第十四話 二人目の赤髪

第十四話 二人目の赤髪

 

「着・い・た・よ!」

「…………ん」

 着いてた。楓駅に。

 どうやら僕は、電車に揺られながら約二時間、ずっと眠っていたようだ。

 僕と碧以外の客はすでに全員降りてしまったようで、空っぽになった車両に引っ掛けたスロープの端で、楓駅の駅員であろう男性が気まずそうに待機していた。

 おぉ、すごく恥ずかしい。

 瞬きで二度寝できそうな眠気も一瞬で吹き飛んでしまった。

 すみません、と言いながら、なるべく駅員と目を合わせないようにして、僕は電車を降りた。


 ……何はともあれ。

 とうとう上陸してしまった。

 これまで駅名しか知らなかった楓町に、知り合いの一人もいない楓町に、今僕はいる。

 プラットホームのエレベーターへ向かって車いすを漕ぎながら、覚醒途中の脳みそで緊急会議が開かれた。


 えっと…………これからどうすればいいの?

 結局なんでここに来たんだっけ……?

 寝ぼけた頭で、寝ぼけたことを考えた。

 今の僕の状況の説明を僕自身にするために、とりあえず踏切のあたりから追想する。

 三分ほどずっと思い返してみたけれど、結局、うまく思い出せなかった。

 確かに、振り返ってみれば、なんとなく碧のペースに乗っかってついてきたわけで。


 確固たる具体的な理由を持って、僕はここに来たわけじゃなかった。


 だからだろうか。

 これから自分がどうしていくのかを自分自身が把握していない恐怖に今更襲われた、とでも言おうか。

 僕は碧に、聞いてしまった。

「あの……夢咲さん」

「ん?なに?」

「僕……。これからどうすればいいんですか……?」

 それまで進めていた足をはたと止め、まんまるな目をさらに丸くして、碧はこちらに振り向いた。

「え……?……どうするもなにも、私と遊んでもらうために来てもらったんだよ?」

 何当たり前なこと言ってんの、みたいな顔で、碧は言った。

「どうすればいい、なんて、私と遊んでくれたらいいんだよ?」

 頭でも打った?常識って知ってる?みたいな顔で、続けて言った。

「えっ……と、……は、い、わかりました」

 ……僕がおかしいのか?

