9章 Alles ungeschickt

72話 暴いて、あけすけて…①

「……それは、大変でしたね」

「いやぁ、まあでもいまこうやって生活できてっからよ。飲食は食品衛生責任者の資格さえ持ってればやれるし、一万払えばとれっぺし、オレみてえなバカでもなんとかなっからありがてえや」


 ……脱サラした努め人がどいつもこいつも寄ってたかって飲食店を経営したがるのはそういうことなのか、また一つ勉強になったなと思いながら、片手でメモを取る。


「それに、大将となによりユキちゃんに出会えたおかげよ。ユキちゃんがいなかったら、こんな簡単に資格取れるなんて知らなかったし。大将に許してもらったからここにいる」

「ほんと、チーさんはユキくんのこと好きだね」

「だって、なんど頭を下げても返せないくらいの恩があんだもんよ」



 いい加減新作に取りかからないと作家を名乗ることができないぞ、と思い重い腰を上げてようやくプロットの構想を始めたものの、うまく人物像が思い浮かばない。マンネリ化した人生を送っているからか、最近は思考回路が安定している。悪く言えばなにも思い浮かばない状態になってしまった。精神上はとても穏やかでいいのだが、題材にしたいような激動がないとどうしても筆が進まない。段取りを組んで冷静に対処すること自体は得意なはずなのだが、本職の執筆だけはそうもうまくいかなかった。あれだけは……なにか違うのだ。


「……それでちょっと困ってるんだよねぇ」

「はぁ」


 どことなく、ユキくんの経歴には興味があった。しっかりと覚えているわけではないけれど、きっと彼は幼少期まともな環境で育ってはいないだろう。おれの記憶にある彼は、常に無表情で体のサイズに合っていないダボダボとした服を着せられている、近寄りがたい子供だった。彫りが深く整った顔をしていたものの、それ以上に周囲と異なりすぎる容姿や、ピリピリとした雰囲気が影響したのか、あまり彼についてあれこれ言っている様子を6年間見聞きしたことはなかった。まあ、一学年7クラスあるような学校だったので、同じクラスになったことも少なかったし、それだけ人数がいたら噂話なんてものは一瞬で消えるようなものだ。


「……別に、オレの話なんて聞いたところで面白くないと思うけど」


 執筆のネタにさせてほしいからと少し話を聞き出そうとしたのだけれど、彼はあまり自分のことは話したがらない人間だった。いや、というよりかは自我が弱い。公務員になったのは勧められたから、配属先も偶然。ちょっとは聞き出せたものの、確かに彼の人生にはあまり彼の意思が介在していないように思えた。……物を語らずとも生きてこれたのだ。


「ほんと、適当に生きてたらこうなっただけ。……でもまあ、あんな親の元に生まれたけれどそこそこちゃんと生活してるってのは、ある程度自信には繋がってるのかな」


 彼は結局ほとんど母親の話をしなかったけれど、そこでだけポロリ、とこぼした。


「……親御さんと仲、悪いんだ」

「できれば、もう二度と会いたくない」


 その表情から、やっぱり”そういうこと”なのだろうなと察する。……よくもまあ、ここまで立派に育ったものだ。蛙の子は蛙、なんて言葉はあるが、それを彼に言ってしまうのは呪いをかけるようなことだろう。どこかしら似ているところがあるのかもしれないが、少なくとも彼は蛙から生まれた鳶の方がきっと似合っている。事象を元からあるものに全て当てはめられるほど、人間は単色でできていない。


「オレよりさ、チーさんとかの話の方が面白いと思う」

「ラーメン屋の?」

「……個人情報だけど……でもあの人それ言うなって言っても言いふらすからなぁ」

「?」

「まあ、いいか。……刑務所にいたの。オレオレ詐欺に加担してて。本人はあんな感じでしょう?騙されて懲役……なかなかすごい人生送ってるよ。あの人は」


 そういえば、初めて会ったときに詐欺グループなんて言っていたような気がする。確かにそれはそれで興味はある。以前ライターの方の仕事で服役経験のある人間の取材をしたことはあったけれど、あまりフランクな雰囲気ではなかったからか、記事を書くのに最低限必要な情報しか聞き出せなかった。確かにあの人はなんでも喋りそうだし、あまりおれの知り合いにいるタイプではない。面白そうだ。

