95話 どれが箱庭か…②

「……自分にとって、母親以外の血縁は祖父だけだったんです。父方の人間は海外にいるし、会ったこともない。祖母にあたる人は、外に男を作って蒸発したって。父子家庭だからってしっかりしなきゃって思ったんでしょうね。男に溺れるようになる前まではバリキャリってやつだったらしいんですよ。女性でアメリカ赴任なんて任せてもらえるんだから」


 バリキャリ、海外赴任、彼の容姿……全ての点がようやく繋がってくる。どうにも変だと思っていたのだ、ハーフだというのに完全な日本人名なこと。要はきっと彼は俗にいう婚外子というやつだろう。


「赴任先で作った子供、籍も入っていないんです。ただ、オレがいることで金だけは入ってきました。ただ、金を大量に渡すという条件で、オレは父親に子供だと認められなかった。養育費と、口止め料。……学校のパソコンで父親の名前をネットで検索したことがあります。IT系の企業の社長で、英語で書かれていてほとんど読めないブログには、いかにもアメリカ人といった女性と、オレより少し年下の子供との写真がありました。母とは遊びの関係だったんでしょうね。アジア人の女をたぶらかして、うちの母親は恋愛なんて当時無縁で、騙されたんでしょう。祖父はもちろんそんな母のことも認めなかったし、きっとオレのことも好きじゃなかったと思います。ただ、血がつながっている以上、見捨てられなかったのかそれとも見てられなかったのか。大学の契約書も、奨学金の連帯保証人も……祖父が請け負ってくれたんです。あの人がどう思ってたかは知りませんが、オレは祖父に孫だと認められたかった。父親に認められずに、母親からの扱いも彼氏ごっこの延長で……」


 まるで他人のことを語るようだった。あたかも設定を知っている登場人物の経歴を語るような、そんな淡々とした喋りだった。


「公務員試験を受けようとして、どうしても母のいる吉住には戻りたくなくて、唯一縁のある安曇を受けました。受かって、じいちゃんのおかげだって言いたかったんです。そうしたら、少しは、孫だって思ってもらえるかもしれないって。……田舎の家って玄関の鍵閉めないじゃないですか。開けたら異臭がして、嫌な予感がしました。死んでたんです、じいちゃん。死後一週間、脳梗塞だって。その時対応してくれた市職員さん、オレが新人として入ってきたとき笑ってましたよ。あの時の男の子じゃんって……はは……」


 最後の方の声はだいぶ引きつっていた。言いたいわけじゃないのに言い出したら止まらないものだ。きっと彼はずっと誰にも言わずにこれを抱えて生きてきたのだろう。


「人の死体を見ると、祖父のことを思い出して感情が動かなくなるんです。……せめて自宅で死ぬのであれば誰かに看取られてほしいんです、誰にも看取られずに死ぬような人間、この世にいてほしくないんです。死体もまあ嫌だけど、一人で死んだって事実が……オレにはきつい」

「それならキミはそれこそ今回の事件から手を引くべきだ」

「でも、オレがやらないと、結局人が一人で殺されていくのをむざむざと見ていろって言うんですか」

「捜査も護衛も警察の領分だ。キミが下手に背負うことじゃない……背負う、ことじゃないんだけど」


 彼から、仕事を奪ったらきっと、それこそ彼は保っていられなくなるだろう。それに、捜査の担当者から外れたとことで、彼は首を突っ込むに決まっている。背負っていないと生きられないのは、自分だってそうじゃないか。


「休んだところで、毎日のように人が死ぬ夢を見る。寝ても寝ても気持ちが悪くて、薬を飲んだら胃が痛くなって。家の中にいると体がひどく重くて、何もできなくなる。カーテンの隙間から漏れる外の明かりすらうざったくて、毛布の擦れる音一つに神経がどんどんすり減って。でも、仕事をしている時はちゃんと皆がいうになれる」

「……」

「キミが言ったんだよ?周りの証言だって。オレはきっと彼らがいないとまともになれないんだ……仕事で関わっている人たちと、カオリちゃんがいないと、オレ、ダメなんだよ」

「……うん。そう、一人じゃ生きていけないから……」


 一人では生きていけないのに、彼はずっと一人で生きてきたも同然だったのだ。それなら、彼は人間じゃなく神様でいたほうが良かったのかもしれない。誰にも内面を晒すこともないまま、そもそも苦痛に本人も気が付くこともないまま、ただただ人に奉仕するだけの生活をしていたほうが彼は幸せだったのかもしれない。


「……キミはキミが思っているよりも、きっと空っぽな、なにもないような人間じゃないと思うんだ」


 きっと今の彼は、空っぽだと思い込んでいる自分と、本当は醜い自分との間を揺れ動きすぎているのだろう。きっとこの間までは本当に彼の中で自分は空っぽだったのだ。そのパンドラの箱を開けてしまったのは事件かもしれないし、少しずつ無意識に開いていたのかもしれない。なんならこの間おれが無理やりこじ開けてしまっていたのかもしれない。けれど、彼くらいの苦痛と優しさを持っている人間が、なにもない平面の世界で生きているわけがない。それならきっと、彼がいまこんなに苦しむはずもない。


「少し遊んでいかないか?作業して頭をいっぱいにするのも、もしかしたらいいかもしれないかなって」



 奥の物置から、昔遊んでいたおもちゃたちを引っ張り出す。昔、と言ってもおれがこれにハマっていたのは確か高校生の頃だったと思うのだが。


「おれ、昔はミニチュア作りにはまっててね。子供っぽく言うとお人形遊び、かな。公民館とかで建築模型ってあるだろ?ああいうのを自分で作ることにハマってたんだ」

「……建築も、詳しいんだ」

「建築ってほどじゃないよ。ミニチュアを作るのと実際に建物を作るのは大違いだから」


 スコヤにスチのり、本棚に挟んでいたスチレンボードもまだ使えそうだった。夢の国の柄の入ったお菓子の缶の中には、フォーリッジなど使いかけの部材が入っていた。


「箱庭療法。多分聞いたことくらいはあるだろ?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る