9話 正直者の吐露…①

 偶然アイちゃんと出会ったのは、2年くらい前の冬に差し掛かって風がきりきりと冷たい夜のことだった。見覚えのあるガキたちに、見覚えのない女の子が囲まれていると思って助けたのだ。その時掠れている声を聞いて、女の子だと思って助けた相手がやろっこだったことに気が付いた。そのやろっこは名前をアイカと名乗った。それこそ女子みたいな名前だと思ったけれど、そういうことを気軽に口に出さないほうが良いと、かつて世話になった人に言われたのを思い出して、怒られるのは嫌だなぁと言わないでおいた。よく見るとアイちゃんの瞳は、その人と似た色をしていて、似ている顔立ちをしていた。


「……ありがとうございます」

「別にいいってことよ、あのクソガキどもにまた絡まれたらオレの名前出していいからよ」

「……」

「……家出か?」

「なんでわかったんですか」

「顔にそう書いてあっぺや」

「……」


 今度はなんでわかるんだよ、と顔に書いてあった。無表情な子かと思ったら存外そうでもないらしく、わかりやすく眉間にしわが寄っていた。折角可愛らしい顔をしているというのにもったいないなぁと思った。


「……親御さんとなにかあったんだべ」

「親じゃないです」

「……?」

「あっ……えっと……ごめんなさい、そういうあれじゃなくて本当に親じゃないんです」


 なんでもアイちゃんは児童養護施設に住んでいるらしく、実の親のことは何も知らないという。そして親代わりの人と、兄代わりの人と喧嘩して勢いで飛びだしてきてしまったそうだ。


「……親代わりの人には悪いと思ってるんですけど……」


 そういって項垂れる姿は見ていて気持ちのいいものではなかった。血のつながっている親でも喧嘩したら気まずいのだ。血がつながってない親となったらもっと気まずいのかもしれない。


「……飯食ったらちゃんと帰りな」

「……?」

「夕飯食ってけ、腹減ったまんまだとずっとイライラ、もやもやしっぱなしだからよ」


 この言葉もまた、あの人と師匠に言われたことをそのまま言っただけだけれども、そんなことでちょっとでも眉間のしわが薄くなるのなら、と思った。



 アイちゃんは嫌になるほど、あの人に似ていた。性格はさほど似ていない、あの人は質素な恰好をしていてもなんとなく気品があってどこかオレらとは住む世界が違う人だった。けれどアイちゃんはどちらかというとこちら側の人間”それ”だった。だというのにとても似ていた。あの人に子供がいて、反抗期が来たらこんな感じだったのだろうか。……もうすぐ結婚する、と言っていたのにどうしてあんなことになってしまったのだろうか。首を突っ込みすぎた、と言えばそうかもしれない。それにしても、それにしても惨すぎて今でも思い出すのは辛かった。

 ラーメンを啜る少年を見て、髪が長くて邪魔そうだなぁとその辺にかけていたゴムを渡した。ありがとうございます、とつぶやいて彼は髪を束ねた。


「好きで伸ばしてるわけじゃないんですよ、ただ頭に傷があって見られたくなくて」


 そう言いながら、後頭部をさする。小さい頃に高いところから落ちて、傷跡のところはあまり毛が生えてこないらしい。こういう見た目だから女子に間違われたり、俗に言う心が女の人と勘違いされて困ると愚痴を零し始めた。


「お前らだって酷い傷見せられる方が嫌だろうっての。別にそうじゃないですよ、って一回否定したら引き下がってくれるならオレも気にしないんですけど、余計な人たちは引き下がらないから迷惑だし。何なんでしょうね、勝手に決めつけて同情してくる人たちって」


 相当ストレスでもたまっていたのか、それともそういう愚痴を吐ける相手がいなかったのか、麵を啜りながらぼろぼろと泣き始めた。自分も最初女の子だと思っていたので何も言えなかったが。咽るから落ち着いて食べろと声を掛けたら「麺食ってるから鼻水が出てきただけで泣いてないです」と返された。箱ティッシュを持ってきてやったら、ぐちゃぐちゃと顔を拭いたものだから相当恥ずかしかったのだろう。食べ終わって水を飲んだら多少落ち着いたのか「……なんかごめんなさい」と謝ってきた。


