2章 Zweites Opfer
12話 2番目の少女
あれからしばらく……もうすぐ二週間になる。おれたちはある一名を除いて自由に外出することもできず、用意された部屋に閉じ込められた生活を余儀なくされた。学校に行っていい、そう許可が出た時は普段なら行きたくないとぐずっていたカズヤが珍しく笑っていた。
相変わらず行動制限はあるものの、ある程度の自由が手に入ったことに安堵していた。こういったのを水を得た魚、というのだろう。
「災難だったね」
「……うん、まあ」
「施設のみんなは大丈夫?……その、代わりの大人とかくるの?バラバラになったりするの?」
「捜査に区切りがつくまでは保護と、……まあ、監視?のために一緒に生活することになってる。けど、まあおれたちの身の潔白が証明されたらどうなるかはわからない」
「そっか」
6月も末になると日によってはほとんど夏に近い。自分は体育は見学、ハルちゃんはサボり。少し湿気って涼しい木陰で二人で体育座りをしながら、コースを走る同級生たちを見ていた。
彼女はおれたちの施設の近くに住んでいて、小中学生の時から一緒に学校に通っていた。頭のできも同じくらいだったのでそのまま同じ高校に進学した、といったところだ。なんどかうちに遊びに来たこともあって、うちの家族はみんな彼女のことを知っている。普通で言えば幼馴染とかに該当するのだろうか。彼女は読書好きでよく図書室にいて、おれも似たようなものだから仲が良かった。
「……みんなバラバラになったら、ミタカくん寂しくなるね」
「まあ、唯一の家族だからね。急にバラバラになったら寂しいというか……どうしたらいいんだろう」
特に自分は困るのだ。ちょっと環境を変えるだけでも体調を崩すのに、生きていける気がしない。
「……いなくなっちゃえば大したことないよ」
「……」
「……嘘。忘れて」
いなくなれば大したことない、と聞いて思い出すのは彼女の母親のことだった。病気でずっと入院しているとだけ聞いている。
「あ〜、やっぱりミタカくんは落ち着くなぁ」
「そう?」
「男の人って、大声出したり落ち着きなかったりする人が多いじゃない?全員じゃないけどさ、うちのお父さんも酒飲んでは大声出して騒ぐし。お兄ちゃんはぶっきらぼうだし」
「災難だね……」
うちにはそういう人がいないからわからない。そもそも兄さんをのぞいて、自分より大きな男の人が家にいない状態で過ごしてきたのだ。兄さんはだいぶふわふわとしていて明るいから……怖いな、性別関わらずそういう人とずっと一緒にいなきゃならないってのは。一人めんどくさいのが一個下にいるが。
「うん……ミタカくんは大人しいでしょ?だから気楽。女子は性格きついの多いから結構気つかうし、一番楽」
「ん〜まあそれは慣れもあるだろうけどさ。人より丈夫じゃないからじゃない?大人しく見えるの。喘息酷くて喋れなくなることもあったし。健康だったらどう育ってたんだろ」
こんな体質とずっと付き合っていると、普通の人がどのくらい元気なのか想像もつかなくなってくる。校庭をゆうに5周をしている同級生たちを見ながら、よくできるもんだなぁと思うものだ。
「そんなにだったっけ?そりゃ小学校からの付き合いだから病弱なのは知ってるけど」
「夜に悪化しやすいからさ、学校であんまり発作を起こさないんだよね。体調悪い日はもう朝から動けないし」
「あー、冷たい空気がってことか。知り合いもそんなこと言ってた」
「まあ入院するとかはなかったから、もっとひどい人はたくさんいるんだろうけど。おれも正直あまり昔のこと覚えてないから……」
施設に来る前のことはほとんど覚えていない、それに施設に来てからしばらくのことも霞掛かったようにうっすらとしかわからない。いつの間にか施設にいて、ぼんやりと学校に通っていた。ハルちゃんと遊ぶようになったのはいつからだったっけ。
「……今は?大丈夫なの?無理してない?」
「今はそこまで、発作起きたときの吸入とか持ち歩いてるし。体に合う薬見つけて対処できるようになったら結構落ち着いたんだよ。まあ今日みたいな長距離走は最初から無理だってわかってるからやらないし。予期できないレベルに急にひどくなった、とか以外ならちゃんと一人で対処できるから大丈夫」
それでも完全にコントロールはしきれていないが。どうやら気管支だけじゃなく、肺と心臓も悪いので薬を飲んでおけば完全に収まるわけではないらしい。
「そうなんだ……いつも体育休んでるからちょっと動いたら死んじゃうってイメージがあって」
「流石にそこまでではないよ!?ただアレルギーでもストレスでも発作起こすからちょっと面倒で……なんか恥ずかしいね。人よりはちょっと重いから気を遣われちゃうのは仕方ないけど」
自分でも情けないなと思うことばかりだ。知らないところに行ったり、緊張することが続くと倒れてしまう。入試前は微熱が続いて、母さんに成績は大丈夫なんだから寝なさいと布団に連行されたっけ。
「まあ人間みんなそんなもんでしょ。誰だってストレスはたまるし、緊張くらいする。諦めるしかないよね」
帰ってきたのは予想もしない言葉だった。こういうことを言うと大抵の人は「気にしないで」とか「そんなことないよ」とか、そういうことを言ってくるのに。それが自分にはちょっと辛かったのだ。嘘を言わせているようで。
「……ハルちゃん、大人だよね」
