11章 Sünder
90話 なにが人か…①
「……ユキ、一つ頼まれてほしいんだけど」
仕事帰りにカオリちゃんと久々に外食をしていた時のことだ。数日前からどこか落ち着かない様子をしていたので、今日はオレがおごるからとファミレスに連れてきていた。夜遅くになると家族連れはもうほとんど帰っていて、ぽつぽつと仕事終わりのサラリーマンと、受験生らしき若者がぽつぽつと見受けられるだけだ。彼女は「……聞かれちゃまずい話なんだけど」と妙に真剣な顔をして、口を開いた。
「どうしたの?」
「これ」
そう言って彼女が見せてきたのは、異動の打診書だった。書いてあるのは新設する児童養護施設の職員になってもらえないか、という内容だ。
「保育士の資格もあるから、あと……私が前書いた論文を見て、市じゃなくて国の方から打診が来てるの」
「国から……?」
「……一応目を通して。話を貰ったときに、婚約者がいるからって言ったら、その人には話してもいいって許可されたから」
やけに言葉が重かった。守秘義務が発生するような案件?児童養護施設で?半信半疑になりながら、手渡された打診書の二枚目をめくる。
・この施設に勤めることは他人に一切口外してはならない。それは、現在の同市職員も同様である。
・施設形態はファミリーホーム形式になる。用意した住宅に居住しながら、児童と共同生活を送る。
・児童が満18歳になるまで、養育の義務が発生する。しかし、こちらから指示があった場合その限りではない。基本的には児童が学生の間、親として養育する。
・養育する児童はこちらから派遣する。派遣前、面談が一度発生する。
・養育する児童について、説明以上のことは個人情報に該当するため開示はされない。
「……これ、どういうこと」
「要に、国から頼まれて里親をしろってことらしい……」
「これだけじゃないよね?」
文字がずらずらと並んでいるが、どうにも肝心のことが書いていないように見える。どう考えてもその辺の就業規則とは異なる。婚約者に説明してもいい、ということは里親として養育する場合結婚が不可になるためか。
「つまりこれを受けたら結婚できないってこと?」
「……別に、そうじゃないみたい。この前にユキと籍が入ってるなら、ユキにも一緒にここの子達を育ててもらうことに……なるんだけど」
「……それだけじゃないよね?ワケアリ……?」
カオリちゃんはしばらく目を伏せて考えた後、重く口を開いた。
「私は、正直この話受けたいと思ってる……」
「どうして?」
彼女は口ごもった後、深呼吸をしてからようやく続けた。
「……養育する子供、元犯罪者なんだって……」
「……まって、どういうこと?少年院とか?」
犯罪者と子供、という言葉が全くつながらなかった。繋がるとしたら、少年院を出所して親が引き取りを拒否したケースだ。児童養護施設か児童自立支援施設かケースに合わせて行くことになる……と知識としてだが知っている。
「細胞を若返らせる薬の治験」
「……」
「あるんだって、動物の方では結果も得られてて、あとは人間相手にやるんだって。でも普通に社会生活を送ってる人間にそんなこと、できないでしょ」
「ちょっとまって、状況がよくわからない」
「……罪を犯していて、余命も長くない人間を使って、その治験をやるんだって。どうにもその薬、細胞を若返らせるわけだから、持ってる病気や怪我によっては本当に死にかけていても回復する可能性もあるらしくて。そんな人たちの体を若返らせ……ようは子供にして、記憶も薬の方で消して、別の人間として養育する……ってことらしい」
「おかしいでしょ……人権侵害もいいところだよ。関わらないほうがいい」
どんな重罪人に対してとはいえ、そんなの許されていいはずがない。そもそもそれで治験として有用なデータが取れるわけがないし、データとして活用されていいわけがない。余命が長くない人間にそれを行うというのなら、同意すら取れているか怪しいじゃないか。
「……そうだと、思うよ……思うけどさ、これで新しく0からやり直して、また犯罪に手を染めるなんてことが起きなければ、その人たちは環境が悪かったから犯罪を犯したって、ことに……なるじゃない……」
「言いたいことはわかるよ。実際に環境が悪かったから、罪を犯してしまうような人たちはたくさんいる」
チーさんだってそうだ。あの人は本人が致命的なお人好しの馬鹿だったのもあるけれど、あまりにも環境が悪かった。ちゃんと知るべきことを知って生活していたら、あんなわかりやすい罪を犯してしまうことなんてなかったと思う。けど、世の中全部が全部、物わかりがいい人たちで構成されてるわけじゃない。それに。
