100話 なにを夢見たか

「ねえお母さん。おれのこと好き?」

「もちろんだよ。ほら、ぎゅーしよっか?」

「ん〜!する」


 これはいつの記憶だっけ。

 真っ暗な空間で、底面から浮かび上がってくる空気のように、ぷくりと昔の記憶が浮かんできては弾けて消えていく。


 おれはいつも人に、愛されたいと思っていた。

 もちろんそれは母さんにも、アイカにも、他の兄弟にも。

 もう、家族を失いたくなかった。……どうしてだっけ。失ったことがあるんだっけ?

 失いたくなかったし、見捨てられたくなかった。どうしてそんなことを考えるんだろう?そう思うと、また呼吸が苦しくなってきた。こうやって、人より手がかかるから。

 産んだ親たちが、産まれてきてしまった子供が持病持ちだからと懸命に看病するのは、なんとなく理解できるのだ。だって、そう産んでしまったのは自分たちだと思うだろうから。実際はそんなの関係なかったりするのにね。じゃあ、おれの場合は?おれは母さんの子供じゃない。なのに、あの人はおれのことを大好きだというのだ。どんなに熱を出しても、見捨てたりしないのだ。仕事だから?でも人間、仕事なんてサボるじゃないか、一生懸命やるかと言われたらきっと全員が全員そんなことはない。学校だってみんなサボって、遊んでばかりなのに、ちょっと責任が生まれたくらいでは誰もそんな真摯に取り組むような大人に育つわけがないだろう。じゃあ、あの人はどうしてこんなにもおれと向き合ってくれるの?


『……人間はそんな、損得感情や利害や責任感だけで付き合っていくわけじゃないよ。キミだって、そうだろう?』


 ゆらり、と人影が見えた。顔がはっきりと見えないけれど、多分……うん、きっと知らない人だ。知らない人だとおれは、思い込まないといけない。


「それでも、罪悪感は覚えるよ……」

『それは、キミがうまく人間との情を結んでいけてる自信がないからだろう?』

「そりゃ、そうだよ。おれは見てくれだけの優しい人間だから」


 ミタカくんは優しいね。今まで何回かその台詞を聞いてきた……あの人たちは何を根拠におれを優しいというのだろう。優しいと思われるようなことをしただろうか?ただただ、大人しくてヤンチャをしないから優しいと思われてただけじゃないだろうか。ちょっかいを出さないだけじゃないか?……ほら、おれなんて実際は付き合う価値もなんもない人間だ。


『言ったろ、人間同士の関係って、確かに損得も関係してくるし、付き合いやすい相性もあるけれどさ……そんなものじゃない。同じ空間で生きてるだけで、好きとか嫌いとか、そんな簡単な言葉で表せない関係になっていくものじゃないか』


 そうかもしれない。けれど自分はそんなもので愛してもらえるような人間でも、ない。人より手がかかって、人より面倒だから。


『そんな風に、すぐ結論づけてしまうのは悪いくせだよ……ああ、こうはなりたくなかったんだけどな』


 こうはなりたくなかった?なにを?


『理由付けして、わかった気になって酔いしれて。本当は自信がないくせにそうやって自己暗示をかけて……やりすぎると見失うよ?』


 だって、嫌でも考えてしまうじゃないか。そうでもしないと、置いて行かれるような人間じゃないか。


『真崎弥孝、お前はどうしたい?』


 おれは、どう。


『お前は、そんな露悪的に、簡潔に、物事を悪く捉えて語るためにいるんじゃないんだよ。……疲れたんだよ、そんなことに』


 疲れた?それは自分も思う。こうやって、ずっとずっと罪悪感を抱えて、人の感情を推量して、理屈付けして。理屈なんていくらでもあとからつけようがあるのだ。結局のところそれはいいわけだ。


『お前は、綺麗な綺麗な世界を信じて。おれはそうなりたかったんだ。もう一度やり直せるならば』


 やり直す?なにを?



────────……。





 ちゃん、……っちゃん。


「みっちゃん、大丈夫か?」

「……にーちゃ……」


 視界に飛び込んできたのは、兄貴の姿だった。どうして?仕事じゃないの?今日は何曜日だっけ。


「よかった……生きてて……」


 生きてる?そりゃあそうでしょうよ。……あれ、そういえばおれどうしてたんだっけ。見えるのは無機質な天井の石膏ボードと、自分を取りかこむように閉じられている黄緑のカーテン。ああ、これって病室だ。そういえば顔のあたりが重い。妙に蒸れるような感覚、口周りが少しかゆくて、なにかにあたる……これは酸素マスクか。


「発作起こして倒れたんだ……大丈夫か?」

「……それは、大丈夫じゃないと、思うんだけど」

「そりゃそう……だな。とにかく目を覚ましてくれてよかった。息苦しさとかは?」

「だいぶ、まし……」


 少なくとも意識を失ったときよりはだいぶ楽だ。苦しいなりに息は吸えている。


「……アイカは?」

「ちょっと外で休んでる……何があったか、はやっぱり聞かないほうが良いか?」


 何だっけ、物騒なものを額に当てられて、知って死ぬか、知らないで生きるか選べって……それを言ったらアイカが銃刀法違反とか脅迫罪で捕まっちゃうか。15だしな。じゃあ、聞かれちゃ困るな。


「口論になって……ちょっと動転して、気失っちゃっただけ」

「そっか」

「ここ最近熱上がったり下がったりで、調子よくなかったから」


 まあ、この状況でピンピンとしていられるような人間の方が珍しいだろう。身内が連続して殺されて、自分たちの命も狙われているかもしれなくて。他のことで頭を埋めていないと辛いから犯人捜しごっこで気を紛らわせているも同然なのだ。


「せっかくの機会だから、少し休め、な」

「そ……する」


 少なくとも病院の中まで犯人が入ってくることは考えにくいだろう。なら、ここにいる限り”自分の身”は安全だ。


「もう少し寝ていい?」

「好きなだけ休め」

「うん」


 自分が意識をまた投げ出したとき、シャっとカーテンが開けられる音がした。

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