「……でも、遊ぶって言われても、何をするとか何も聞いてないんだけど……」

「大丈夫。私、死ぬまでにやりたいこと、ちゃんとリストアップしてあるから。あとで教えるね」

 駅員に会釈をしながら改札を出て、ふぅ、と軽く息を整えた後、碧はせかせかと一方向に向かって歩き出す。その数歩後ろを僕がついていく。

 楓駅はそこまで大きくない駅だったので、碧が向かう先が駅の出口であることはすぐにわかった。

 控えめな人の往来の中、碧が引っ張るキャリーケースを追いかける。枳町より幾分か深い夜空が、だんだんと僕の視界を侵食していく。

 田舎の夜空は星が綺麗、と聞いたことがあるけれど、かろうじて二等星が視認できるくらいで、特段綺麗だとは思えなかった。或いは、楓町は田舎ではないのかもしれない。

 夏の大三角を見つけて、そういえばアルタイルとベガって彦星と織姫だよな、デネブは何なんだろう、とか柄にもないロマンチシズムに浸っていると、隣の碧が声をかけてきた。

「……どうよ、田舎の星空は。澪君の住んでる枳町は夜も明るいからあんまり見えないんじゃない?」

「……うん。僕も田舎の星空だからと少しだけ期待して眺めたんだけど、特に感動は感じないよ。というか、枳町の方が綺麗なまである」

「澪君って目も悪かったっけ」

「そういう言葉遣い、気を付けた方がいいよ」

「枳町の夜空の方が綺麗、とか、思ってもいない郷土愛よりかはマシですぅ」

「綺麗じゃんか。地上の星空が」

「……うわぁ、夜景のことそう呼ぶんだ、キモ」

「そういう言葉遣い、気を付けた方がいいよ」

 こういうどうでもいい会話は続くのになぁ。

 はぁ、とため息をついて、碧の方を見やる。


 夏の夜の風が、碧の髪の毛をさらさらと揺らす。

 とりあえず僕は碧についていくことしかできないので、碧の次のアクションを待っているのだけれど。

 彼女は、駅から出て僕と星を眺めてから、どこかに向かう素振りもなく、ただずっと、僕の隣で夜空を仰いでいた。

 すっかり脱力した様子だ。わざわざしゃがんで、目線を僕と同じ高さにして。

 きっと疲れているんだろう。

 少しだけ荒くなった息遣いを聞いて、そう思った。


 しばらくして、碧が立ち上がった。

 僕もすぐ動けるように、ハンドリムに手をかける。

 くるりとこちらを向いて、碧は口を開いた。

「お待たせ。迎え来たよ」

 その言葉の直後、二つの白いライトが僕たちを照らした。

 その光の眩しさに、僕は咄嗟に目を瞑る。

 ゆっくりと目を開くと、スポーツカーのような背の低い中型車が、ハザードランプを点滅させて停まっていた。

 黒く艶のある車体は、車の知識なんてコマーシャルで流れる程度のことしか知らない僕でさえ、高級車だとわかるほどの妖艶さを放っていて、思わず見とれてしまう。

 ……もしかして碧って、どこかの名家のお嬢様だったりする?

 軽快な足取りでその車に近づく碧に、そんな疑惑の視線を送ったが、碧は一向に介さず、運転席に座る人影へ話しかけた。

「かなちゃん、こんなカッコいい車も持ってるんだね!」

 少し乱暴に、ドアが開いて。

 碧と同じくらいの髪の長さで、碧より十センチほど背の高い女性が。

 白衣姿の女性が。

 車から降りながら、半ばあきれた様子で、碧を叱りつけた。

「もうっ!六時には帰ってきなさいって言ったのに!」

「だから、色々あったんだってば」

「碧ちゃんの命にかかわるんだよ?もうちょっと考えて欲しいよ」

「お説教は電車の中のでお腹いっぱいですぅ」

「もうっ!……色々言いたいことはあるけれど、とりあえず車に乗って!」


 やり取りの後、碧が助手席に乗り込むまでを、僕はただ三メートルほど離れたところから傍観していた。

 会話の調子からして、結構親密な仲なんだろう。

 そんなことを考えていると、かなちゃん、と碧が呼んでいた白衣姿の女性が、頭を掻きながら僕に近づいてきた。

 そして慣れた様子で、近すぎないちょうどいい距離で、しゃがむ。

 しゃがんで、僕と同じ視線の高さに目を合わせて、

「私は、碧ちゃんの担当医で、御縁奏みえにしかなでって言います。君のことは、事前に碧ちゃんから聞いているよ。よろしくね。澪君」

 と言った。

 未だよく状況が掴めない僕に、簡潔な自己紹介をしてくれた御縁さんは、続ける。

「私のことは、奏先生、って呼んでね。……早速なんだけど、澪君も車に乗ってくれるかな。詳しいことはまだ聞いていないし、ここに置いていくのもなんだしね」


 僕は絶句していた。

 車のライトに照らされた奏先生の髪の毛は、碧よりも濃い赤髪だった。

 踏切の時に碧の髪の毛を見た時も驚いたけれど、白衣を着ているせいか、コントラストが一層際立っている。赤と白を纏う人間がよりにもよって医者だというのだから、尚面白くて、うまく言葉が見つからない。

 そんな僕をお構いなしに、奏先生は後部座席のドアを開いた。

 丁寧な手招きに吸い込まれるように、僕は車いすを進めて、座席に座る。

 車いすをたたんでトランクに収納するまでの奏先生の動きを、ずっと目で追っていると、碧から声がかかった。

「……もしかして、タイプ?」

 ……別の意味で言葉を失った。

「たしかにかなちゃん、綺麗だもんね。うんうん、私も惚れそうだもん」

「……まぁ、綺麗だとは思うけれど、タイプではないよ。……夢咲さん以外で、今日の間に、赤い髪の毛の人と会うとは思ってなくって、びっくりしただけだよ」

「ここだけの話、かなちゃん、彼氏いないらしいよ」

「……僕の話聞いてた?」

 運転席に奏先生が戻ってきた。

「……今日初めて会ったっていう割には、もうずいぶんと仲がよさそうだね。でもとりあえず、親睦を深めるのは後にしてくれると助かるな」

「……はぁい。澪君、絶対、手すり離しちゃダメだよ」

「…………え?」


 僕が言葉の意味を問う間もなく、今まで感じたことのない加速の発車で、車が走り出した。

 一度頭をぶつけた後、慌てて手すりを掴む。

 奏先生の髪の毛が、前かがみになった僕の前に靡いて、微かに消毒液っぽい匂いが、僕の鼻腔をくすぐって。

 二センチほどの隙間を開けた車窓から入った湿った風が、その匂いをさらっていった。

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