 そのまま次のお互いの空いている日に、今来件で落ち合うことにした。



「いろいろ聞かせてもらったお礼に……これ、見る?」


 一通りチーさんの経歴を聞かせてもらい、ちょっと頭の整理をする時間が欲しかったので間をとるために持ってきた卒業アルバムを見せる。ユキくんはギョッとした顔をしていたが、チーさんは興味津々のようだった。


「えっいいのか?ユキちゃん何組だった?」

「……髪色ですぐ見つかると思うよ?金髪の無愛想なガキがいたら私だからそれ」


 ユキくんはちょっと困ったような顔をしていた。やっぱり昔のことにはあまり触れられたくないらしい。


「あっこれかぁ……相変わらず別嬪さんだこと」

「それ女の人にいう言葉だから」


 半ば呆れたようなつっこみが入る。まあでもチーさんがそう言いたくなる気持ちもわかる。多分名前を見なかったら、女子と勘違いしてしまうだろう。


「金髪ものすごく似合うっちゃ、やっぱり仕事的に染めてないといけねえのか?」

「就業規則には特に……派手な染髪はやめろって書いてるから地毛でも問題はないと思うんだけど。でもちょっと嫌じゃない?金髪の派手派手顔の男が家庭訪問にくるのって。下手したらヤクザの取り立てとかと勘違いされそう」

「でも見てみてえなぁ、金髪のユキちゃん」


 彼は困ったような顔をしながら、カウンターに出された餃子を突いていた。


「まあ、仕事辞めたら。……考えてもいいけど」

「ユキちゃ」

「そうだ、浅間くんの写ってる写真、見せてもらってないんだけど。何組だった?」


 仕事を辞める、なんて話題がでたときに一瞬彼らの間がずれたような感覚がした。前も少しそんな話をしていたけれど、あの時はもっとフランクで、辞めたらどうする?なんてレベルだったと思う。けれど、それが少し真に迫っているようなそんな言葉の断ち切り方だった。


「最後は確か2組かな。あいうえお順で上の方だからわかりやすいと思うよ」


 そう告げるとチーさんはパラパラとアルバムをめくりだす。まだ数回しか会ったことがない人間の幼少期を見るくらいには人懐っこいと言うか、素直な性格をしているのだろう。……先ほどの経歴の重さを感じさせないような。きっと彼はそれをもう割り切ることができているのだろうな。


「これかぁ!……そんなにそんなに顔変わってねえな?若いと思ってたけどもよ」

「確かに」

「ありがと、まあ昔からやせっぽちだったからね。まともに通えてた時期はそんなにないし、空気だよ空気」


 2年に一回は入院していたし、高頻度で熱も出していたから休むことが多かった。姉がいるからか、感染症の類ももらってきてしまって姉弟揃って寝込むなんてことも小さい頃はあったと思う。


「……図書室で」

「あれ?思い出してくれた?」


 この間話を振った時は彼はあまり覚えがないようだったのだが、多分少しは話をしたこともあったような気がするのだ。自分の勘違いではなかったらしい。


「寝てるときに本を枕にするなって怒られた気がする」

「あちゃー……ごめん。おれ昔はクソ真面目だったからさ」


 思い出すと恥ずかしいが、よくいえばいい子、悪くいえば頭が固い一面があった。融通がきかない学級委員タイプというか。そういう性格と体質が相まって、よく女子には囲まれていた。というより意地悪なことを言われると女子に庇ってもらっていた。


「オレも悪いよ。あまりにも不躾だった」

「でも子供に本の大切さなんて説いたってわかるわけないだろ?意識高い系みたいでちょっと恥ずかしいな。できれば忘れてほしい」


 むしろ、寝るのにちょうどいい高さの本を見つけて寝るという子供の柔軟な発想の方が大事にされるべきだろう。そういう躾けは大人になる前にされていればいい。


「昔からユキくんはあるもので対処するのがうまかったってことだろ?」

「そういう無理やりな褒め方は恥ずかしいからやめてよ……」

「それだけユキちゃんは頑張ってきたってことだろ?」

「チーさんまで乗っかって。なに?褒めても何もでないよ?」


 ラーメンの汁をれんげで掬いながら、肩を落とすような仕草をする。照れくさいのだろう。けれどそれにしても今日の彼はいつもより人の発言に対しての余裕がないように見える。……なにかあったか?

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