。

 時間を確認すると、夜の九時を過ぎていた。


 ……そういえば、僕が部屋で荷造りしているとき、碧が親と通話していなかったっけ。

 ……もしかして、今日から僕は…………いや、待て待て。

 とりあえず会うのが先、とか言われてなかったか?

 奏先生は、多分碧の母親ではない。……と思う。髪色とかすごく近かったけれど。もしそうだとしたら、碧は奏先生のことを『かなちゃん』ではなく『お母さん』と呼ぶはずだ。電話でもそうだったし。

 つまり僕はまだ、碧の親とは会っていない。遭遇も面会もしていない。だから今日、僕が碧の家に泊まることはない。


 …………だったら今夜僕は、いったいどこで眠るんだ?


 嫌な予感を振り払うように、楓町の宿を検索した。

 あぁ、もう。もっと早くスワイプしろよ、指。

 三つの旅館を見つけた。ホテルは無かった。

 一番安くて一泊一八〇〇〇円だった。

 慌てて財布を取り出して中身を確認する。所持金、七二二二円。

 他にもっと安いところはないか、もう一度確認する。

 ……なかった。

 もしかしたら一八〇〇円の見間違えかもしれない。

 旅館のホームページに戻る。


 『当日予約は受け付けておりません。誠に恐れ入りますが、前日までに予約をお願いします』


の太文字が、とどめを刺した。


 ……………………うん。…………うん。

 そもそもの話、何もかもが急すぎたんだ。

 この町に来るのだって今日の夕方に決まったことだし、僕も寝床について何も考えていなかったし、だから碧を恨むようなこともしない。

 それに、死のうとしていた人間が、何を今更寝床如きで狼狽えることがあるというのだ。

 野宿だろうと何だろうとやってみせるさ。

 夏だし。

 なるようになる。

 …………。


 息を多めに吐いた。

 なるようにはならない。詰んでいる。

 八方ふさがりだ。どうしようもない。

 時間は午後九時ニ十分。

 もう十五分も経っていた。二人はそろそろ戻ってくるのだろうか。

 投げ出されたスマホの画面で、出会い系であろう広告バナーのモデルが、執拗に谷間を強調している。

 それが不愉快で、ページを一つ戻す。意味もなく、ニュースランキングの真ん中あたりを読んでみた。

 『願いが叶う⁈十五年前、一世を風靡したロックバンド【琴ノ刃】の、闇に消えた幻の歌を徹底考察!』

 歌一つで願いが叶うなら苦労しないだろ。

 『闇』とか『幻』とかホント好きだね。


…………どうやら僕は、インターネットに向いていないのかもしれない。

 ささやかな逃避もむなしく、小学生でさえ信じないようなフィクションによって、僕は現実へと引き戻された。

 戻ってきたところで、万事休すなのは変わらない。幻の歌とやらを聞けば、ふかふかのベッドで安眠できる夜を得られるのなら、全面的に前言を撤回するから聞かせて欲しい。

 このままだと本当に野宿をせざるを得なくなる。

 ……覚悟を。決めなければならないのかもしれない。

 …………………………。


 車のロックが開いた音で、我に返る。

 重たい足取りの二つの小さな影が、だんだんとこちらに近づいて鮮明になった。

「お待たせ、澪君」

 助手席のドアを開けて、碧が言う。

 その後ろで奏先生が、僕に向かって手をヒラヒラさせて、

「ごめんねー。思いのほか、長くなってしまってね」

 と声を張った。

 二人が車に乗った瞬間、僕は我慢が出来なくなって、つい口を開いてしまった。

「あの……。僕、今日、宿とってなくって、泊まるところがないんですけど……」

 しばしの静寂が訪れた。

 てっきり何かしらのレスポンスがあると思っていた僕は、その静けさに怖気づく。

 碧の顔を覗くと、数コンマ秒遅れて気まずそうに目を逸らされた。

 ……え。

「……マジ?」

 奏先生の顔が、引きつっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る