53話 甘美な猛毒を…②

 かつて物語が与える快楽は、おれにとっては生きる理由になってくれていた。この漫画の続きを読みたいから、来週まで頑張って生きようとか、架空の物語に宥められたりだとか。当時の自分は物語ることの美しさばかりに気を取られていたからそれで良かったのだろう。だから、自分も”そう”なった。……最初は病院の白い天井を見ながら頭の中で世界を広げて、それの続きを考えることが楽しかった。途中から忘れないようにとメモを取るようになって、体力がないからその代わりに別の能力を身に着けてほしいと父親に買い与えられたパソコンは、物語を紡ぐための媒介となった。


 自分の頭の中にいる他人が、突き動かしてくれるかのように筆は進んだ。こんなもの通りはしないだろうと、毎年部を通して応募してるコンペに応募したら、なぜか最優秀賞を貰った。こんな自分でも、成果を残せるんだと一抹の希望だけ見せられた。

 物語に執着しなかったら、どんなに楽だっただろう。あれからすがるものは文章になった。元々読むのは好きな方であったけれど、売れている作家はどのような文体で書いているか、傑作と呼ばれる作品はどんなものか、研究しては書くようになった。おかげでそれっぽく騙す文章はいくらでも書けるようになった。どうしても執筆に関わる仕事がしたくて、自分の人生はそれ一本に限られた。

 ある日からそれは、まとまらない頭の中を一つの物語にすることで自分を救うためのものになった。生きていたいと、死にたいという二律背反の気持ち。その二つは脳の中をふよふよと浮いていて、何をしていてもそれらがちらつくようになった。それらを中心に、自己矛盾が細胞分裂のようにぼこぼこと湧き上がっては分裂を繰り返して、自分の感情がどこにあるのか全くわからなくなった。本当の自我を見つけたくて、物語ることでそれを統一しようとした。一つ一つの感情を縫い合わせて、関連付けて、それに人格を与えた。どこかそうやってつながった感情が自分そのものになってくれると信じたかった。けれどどんどんと、ぶくぶくとそれは溢れて、しおれて、潰れて、弾けて。どんどんと”自分”がどこにいるのかわからなくなってしまった。おれという人間の”本当”はあっという間に形を失った。何を考えていて何を信じたくて何が好きなのか、浅間翼はどういう人間になりたかったのか。そもそも、おれは本当に、生きていていいのだろうか。


 ものを語ることは甘美な欲であると同時に毒だ。誰しもそこから逃げられないが、そこにとらわれると本来の道を見失う。おれはきっと、語りすぎたのだろう。ストーリーじみた人生を選んでしまった。その選んできた道に囚われすぎた。自分はこういう人間だと必要以上にがんじがらめにしてしまった。そのくせ、見失ってしまった。


 全く別のものに興味を持っていたらまだ楽だったかもしれない 。まだ、自分のような人間でも続けていけるような職種につこうと思えたかもしれない。他のことにも興味はたくさんあったはずなのに、当時はそれしかもう見えなくなってしまっていた。なんで出版社なんてブラックもいいところの企業に就職したんだろうな。

 流石にもう取り返しがつくレベルではない。年齢もそうだし、性格も思考もそうだ。自分の本心がわからないのに、なぜか嫌悪感ばかりが素直に発露する。何も知らないのに?もしくは昔は好きだったのに。そもそも自分と関係ある事柄か怪しいのに。視界に入るすべてが気持ち悪い、気持ち悪い。世の中のすべてがどこか悪意を感じて、そのくせ露悪を語る人間に落ちてしまいたくないという嫌悪が生まれる。どっちつかずでまたそうやって分裂して、見失って。

 それでもきっと、世の中の文章で稼ごうとしている人たちよりはまだマシなのだ。世の中には小さい頃に作文で賞をもらっているような人間はごまんといる。それで勘違いしてずっと、銭にもならないのに作家を自称して生きてる人をたくさん大学で見てきた。あいつらのうちいくつが、小説やライター業で食えているのだろうか。フリーでやっていくと豪語していた彼らは、大抵コンビニバイトからコンビニの準社員になった。ネットで炎上している記事を読んだら、書いているのが大学の同級生だってことも何度かあった。あんな子供がこじつけたような根拠が薄く、それでいてネット民から嫌われるような結論をだしたらそりゃ叩かれるだろうだろうに、かわいそうだなと冷めた目でみて、面白そうだからと匿名で燃料を追加したこともある。落ちてこい、おれと同じ社会不適合者まで。


 それに比べたら、高校の時に出した本のおかげでまだある程度の知名度がある自分は恵まれていた。「来暮故映」というPNは、業界の人には高校の文学賞にあんなものを出してきた作家として広まっていたからだ。結局は実績だ。なんだかんだで毎年一冊くらいは新作を出させてもらえるし、大した印税にはならないものの、副業としてやってるライター業を含めるとそのへんの企業の新卒くらいの収入はある。一応ギリギリ職業作家は名乗れるレベルだ。惨めだけれど、同じ夢をみた同年代の中ではまだ見れる方だろう。だから変なわがままをいえない。そう、この生活が続けばいいのだ。結婚して子供を作ってやれなかった分、逆縁にならないように両親と過ごしていければそれでいい。別に、死にたいと思っているわけじゃないのだ、特段生きている理由もないが、死ねばいいとあれだけ願われてしまえば、逆に生きてやろうと思ってしまうだろう?気弱そうに見えるとよく言われるが、その実態おれはこんなにも攻撃的で浅ましい人間だった。


 ああ、ほら今度は自己嫌悪がぼこぼことわいてくる。


 もう疲れたのだ。嫌悪にも、何にも。

 何を聞いたって、何を見たって、何を読んだって、感情は矛盾して分裂を繰り返してどんどんわからなくなる。どれが正解?そんなものないとどこかわかってるくせに、正解を求めて自分の心を掃除しようとして、何か変わりましたか?生きてる理由が欲しくて、そのために焦って、何もできなくて自分で自分を追い詰めるのをやめたら、結局は自分の首が締まって、苦しくなるだけだったじゃないですか。本当に物語は人の心を救うものですか?おれにとっては、新しいその考え方すらもう全部が猛毒のように、吐き気を催すのです。創作上の誰かが答えを出したところで、その答えになるまでのプロセスが生む典型的な思い込みと、透けて見える思想がもうすべて気味が悪くて仕方なくて、もう何を読むのも頭がおかしくなりそうになるのです。


 そうやって、頭がおかしい自分という存在にどこか縋って、酔っている。そんな自分がもう、何よりも嫌で仕方がない。


 おれって、一体何なんですか?自分を大切にしろなんて言われたって、自分が一番わからない。痛いのは嫌だけど多少の痛みから逃げるほどの弱い人間でいるのも嫌だ。自己ってなんですか、個人ってなんですか。おれにはもう嫌悪しかないのです。自分の嫌悪という感情しか信じられるものがないのです。

 おれは、やはり死んでしまったほうが、いいのですか。


 深呼吸をして、食べたものを流しに片付けにいく。いつもいつも、些細なことをきっかけに見失って、ほら、またものを語ることでしか解毒ができなくて。一向に自家中毒は収まらない。

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