55話 甘美な脅しを…②

 俺がユキさんと出会ったのは、その捜査の一環だった。


 馬場幸哉、安曇市福祉課の主査。生活保護の受給者の怪死事件が起こり、警察との窓口を担当した職員だった。初めて顔合わせをしたとき、ちょっとすらっとしたガキが出てきたから、その馬場主査の部下か誰かかと思ったら本人で驚いたのを覚えている。話をしてみたら、随分と真面目で物腰柔らかな好青年でそりゃこの若さで昇進してもおかしくはないわなと合点がいった。

 土日にこちらの対応のために出てきてもらうことも多く、自然とそのあたりの飯屋で事情聴取をするようになった。その時チーの店を教えてもらった。

 彼は相当チーの店を気に入っているようだった。ある日、どうしてこんなにこんなボロい店を気に入ってるのか聞いてみた。


「ここの前の店主の人ね、本当は息子さんたちにお店継いでほしかったんだって。小さいころお子さんが継ぎたいって言ってたからそうなるもんだとちょっと期待しちゃってて。でも東京の方で成功してそっちにマンション買ったからこっちに戻ってこないんだって。それがなんか、チーさんが継いだことで夢は叶わなかったけれど多分、店主さん納得できたと思うんだよ。チーさんも仕事見つけられたし。……なんか、よかったねって思っちゃって」


 そうやって、穏やかに笑っている姿がなぜだかものすごく寂しそうに思えた。

 捜査で関わっていくうちに、ちょっとずつ彼の人となりがわかるようになってきた。随分と素直で、言い方は悪いが極端に若いところがあった。暑苦しいわけではないのだが、どこか青くてあまりにも懸命すぎた。全てのことに、誠実に向き合いすぎていて手を抜くってことを知らなかった。


「そんな風に献身的に仕事して、そのうちあんた病むよ」

「ええ?まさか、ずっとこうしてきたから大丈夫ですよ」


 そうやってまたいつものように穏やかな顔をする。……本当にこの人は自分のことが見えていないらしい。手遅れじゃないか?その予感は最悪なことに的中していた。

 被害者が増えれば増えるほど、彼の顔色は悪くなった。どうしたら未然に防げるのか焦っているようだった。この事件については報道の類を一切禁じているのだが、それでもどこからかかぎつけて模倣犯まで現れた。


「もう、いい加減にしてほしい……」


 ぽつり、と一度だけユキさんがそう零しているのを見たことがある。よくよく考えてみれば、こんな状態を30になったばかりの青年に背負わせている職場も随分と歪だった。いや、逆かもしれない。彼があまりにもできすぎるから、役職が上のはずでも上司たちが背負えるはずがなかったのだ。


「すみません、馬場ですが寝られてないって言ってて。今日は私が代理になります」


 1日だけ、ユキさんじゃなくて代理の女性の方が出てきてくれたことがあった。どこか彼に似ている、ふんわりとした雰囲気を纏った人だった。


「相当ストレス溜まってるんじゃ……馬場さん大丈夫なんですか?」

「……内々の話なんですけど、産業医に睡眠薬もらってこいって言われてます。毎日2時間くらいしか寝てないって……今日無理やり病院に押し込んできたところで」


 やけに詳しいな、と当時は謎に思っていたが要はあの人が彼女さんだったのだ。顔はもう覚えていないが……。



 ユキさんは、それから毎週どこかで1日休むようになった、土日も出てこなくなった。病院に行ってその状態は流石に不味すぎると一度入院する話も出たのだが、本人がそれは断固拒否したらしい。こんな状況で仕事を休むわけには行かないってずっと言って聞かなかったらしく、妥協案がそれだったという。


「一日仕事休めって言われても結局家事したら暇になるだけで、カーテン開けてベッドに腰かけてボケっとしてるしかないんですよね。暇すぎてもっと頭おかしくなりそう、余計なことまで考えちゃいますし」

