91話 なにが人か…②
「……買い物?」
「あっ……はい」
「ごめんね、土曜だからプライベートか。声かけちゃまずかった?」
「そんなわけじゃないんだけど、浅間くんこそどうして」
「散歩散歩」
最近よく寝られない上に、腰まで痛くなってきた。家を飛び出してきたときに買った、安いセットで8000円くらいの布団から卒業するべきかもしれないと、珍しく買い物に出歩いて家具屋を見ている時だった。マットレスと敷布団って何が違うんだろうと、目を細めながら寝具売り場をうろうろしていると、聞き覚えのある声がこちらにかけられた。
「布団買いに来たの?」
「買いに来たっていうか、見に来たっていうか。どうせ買うのは通販だから」
「えっ、買っていけばいいのに。善は急げっていうじゃない、送料もかかるでしょ?」
「流石にこれ担いで帰るのはなぁ、バスだし」
「車じゃないの?」
「免許は持ってるけどペーパーなんですよ。運転してないからゴールドってやつ。10年以上運転してないからレンタカー借りるのも怖くて、大きいものは基本通販」
ひとり身だと田舎でも別にバイクで事足りてしまうのだ。働きながらとるのは大変だろうと、大学のころに免許をとったはいいものの、少々持て余している。
「……送ろうか?おれは車だから、荷室空いてるし」
「いや、悪いって」
その厚意は大変ありがたいものなのだけれど、彼の家の事情を知っている手前、自分のために貴重なガソリン代を消費しないでもらいたい。
「あっ……そうだよね、家知られたくないよね、ごめんごめん」
「そういうわけじゃなくて、普通に悪いよ。ガソリン代だって高いし、遠回りだよ」
「一人も二人も変わらないよ。嫌じゃないなら乗っていきなって」
このくらいさせてほしい、と言いたげな笑顔で詰め寄られると確かに断れないというか、断らせないという圧まで感じる。まあ、助かることには助かるのだが。
「そこまで言うなら、甘えるけど……」
「やった!」
どうやら彼は家具にも詳しいようで、どの布団だとどうだ、枕がどうだ、と布団選びまで手伝ってくれた。
「寝られてないなら毛布重たいのにしてみたら?干すの大変だけど、冷たい空気はいりにくいから冬場温かかったよ」
「そうなの?軽いほうがいいものなのかと」
「まあそこは人次第らしいけど」
「でも確かにそのほうがいいのかな。オレ頭まで被んないと寝られなくて」
「えっ、酸素薄くて苦しくない?それ」
「若干苦しいけどその方が落ち着くっていうか」
「ふーん……」
そのままあれよあれよと色々と買い込んでしまい、なんどか屋上に停めてある彼の車と往復することになってしまった。いつも彼の家の庭に止まっている乗用車が、ショッピングモールに停まっているのはなんだか変な感じがした。
「なんか結局数時間もつき合わせちゃってごめん……」
「いやこっちこそごめんね!?なんか買わせちゃったみたいになっちゃった」
「というか時間大丈夫?4時にはお父さん帰ってくるんだよね?買い物とかあったんじゃないの?」
確か水曜と土曜にデイサービスを頼んでいたはずだ。そして送迎が4時以降だったはず。
「ん、気晴らしに店見に来ただけだから大丈夫だよ。あっ、でも帰りにスムージー屋寄って行っていい?」
「じゃあそれオレ出すよ、ガソリン代のかわり」
「いいの!?やった!」
フードコートの端にあるお店にそのまま連れて行かれる。慣れた様子で彼は注文していて、ユキくんはどれにする?なんて聞かれてしまったものだから、そんなに甘くなさそうなやつと頼んだら、レモンベースの野菜が多く入っていそうな体によさそうなものが出てきた。さっぱりとしていておいしかった。
「ごめんね、出してもらっちゃって」
助手席に乗り込んで、ドリンクホルダーつかっていいよと促されたので甘えて置かせてもらう。彼は運転席のエアコンの吹き出し口に自分でとりつけたらしいホルダーに、半分ほどまで減ったイチゴとモモベースのスムージーを置いた。
「このくらい全然、むしろこういう機会でもないとこういうおしゃれなの飲まないから」
「おしゃれかなぁ」
「おしゃれだよ。どうしてもオレは、自分には不相応だなって一人だったら買わないもの」
「いいじゃん、倹約家なのはいいことだよ」
「……倹約家っていうか、ただ物欲がないっていうか」
人が運転する車に乗ったのなんていつぶりだろうか。ゆっくりと屋上から降りていく。車体が斜めになって、後ろに置いてある布団や、彼の置いているぬいぐるみがずるりと少し動いた音がした。
「生きている気がしない」
「……」
「オレは結局、ずっと良くも悪くも目の前の状況に流されてきただけで、自分の意志でああしたい、こうしたいなんて思ったことなんて結局ないんですよ」
「それは、ユキくんがそう思ってるだけじゃなくて?おれからしたらさ、その仕事だって起きてる状況に対して自分の意志で決定しないと動けないように感じるんだけど、そういうものでもないの」
「……親元を離れたい、と思ったのは当時母親と付き合ってた彼氏が「お前の親おかしいな」って言ったのがきっかけで。おかしいなら離れなきゃな、ってそうしただけで、多分あの人みたいに指摘してくれる人がいなかったら、オレはまだ吉住にいたかもしれない。公務員を目指したのも、高校の担任に「馬場は真面目だから公務員とか目指せばいいんじゃないか?給料は安いけど辞めなきゃ安泰だぞ」って言われたから。オレの今の価値観も、指定校推薦があったからって理由で進学した先の教授が言っていたことをそのまま鵜呑みにしているだけ。法学部っていったってね、ただ聞いたことをレポートにまとめてれば卒業できちゃったしさ、知識はついたけどなになったんだろうって。言われたように動いてきて、もう30超えて……いい年して、仕事しかしてない」
立体駐車場のカーブの衝撃で、また後ろでモノが動く。
「自我なんて、ユキくんが思ってるほど大それたものじゃないでしょ。おれだってそうだよ、触れてきた知識とか、与えられた環境とかから積み上げてきた、パクリの塊。何を見てきたか、何が視界に入ってきたかの差だよ。それをみんなアイデンティティだと思ってるだけ。みんながみんな、積極的に生きてるわけじゃない」
「それならなおさら悔しい」
「……」
「普通に生きてたらあたりまえのこと、多分オレは周りが驚くほど知らないらしくて。それがさ、環境のせいだなんだって自分の努力でどうにもできないことなんだって言われたらさ、じゃあ諦めろっていうのかな。諦めるしかないんだろうけど、なんかね、むなしいよね」
「責任もないじゃない、それでも?」
知らなかったら責任はないのだろうか。環境のせいにしていたら、自分は許されるのだろうか?かわいそうだねなんて言って貰いたいか?どうしようもないことだとわかっていながら、それでも多少なりとも足掻きたいと思ってしまうことは愚かなことか?それなら自分は愚か者だろう。……生きていれば、そこそこ悔しいし、恥じることもあるし、嫉妬だってする。それが埋めようのないものだとしても。
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