「……ほんと、今度お金は返しにくるんで。ご迷惑おかけしました」

「金とかそんなことガキが気にすんなって」

「食い逃げはしたくないです」

「食っただけで逃げてねえからよ、気にすんな」

「……」


 不服そうな顔をされた。しっかりしてるのか、単に人に借りを作りたくないのか。


「ここは腹減って元気じゃない奴はタダで食っていい店だから、な」

「……は?」

「そういう約束で店やってんだ」


 納得してなさそうだったので、じゃあお代替わりにおっさんの愚痴でも聞いてくれよと、かつて誰かにした話を始めた。



 ほんとお情け程度の金だけもらって刑務所を出た。物心ついた時には母親は死んでいて、パチンコに四六時中いる親父の元でやんちゃな姉と一緒に育った。姉は17の時に子供ができて結婚した、きっと幸せな家庭を築いているだろう。というのは刑務所にぶち込まれてから縁を切られたから、いまどうしているのかは父親伝いでしか聞いていないからだ。姉が結婚したころ、オレは中学を卒業した。高校にも一応通ってはいたけれど、卒業できるギリギリのラインでしか通っていなかった。卒業間近のころ、初めてダチができた。ダチはオレに仕事を紹介してくれた、お金の回収をするだけ。そういわれて卒業してからそこで世話になり始めた。それが俗にいう詐欺グループだとは思ってもいなかった。普通の会社は給与明細がでるとか、税金を払っているとかそんな当たり前のことすら自分は馬鹿なので知らなかった。しばらくして捕まった。全部正直に話したら通常よりも短い刑期が言い渡されたらしい。それでも20を軽く超えたばかりのガキが、大した金もなく、頼れる親戚もなく生きていくのは到底無理だった。

 日雇いの肉体労働だけでは部屋を借りる金と食費だけで全部消えていった。どうしようもなくなってコンビニで万引きをしようしたときに腕をつかまれた、それがあの人だった。


「今、盗もうとしたでしょ」

「……」


 細い腕だった、それなのに振りほどけなかった。しばらく沈黙が続いた後「仕方ないなぁ」とつぶやいてオレが手に持っていたおにぎりを持ってそのままレジに消えていった。


「お腹空いてたんでしょ、あげるので盗みはしないでください。こんなことで前科つくなんてバカらしいじゃないですか」

「いや、あの……」


 困惑しているオレにおにぎりを押し付け、そのまま名刺を出された。


「私、こういうものです。とりあえずお話聞かせてもらっていいですか?」




 その人……ユキちゃんはお役所の人間だった。そのあとてきぱきと面談の段取りを組んでくれて、あっという間に税金の調査や求職手続きをしてくれた。定期的にうちに来て、たまに飯をおごってくれることもあった。


「お腹空いてるときって絶対もの事をよく考えられないからね」


 ユキちゃんの口癖のようなものだった。それにあの人は人がご飯を食べてる姿を見るのが好きなようだった。

 ユキちゃんがよく通っているお店に80の爺さんが切り盛りしているラーメン屋があった。ちょっと認知症が進行しているけど家族も遠くに住んでるから店をやめられないんだって。おいしいから食べにくるついでに様子見に来てるの、様子おかしかったらケアマネさんかうちの高齢福祉課に連絡できるし、と言っていた。オレもよく通うようになって、なぜだかそこの大将に気に入られて弟子入りすることになった。大将は今老人ホームで生活してる。もうオレのことも忘れちまったみてえだけどもな。店を継いだ時にユキちゃんは色々手伝ってくれた……厳密にいうと金を出してもらった。その分をチャラにする条件が「あげた分の金額分、食いっぱぐれている人にはタダで飯を食わせること」だった。




「ふーん……随分と、まあおきれいな人なんですね、その恩人さん」

「いろんな意味で綺麗な人だったよ」

「だった?」

「……色々あってな、最後にあったのは10年くらい前だ」

「……そう」


 聞いちゃいけないことを聞いたと思ったのか、目線を逸らされる。


「……いや……やめっぺ、こんな辛気臭い話は。要はオレはその人に恩を返すためにこういうことやってんだ。だから気にしねえでけろ」

「…………そう、でもやっぱり気にするよ」

「なんだべ強情だこと」

「だって気にするでしょ。そもそもやっていけてるの?この店」

「ん〜まあそこそこはよぉ。なんか不良のたまり場みたいになっちまってるが。アイツらは手伝ってくれっからな」


 昼間は元々大将の店に通っていたお年寄りが多くいるが、夕方になるとガラッと変わって、ヤンチャなガキたちの夕飯調達現場になっている。


「じゃあオレも手伝う、手伝うからたまに遊びに来させて」

「オレはいいけども、お前の家が大丈夫か?」

「居たくないって言ったでしょ、それにラーメンおいしかったし」


 その時初めてアイちゃんの笑った顔を見た。やっぱり似ていた。

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