「違うよ、面倒なの。いろいろ気にしなきゃいけないのが。そんなこといちいち気にしてたら生きていけないよ。細かいことは知らないし期待もしない、どうでもいい」
すっぱりと言い切った。彼女のすごいところはこれなのだ。絶対に自分はそんなにはなれない。
「うん……そうだね、やっぱりハルちゃんは強いなぁ。おれはどうにもチマチマしちゃう」
「えへへ、そりゃまあね。伊達に15年生きてませんから!」
*
同じような言葉を聞いたのは何年前だっただろうか。両親が別れるだの、別れないだので別居していたとき、ちょうど幼稚園の夏休みの時期で預け先がないからと母の実家で生活していた時期があった。
祖父母はその時にはもう結構ボケが混じっていた。ただ孫が家にいるということが嬉しいのか、ニコニコしていることが多かった。いつも怒鳴ってばかりの両親と一緒に過ごすよりは、同じことを何回も聞いてくる老人たちを相手する方が、よっぽど平和で穏やかだった。じいちゃんは耳が遠かったから、その分声が大きくて、何回も何回も、大声で昔の話を聞かされた。おばあちゃんは何度名乗っても私の名前を覚えてくれなかった。たまに母さんと間違えられた。けれど、両親のお互いの愚痴を聞かされるよりは何倍もマシだった。そして実家にはもう一人、叔父さんがいた。母親の弟だけど、正直あまり似ていなかった。いつもカリカリしている母親と比べて、どこかのんびりとしている、穏やかな人だった。叔父さんは病気がちでほとんど家にいることが多かった。私がいた一ヶ月の間にも3回ほど高熱を出して寝込んでいた記憶がある。
「おじさん、大丈夫?」
「……ごめんねぇ」
「なんであやまるの」
「うーん、はるちゃんにわるいと思ってるからかなぁ」
「別に、病気はしょうがないじゃん」
「強い子だねぇ」
叔父さんは不思議な人だった。叔父、って言うと響きで老けて感じてしまうけれど、母親とそんなに変わらないのにどこか若く見えた。お兄ちゃんと並ぶと似ていない兄弟にも見えなくもないくらいだった。外に出るのが苦手だというのにものすごく博識だった。部屋の壁という壁は本に囲まれて、机の上はパソコンを中心に綺麗に整頓されていた。古本屋に行って本を集めることと運転することが趣味だと言っていた。たまに自分で車をいじったり、暇だからと中古のジャンク品を直して遊んでいた。冷蔵庫にいつもみかんの入ったゼリーを入れていて、おやつの時間になるといつも一緒に食べていた。料理も上手だったし、結構綺麗好きだった。お父さんよりも、お母さんよりも、叔父さんが一番私を甘やかしてくれていた。誰にも怒らないし、優しい人だった。
あの部屋の独特の空気の流れ方とか、柔らかな陽の当たり方とか、非日常感が好きで、自然と自分も本が好きになった。もうどんな顔だったかは覚えていない。お父さんが写真を全て捨ててしまったから。お兄ちゃんは叔父さんのことが嫌いだったようで、いい歳して働きも結婚もしないクズ。なんて言ってたっけ。それは多分母さんが言ってたから影響されたんだろうな。別に無職なわけではなかったけど。
「おじさんっていつもお部屋で何してるの?」
「うーん、お話を書いてるかな」
「すごい!きかせてよ!どういうの?」
「……はるちゃんにはちょっと早いかも」
「うーん、じゃあ大人になったらおじさんの書いたお話よませて!」
「……そうだなぁ、じゃあはるちゃんに読んでもらうための本、はるちゃんが長い本を読めるようになる頃には完成させるね」
「わかった、楽しみにしてる」
叔父さんは売れない小説家だった。小説を書きながら片手間でライター業もしていた、どちらかというと後者の方が本業に近かったそうだ。
私はいまだにその本を読めていない。P.N.も知らない、それ以前に本の出版はきっと止まってしまっているだろう。
「そっか」
「……どうしたの?」
「似てるんだ」
「……」
「私がミタカくんといると落ち着く理由、初恋の人に似てる」
「えっ!?いつ!?そんなことあったの?」
「叔父さん」
「きんしんそーかん……」
そんな、真面目な反応が来るなんて思ってなかったからこちらが驚いてしまう。こういう素直すぎるところがまた面白くて好きなのだが。
「冗談だよ、あるでしょ。私パパと結婚する~!とかママと結婚する~!って。それと同じノリだよ」
「……おれは母さんと結婚したいって思ったことないけど」
「えっ?幼少期あるあるエピソードじゃないの?あれかぁやっぱり遺伝子が影響してるのかな。親が選んだ人だもんね。血がつながってないとそんなことはないのかな……」
「難しい話になってきてない?」
「話それちゃったね。すっごく優しくて物知りで面白い人だったんだ、叔父さん。大人しくて病弱なところも似てるかな。あと人の面倒ばかりみて自分のことは後回しなところも」
「別におれは面倒見よくないよ」
そうやってすぐ謙遜して、困ったような顔をするのも、あの人もそうだったような気がする。
「十分でしょ。……ねえミタカくん。叔父さんみたいになっちゃだめだよ」
「?……なんかあったの?」
「……うん、まあ」
「……?」
「まあとにかく無理はしないでねってこと……私叔父さんのこと大好きだったんだぁ、でも今はね」
心の底から憎んでる。
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