「……全部わからない状態で、子供からやり直したのにまた罪を犯したら、生まれた時からの悪人ってことにされるってことだよ。そんなのやってどうするの、命の選別でもするつもり?おかしいでしょう、それって」
「ユキは、生まれた時からの根っからの悪人がいると思ってるの?」
「……知らないよ、そんなこと……知らないけど……」
そんなことわからない。確かに職業柄、どうしても元受刑者だったり、少年院にいたことがある青年と接することがなかったわけじゃない。でもその人たちそれぞれが、環境が悪かったとか、教育が不十分だったとか、絶対にこうだと言えるわけじゃない。性格だって倫理観だって、忍耐力だって思想だって、どこまでが生まれ持ったものでどこからが人生で得てきたものかわからない。
「私は……そうでもしないと生きていけなかった人たちを知ってる。それに、被害者にも非があったのに社会に罰せられてしまった人たちもたくさん知ってる。そもそもさ、私たち、なんの法律違反もせずに生きてきたって自信持って言える?……偶然捕まってこなかっただけのことはきっとたくさんあるし、今の現行の法律だっておかしいところはたくさんあるじゃない」
何も言えなかった。……自分だって、ばれたら正直やばいことはしている。あれだけ私情を持ち込むなと言われてこのザマなのだ。世の中に理不尽だって感じているけれど。
「……いやだ?」
「あまり、賛成はできないというか……じゃあそれで、根っからの悪人なんてものが証明されてしまったら、どうするの……オレは、そっちのほうがやだし、なにより危険だっていうか……ごめん、考える時間が欲しい」
「それは、そうだよ。私もここでうんって言ってもらえるとは思ってないし」
「ごめん……」
彼女の言いたいことも理解できないわけじゃないのだ。だけれど、どうしてもあの人は加害者に肩入れしすぎてしまう節がある。刑務所にいるって時点で大抵そこそこ大きい罪を犯していて、そんな人たちが記憶を消されて、別の人間として生きるとしてもそれで、誰が救われるって言うのだろうか。もし被害者や被害者家族がそんなことを知ったら?なにかの拍子でそれが世間にバレたら?いろいろ考えるとリスクの方が大きい。それに、そんな責任感が大きいこと、自分ができるとも思えない。
そして、何としてもやりきれないのだ。もし、いま連続殺人事件を起こしている犯人が、数年後何も知らない子供としてうろついていたら?いくら知らないとはいえ、それを自分は赦せるだろうか。罪を犯して、償おうとしている人間から罪を償う機会を奪うのは?考えれば考えるほどなにがなんだかわからなくなっていく。
彼女から渡された資料を、帰宅してから落ち着いて読み直した。どのくらい若返るかは薬と肉体の相性と、その被験者の年齢によること。マウスを使った実験から、肉体が完全に子供になるわけじゃなく、細胞分裂の寿命の関係から二度目の人生は60〜65歳くらいで寿命が訪れるということ。(それでも被験者の元々の年齢を足すと、場合によっては普通の人間より長生きしそうなものであるが)
「ひっど……」
60くらいで死ぬ、というのは社会的にものすごく都合がいいだろう。定年あたりまで働いて、年金を食いつぶすことなく死んでいく。確かに、元犯罪者への報復としてならそれを支持する声もあるかもしれないが、あまりにもそれは残酷すぎじゃないだろうか。その人として生きる権利を剥奪して、別人に仕立て上げて、その上に労働力として使い潰すなんて。
「はぁ……」
ただでさえ最近事件のせいで参っているのに、こんな話まででてきて流石に頭がおかしくなりそうだった。少し前までは疲れたら酒で誤魔化していたのだが、この間飲みすぎて彼女に迷惑をかけてしまったので、酒に頼るのも嫌悪感があった。さっさとシャワーを浴びてベッドに沈んだ。少し大きい毛布を頭までかぶって、昔からそうすると少しは冷静になれた。周りの声が聞こえない、まっくらで……そうじゃないと昔から落ち着くことができなかった。母親の声、湿っぽい空気、冷たい玄関に追いやられること、それらから逃げる方法を、当時はこれしか知らなかったから。
自分はどうしたいのだろう?彼女と結婚して?どこに住んで、子供を育てたいのだろうか?全部彼女任せにしようとしていた。カオリちゃんがしたいようにしていいよ、デートもいつもそうだ。いつも、どうしたらいいのかわからない。自分の望みすらわからない。いつもオレは生きている”だけ”だった。
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