26話 見てみぬふりをした人…②

「う…………」


 しばらくしてベッドから細い声が聞こえた。アイカが目を覚ましたようで、布団が擦れる音がする。


「アイ?起きた?」

「……まぶ……し……」


 また本人の前で噂話をするなと怒られてしまうと思ったが、聞こえてはいなかったらしく思わず胸をなでおろしてしまった。


「ごめんね、ちょっと電気落として、看護師さん呼んでくるから」


 ナツメが部屋を出たのを確認して、ベッドに視線を戻す。


「……ん……」

「痛いところとか、ない?大丈夫?」

「別に……」


 昔みたいに、呼びかけて反応がないとか、視線が合わないとかではなくて安心する。どこかボーっとしているようではあるが、そこまで酷くはない。相当眩しいのか目は細くしか開けていない。


「……?」

「どうかした?」

「……」

「……おれの顔になんかついてる?」

「いや……お前、みたかだよな?」

「……だけど。大丈夫?」

「……」


 眩しくて顔が見えなかったのだろうか。それとも寝起きでボケてたのか。大したことじゃないならいいんだけど。



 診断の結果を聞く限り、特に問題はなさそうらしい。ただ、前のこともあるので二日間ほど様子見のために入院するように言われた。


「別に、お前らは普通にあの部屋にいて、普通にしてていいから」

「でも心配だって。あとしばらくはホテル暮らしになるって」


 普通にしていてもいい、と言われても困る。また住む場所も変わるし、外出許可も厳しくなるだろう。ホテルにずっといろと言われても、もはや何もできることもない。ずっと考え込んで気分が塞ぎ込むだけだ。


「……マオとカズは?あいつら二人放っておいてるのかよお前ら」

「外にいるよ。売店でオセロ買って休憩スペースみたいなところで遊んでる」


 病室にいるとどうしてもアイカの心配をしてしまうだろうから、少しでも気が紛れるようにと遊ばせている。それと、どうしても自分も少し一人になりたかった。


「……あのさぁ。心配してもらえるのはありがたいけど、オレはお前とほとんど年齢変わんないの。あいつらはめっちゃ下なの。……面倒みてやれよ、警察だってあのザマだし」


 言われていることは正論だ。けれどいくらそう言われたって、心配なもんは心配なのだ。どういわれようとアイカだって年下なのだ。戸籍上の数字だけであっても。


「母さんのときとは違ってね、見てないから二人はだいぶましかも。……ナツメは流石に色々あって気が動転してる。いまは普通だけど、アイカが倒れたとき警察官に喧嘩売ったんだよ?止めるの大変だったんだから」

「それは……ごめん」


 やけにいつもよりおとなしい。普段ならそれはオレには関係ない、くらいは言いそうなものなのに。


「……アイカは、大丈夫なの……?」

「どこのこと?頭ならしばらく経過観察しろって」


 しかめっ面で頭を抑える。さっき医者の問診で、微妙に頭痛があると言っていたのがまだ続いているのだろう。鎮痛剤を飲むにしてもとりあえずご飯を食べてからということで、先ほどから氷嚢を当てたり離したりを繰り返している。


「見たんでしょ。死体、吐くくらい酷かったんでしょ」

「……さすがにあんな、あんなの見て普通でいろって方が無理だろ。流石にパニックにもなる、あんなの」


 血まみれ、原型を留めてない、だから絶対見るな。ナツメとアイカが止めてくれたおかげでおれは見ずに済んでいるけれど、きっと見てたら吐くなり発作を起こすなりしていたに違いない。


「母さんの時は淡々としてたから、死体にでも慣れてるのかと思った」

「ヤクザでも医者でも看護師でも介護士でも葬儀屋でもないんだから、慣れてねえっての。てかあんなん、死体に慣れてる職業でも見て気分のいいもんじゃねえし」

「……そっか」

「お前の中のオレのイメージ、なんなの?」


 そんなこと言われたって、まえ偶然街中で見てしまったつるんでいる彼らを見てしまうとどうしても、将来そっちになるのじゃないかと不安になるのだが。


「不良」

「……はぁ……。別にお前の想像ほどじゃねえから。野蛮なのは好きじゃない」

「お前、警察官に喧嘩打って返り討ちにされたの忘れたの?」


 人に喧嘩を売りに行くだけで十分現代じゃ野蛮な方だろう。そもそも警官相手にそんなことしようとも思わない。言動の割には行動がみあってないじゃないか。


「悪かったって」

「お願いだから、無理しないで……。母さんとヒマリでもう十分なのに、アイカまで何かあったらって」

「……わかったから……」


 珍しくまともに取り合ってもらえる。体調が悪い中かわいそうだとは思うが、もう一つ。聞いてもいいだろうか。


「あと、一つだけ確認させて。……アイカは母さんのこと、嫌いだった?」

「なんで今?それ聞いて何になるの?それとも疑ってんの?」


 また眉間にシワが寄る。別に機嫌を害したいわけじゃない。問うのをやめようか。でも、いま聞かないと一生聞けない気がした。母さんがアイカに怪我をさせたのかはっきりさせないと、ずっとアイカのことを疑ってしまいそうだった。おれはアイカのことも、もちろん母さんのことも、信じたかった。


