25話 見てみぬふりをした人…①

「起きない?」


 医者から説明を聞いてきたナツメが戻ってくる。まだ目を覚ましていないアイカを見て、少し渋い顔をした。


「うん。お医者さんは、なんて?」

「しばらく様子見てみないとわからないって。気を失ったのは、脳震盪とたぶん防御反応。CT見る限り中で出血はしてなさそうだから、前みたいにはならないはず。ちょっと脱水症状見られるから点滴はしてるけど。あとは起きてみてかな」

「ならよかった……よかったのかな」


 こんな状況が続くと、死ななければなんでも良いと思ってしまうのだが、やはり本人がこれ以上苦しむのも嫌だった。前のようにならない、という言葉に安心する。


「まあ、目が覚めれば。あとなにかおかしいところがなければ、ね」

「でも、まあさっきから手を触れればうざったそうに払い退けてくるから、そこまでひどくはないのかな」


 あの事故の時のことを思い出す。アイカの手を握ってあげて、と母さんに言われて。意識が戻るまで、手を握ったり、腕をさすったり。頭は触れない方がいい、と言われて頭を撫でるのは我慢して。少しずつアイカの指の動きが大きくなるのに安堵して……だから、目が覚めた時の状態を見てちょっとショックだったし。あの言葉にも傷ついた。


「昔はさ、アイカ泣き虫だったじゃん。すぐ何かあるとすぐ泣いてた。いつもさぁ、おれなんで泣いてるのかわかってやれなくて、でも泣き止んで欲しくて。ずっと頭撫でてたなって」


 施設に来たばかりの頃の彼は物静かで、ほんの少ししか喋らないというのに、夜になるとなにかを急に思い出したかのように、ひっくひっくと泣き出していた。どうしたの?と聞いてもぜんぜん答えてくれなくて、ぐずるアイカを宥めながら寝ていた。施設にだいぶ慣れてきたころには落ち着いて、夜になると発作を起こすおれの面倒を見てもらっていたのだが。


「そうだったな。あの頃、すっごく時間がゆっくり流れててさ、アイカが怪我してからの方が時間としてはずっと長いのに、あの頃がすごく記憶に残ってる。……いまでもあの頃に戻りたいって思う時もあるよ。母さんもいた。ヒマリはまだこんなだったな」


 こんな、と言いながら赤ん坊を抱きかかえるジェスチャーをする。母さんと一緒に離乳食作って食べさせたっけ。小さいんだけど、抱っこしてみるとずっしりとしていてなんだかその重みに安心したのだ。


「これはただの予想だけど、アイカは犯人じゃない、と思う」

「……」

「第一発見者、って疑われるんでしょう?マオもいろいろ聞かれてしんどかったって言ってたし。でも、オレを起こしに来たときのアイカ、様子がおかしかった。母さんの時はあんなに冷静だったのに」

「第一発見者、ね……」


 見てしまった人は、なかなか状況を飲み込めない。自分にも身に覚えがあったし、それにあの時は誰もあの人のことを疑っていなかったから、おれもずっと忘れたふりをして生きてきた。現実を飲み込めず、ずっと考えることも、思い返すこともやめて、逃げてきた。


「ナツメ、あの事故の話なんだけどさ。話し半分で聞いてほしいんだ」

「事故?アイカの?」

「そう」


 ずっと信じたくなくて、忘れたふりをしてきた。

「なに?」


「事故に遭う前に、アイカと母さん。話してたのを見た」

「そりゃ話くらいするだろ」

「……おれがトイレ行こうとするときに、あの踊り場で二人で話してたのがちょうど見えてさ」

「母さんはすぐそばにいたってこと?」


 そりゃ驚きもするだろう。ナツメは事故の後のことしか知らないから。


「うん。で、おれが戻ってきたときにはあの状態だった」


 階段を降りている時に二人が窓越しに見えた。何の話をしてるんだろう、と思いつつも通り過ぎた。外から物音がして、何かあったのかな?と思いながら部屋に戻ろうとした時にはあの状態だった。


「……いや、流石に……」

「……アイカのそういう態度に腹が立ってたの。信じたくなかったんだと思う」

「なにを?」


 気づきたくないよな。……そりゃそうだ。


「アイカを怪我させたの、母さんだってこと」




「冗談、きついって」


 1,2分経ってからだった。ナツメがようやく口を開いた。


「……否定してほしいんだけどな」

「……でも、それ聞いちゃったらさ。だって、ねえ。……故意じゃない、ってなら助けられるでしょ」


 同じことをずっと考えてた。事故だったとして、あんな距離にいて助けられないなんてことあるか?どう考えても手を下したか、見捨てたか、だ。認めたくないじゃないか。あんなに優しい母さんがそんなことするわけないって。


「正直、昔母さんに一番かわいがられてたのはアイカだった。と思う。まあすぐ泣くから手がかかったんだろうね。それがあれからアイカはどう?あんなに母さんにべったりだったのに、母さんのことを嫌っている、というより避けるようになって、ママって呼んでたのに下の名前で呼ぶようになった」


 目を覚まして、意思疎通ができるようになった頃からギクシャクとしていた。……当時は子供だったからわからなかったけれど、あれは怖がっていたのかもしれないし、困惑していたのかもしれない。


「……態度が悪いのは後遺症の影響もあるだろうけど、でも、うん……」

「一致しちゃうんだよね。だから否定して欲しかった。なんで母さんにあんな態度とるんだって言い続けた。アイカがああいう態度を取り続けることが、母さんがやったってことの証明に感じて嫌だった。……まあ単純に、せっかく家族なのにそんなことしなくても、って気持ちもあったんだけど。認めたくなかった」


 アイカのあの「家族なんてどうでもいい」と言いたげな態度を見ると、自分の想像が本当なのではないかと怖くなった。母さんはそんなことしないって、信じたかった。でも、もっと恐ろしくてどちらにも聞くこともできなかった。もちろん、誰にも言うこともできなかった。


「ミタカ。ずっとそれ、誰にも言わずに隠してたの?」

「……うん」


 誰かに言ったら、母さんが俺たちの母さんでいられなくなってしまうと思った。だから、何も知らない人のふりをし続けて、そしたらどんどんアイカが変わっていってしまって。母さんは、悲しかったのかな。それとも、罰だと思って受け入れてたのかもしれない。


「よく、我慢してたね」

「我慢なんて……怒っていいんだよ。大事なこと、嘘ついてたんだから」


 むしろ責められると思っていた。こんな大事なことをなんで黙っていたんだって非難されて当然だろうと。


「オレも、その立場だったら。黙ってたと思う、から」

「……そっか」


 そのナツメの言葉に、許されたかと勘違いしそうになった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る