「……なんか別のことでもしたらいいんじゃないのか?散歩するなり映画見るなり……」

「私そういうの好きになれないんですよ」


 後にも先にも、彼のそんな拒絶するような声を聴いたのはその一度きりだった。

 捜査が進んで、犯人たちの尻尾を掴み始めたそのころだった。彼が、亡くなったと聞いたのは。





「俺たちにとっても、多分関わっちまった人間たちみんな、思い出したくない事件だよ」

「……そのユキちゃんってのが、チーさんの例の恩人さんなんだろ……もう10年会ってないって」


 なんとなく、言い方からその人が行方不明になったか、死んだかどちらかだろうと思ってはいたが。というか、その連続殺人事件と噂の恩人さんに関わりがあったという事実に世の中の狭さを感じてしまう。それに、なんとなく彼の話しぶりから、尾方さんとチーさんがその人のことをものすごく悔やんでいるかが伝わってきた。重ねられるのは正直迷惑な面もあるが、オレがガキなこともあって心配されるのは仕方ないと腑に落ちる。


「まだ受け入れきれてねえんだろうな。あいつは絶対にユキさんが死んだって言わない……墓もないんだ、尚更だろ」

「……なんで、その人死んだの」

「自殺だ。服毒……処方されてた薬を大量に飲んで死んでたらしい」


 聞いただけで胸元がつっかえるような、胃の中が乾くような気持ち悪い感覚がしてくる。落ち着くために氷が溶け始めた水を飲んでごまかした。


「その波縹って人たちは、なんでそんなことしたわけ」

「その一家は宗教団体ごっこをやっててな、信者たちに毒物を持たせて被害者たちの自宅に侵入して、食い物に混ぜたりな……捕まった罪状が葉っぱなことからお察しだと思うが、信者にそれを使わせてたり、随分と派手にやってくれたもんだよ。神様が殺してもいいって言ってるんだから殺してもいい、取り調べもそんな感じでさ関わってるこっちがきつくて……警察なんか辞めたんだわ」

「……そう、だったんですか」


 流石に兄貴も聞かされた話が重すぎて困惑しているようだ。ウインナーコーヒーのクリームがもう原型を失いかけているというのに、口をつける気にもならないらしい。


「このことは外部には漏らすなよ。波縹の名前を使ってるなんて愉快犯か、元信者かどちらかだろうな」

「まだ牢屋の中?」

「ああ、何十人も殺してそうそう10年で出てこれるわけねえだろ」


 そりゃそうだ、いくら一家が中心になって起こした事件とはいえ、罪状が分散するわけでもない。その辺をうようよ歩かれていたら、差別的な言い方をするが恐怖でたまったもんじゃない。


「父親と母親……その園長と奥さんはまあ死ぬまで出てこれないだろうな。長男は牢屋で数年前に死んでる、もともと病気持ちで丈夫ではなかったらしい。璃都……弟は当時まだ中三とかだったし、家族に騙されていたこともあってそのうち出てきて更生保護施設行きだろうけど、流石にまだでてきてねえんじゃねえかな。ユキさんのお陰でその辺の施設とはツテがあるから、出てきてるかどうかはあとで確認してやるよ」

「じゃあ、名乗ってるのは十中八九本人じゃないってことか」

「……そういうことだな」

「で、その名前を使った人間がどうしてオレたちを狙っているか、だな」


 かつて、生活保護を受けていた人物たちを狙って連続殺人事件を起こした犯人の名前を使って、今度は児童養護施設の人間を狙っている。共通点は何だ?身寄りがないこと、福祉のお陰で生かされていること。正直年齢くらいしか大した差異はないのかもしれない。だからこそその事件のことを聞いていると胸糞悪いのだ。


「やりかねねえな」

「アイ?」

「ガチでキショい。なに?税金で生きてるやつらが許せないとかそういう系?オレたちを殺したところでお前の懐は寒いまんまだっての」


 怒りなのか焦りなのかよくわからないが感情がドロドロと煮詰まってくらくらする。腹が立つのだ、自分がうまくいってないからってその怒りをこっちにぶつけられて、こっちが罪悪感を抱えないといけない。心ない大人や言葉を覚えたての同級生に、そうやって何度詰られたことか。じゃあオレたちに死体になって街中に転がっていろとでも言いたいのか。


「……絶対殺されてなんかやらねえ」

「本当に、お前もお兄さんも気を付けたほうが良い」

「はい……」


 犯人の目的が、その連続殺人事件の模倣でオレたちを狙っているというのなら用心に越したことはない。けれど、別の児童養護施設ではこういったことが起こっていない。じゃあなんでオレたちだった?単なる偶然?


「どういう思考でその主犯は殺人なんかやったんだよ」

「さぁな……ただ、殺す大義名分は得やすいだろうな。最悪なこったが」

「結局八つ当たりかよ、クソが」

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