「……痛かったでしょ。怪我」

「怪我ってほどじゃねえだろ。別に痛くもなんともないし。軽い打撲なんて冷やしてれば治る」


 何を今更、という顔をしている。わざとわかりにくい聞き方をしたのだ。反応として当然だろう。


「違うよ、小さい頃の事故の方。踊り場で突き落とされたよね?」

「は……なに、なに……いってんの」


 明らかに瞳が動揺で揺れる。図星、かな。


「事故じゃなかった」

「カオリさんは悪くない!」


 針のような声が響いた。痛くて、ぷつりと刺されたのは誰だろうか。


「……やっぱり、そうだったんだ」

「……っ」


 誰も母さんがやった。なんて言ってないのに彼女の名前を出した。これが真実だろう。


「……なんで、知って」


 反応を見る限り、アイカもそれを知られたくなかったのだろう。……母さんを庇っているのか、それともアイカになにか非があったのか。


「現場を見てたわけじゃない。ただ、直前あそこで話をしているのは、見てたから」


 チッと舌打ちが聞こえる。現場を見られていないのであれば、自分が今口を滑らせなければバレなかったのに、と後悔しているように見えた。


「……本当に、あの人は悪くない。……死んだ人間を責めるなっていうのもおかしい話だけど」

「大丈夫、おれも犯人捜しをしたくて聞いたんじゃない。ただ、どうして?」


 沈黙が続いた。ここで折れたら負けだろうと、アイカが言ってくれるのをただ待った。


「……よくは覚えてない。なにか、聞きたいことがあった。聞いたら、カオリさんが……ものすごく辛そうな顔をしてて、気がついたら、突き落とされた」

「……うん」

「多分、なにか地雷でも踏んだんだと思う。前後のことは全然覚えてない」

「心当たりは?」

「ねえよ……だけど、あの人の前で自分がどこの子なのか聞くのはやめた。オレが聞きそうなことってそんなことだろ。多分……そしたら、あの人とどう言葉を交わせばいいのか、わからなくなって、顔を合わせるのが嫌になって」

「何か事情があったとして、言われたくないことを言われたとして。それが故意に人に危害を与える正当な理由にはならないと思うけど。傷害事件だよ、それ」

「……でも」

「それでも、母さんのこと。好きだった?」


 少なくとも、無関心ではなかったと思う。関わりたくないと思っていたらそれこそ一言も話さなくなるだろう。そこまでではなかった、ただ大喧嘩をした翌日の親子の状態がずっと続いてしまっているような、そんな気まずさはあったけれど。


「……お前はさ、もし実の親がいたとして。ちょっと殴られた、とかちょっと怒鳴られた、って嫌いになると思う?」

「わからない、けど。血の繋がった兄弟じゃないけど、あれだけ口論しても別に、アイカのこと嫌いじゃないよ」


 血の繋がった親のことなんて何も知らないのだ。今更出てきたところで、相応の縁のある人間としては扱うだろうけれど、家族として接することができるかはわからない。けど、いまあるおとぎり苑の家族の中で、怪我をするような喧嘩をすることになったとして、おれは情をまっさらに捨てるだろうか。多分、無理だろう。


「はぁ。お前そういうことよく恥ずかしげもなく言えるよな。……それと同じだよ、いくら酷い怪我を負ったとしても、それで人生台無しにされても、オレはあの人を嫌いになれなかった」

「嫌いになれたら、楽だった?」


 親のことを嫌いになろうとして、きっとなれていない彼女の顔が脳裏に浮かぶ。それは、辛いんだろうな。


「……嫌いになんて、そうそうなれねえよ。……だから、ずっと、聞きたかったのに……もっと早く、聞けばよかったんだ……」


 流石に決壊したのか、ボロボロと泣き出した。久々に目の前で泣いてる姿を見て、根っこは変わってないってナツメがよく言ってたのがようやくわかった気がした。ほんと、お前泣き虫だな。


「ちゃんと聞いて、あやまって、そしたらカオリさん、絶対オレは悪くないって、言ってくれるじゃん。そしたら、あの人こと、許せたかもしれないのに」


 そうだ。母さんはそう言う人間だった。優しくて、温かくて、けれどもうこの世にはいない。


「……母さんのことを殺したのは、アイカじゃないよね」

「当たり前だろ……恨んでたらきっと、とっくの昔に殺してる」


 おれはずっと、信じたかったのだ。母のことも、アイカのことも。けれど、どちらかしか選べないほどおれは狭量だった。


「……ごめん」

「言いふらされてた方が困ったから、お前がどうこう、いうことじゃ、ない……」

「うん……」


 ぐずぐずと泣く姿を見て、本当に変わってないんだなと思い直してしまった。

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