8話 静観者の追憶

 これは本当に保護されているのだろうか。


 事件からもう三日になるのに未だに捜査が進展している様子がない。捜査官たちもピリついているのか、オレたちへの聞き取りの態度が悪化してきていた。別に自分は構わないけれど、ほかのやつらが心配になる。特にミタカはストレスに弱いのだ、昨日も夜に微熱を出して、外にいたアイカに色々買ってきてもらったのに。アイカも通院があるが保険証はちゃんと家から持ってきてたのだろうか。心配事が多すぎる。


「お姉さんさ、本当に心当たりないの?」

「……ないです」

「被害者と仲悪い人とか、いなかった?」

「いないです」

「でも結世くんだっけ?彼は結構被害者と揉めてたんでしょ?」


 何度否定しても、同じことの繰り返し。だんだんこちらも腹が立ってくる。


「違いますって、揉めてたのはミタカと。……ミタカ、マザコンなんで。施設とか母さんとかに少し不満を漏らすと彼がキレるんですよ。確かに母さんともギクシャクはしてましたけど」

「被害者と真崎くんの派閥と別れてたとかもない?」

「派閥とかそんなものないですよ……そもそもたぶん母さんはアイカのこと嫌ったりもしてませんし、アイカもそうです」


 どうにもこの刑事は、母さんとアイカに確執があったことにしたいらしい。かといって別に殺す殺さない、なんてレベルに発展するようなものではなかったと思う。アイカの場合、嫌になったら刺す前に家出するような人間だ。


「ふうん。二人が仲悪くなったのに心当たりは?」

「こっちが聞きたいですよ……まあ、アイカの病気が原因じゃないかって、思ってます」


 心当たり、と言われると全くないわけではなかった。けれど、どう対処の仕様もなく、本人たちだって望んでそうなったわけではない、そんな理由だ。

 

「病気?」

「病気というか、頭打った後遺症。本人から聞いてないんですか?」


 既往歴くらいはとっくの昔に聞いていると思っていたのだが、そうではないのか。


「怪我をしたことと、後遺症で平衡感覚が弱いって話は」

「そう、それと……元々あんなに気が短い性格じゃなかったんですよ」

「そうなの?」

「事故に遭う前はもうちょっと大人しかったし、あんなにすぐキレるような奴じゃなかったです。まあ反抗期もあるんでしょうけど」

「どういう事故だったか、聞いても?」

「……あの、うちの外階段あるじゃないですか」


 あの時のことは、自分が当事者じゃなかったとしてもあまり思い出したくない。家に帰ってきたら、庭に救急車が停まっていて、人影に隠れてあまりよく見えなかったが、担架で運ばれているのがアイカだとギリギリ見えた。『ナツメちゃんはサトル兄ちゃんと一緒にみんなのことよろしくね』そういって母は救急車に乗り込んで行ってしまった。あの日の夜の留守番が、人生で一番不安で不安で恐ろしかった。


『どう、したの?』

『アイカが、そこから、落ちたって……』


 そう言ってミタカが指したのは施設屋外の階段を上った先の地上から2mくらいの高さのベランダだった。真っ赤な絵具を溶かした水をぶちまけたかのように、地面に血だまりができていて、目をそらした。

 ……どう考えても、子供の身長じゃ手すりの上に乗って遊んでいたりしない限り、あそこからそうそう落ちることはない。それに今はやりかねないが、小さい頃のアイはものすごく大人しくて、そんな危険なことをする子でもなかった。いつも誰かの後ろに引っ付いて、もじもじしながらも、喋るとちょっと大人びているような子供だった。


「……その怪我、だいぶ酷かったの?」

「正確には覚えてないですけど、一か月は入院してたと思うし、半年くらいはリハビリも通ってました。学校ちゃんと通えるようになったのは、確か2年に上がってからだったと思います」


 運ばれた後アイはしばらく入院になった。毎日見舞いに行っていたけれど、頭を包帯でぐるぐるに巻かれている姿は痛々しくて、呼びかけても反応するようになるまで数日かかった。失語だとか、手足の麻痺だとか、そんな後遺症が残って長くリハビリが続いた。元からそこそこ真面目だったからか、リハビリは相当頑張っていたし、オレたちに弱音を吐くこともなかった。今ではあんなにピンピンして流暢に悪態をついてくるのだ。何も知らない人からしたら、随分と堪忍袋の緒が切れやすいとしか思われないだろう。


「今は、眩暈とか、イライラしやすいとか、急にボケたりとか、そんなもんで落ち着いてますけど……あと明るいところも苦手で。退院したばかりのころは、てんかんとか、あと一度興奮したら疲れきるまで全然落ち着かなくて、今はどうか知らないですけど精神安定剤的なのも飲んでたんじゃなかったかな」


 ご飯食べてる最中に一瞬意識を失ったりってことはここ数年見かけてない。けれど、夜に目覚めてリビングに行くとソファーの上で、毛布に丸まって泣いているアイカの姿を見かけることは今でもある。もうオレの身長も越したというのに、随分と小さくなっていて、本人も見られたくないだろうとバレないように毎度恐る恐る部屋に戻る。


「で、その病気が原因で二人の仲が悪いと。被害者は?どんな感じだった?」

「母さんは、ずっとアイカのリハビリとか付き添ってましたし、調子悪そうなときとかもつきっきりで宥めてたりしましたよ。というかミタカもそんな感じだったんですけど……なんででしょうね」


 施設に来たばかりのころのアイカがかなりボケっとしていたから、そのころからミタカが常にそばにいて面倒を見ていたのだ。それがなぜかちょっとずつ距離ができて、今じゃこのざまだ。


「……なんでそんなに疑ってるんです?」

「いーや、別にねぇ。こっちの話ですよ」

「……」


 確かにオレたちが疑われるのは仕方ない、腹はたつが道理は通ってる。けれどアリバイがあると言われておきながらなぜか彼らはアイカのことを疑っていた。


「……アリバイあるってアイツ、言ってましたけど」

「……あるにはあるんだよねぇ」

「じゃあなおさらなんで」

「……アリバイってのがまあ一緒にいた人の証言からとれてる。それに一応防犯カメラにも映ってる」

「じゃあ」

「ただ、死体の発見から通報まで時間があった分、死亡推定時刻に幅があるんだ」

「……」

「わかってもらえたかい?」

「ええ、まあ」


 本当か?本当にそれだけか?


「一つ、聞いていいですか?」

「……」

「私たちは、疑われてますか?」

「……ああ」


 これは保護なんかじゃない。

 監視だ。



「カメラ、これ監視カメラだよ」

「え?」

「たぶん」


 カズヤが見つけたのは壁に埋め込まれているカメラだった。巧妙にまるでネジ頭のふりをしているようだった。


「こんな形のあるんだね」

「……」

「ナツメちゃん、どうしたの」

「監視されてるようで気持ち悪くない?」

「……まあしてるんじゃないかな。一番疑わしいのぼくらでしょう?」

「疑わしいって、言い方があるでしょ」

「事実を言ったまでだよ」

「……どうしてカズヤはそんな冷静なの?」

「……」

「……なにか知ってるの?」

「たぶん、アイちゃんは知ってる」

「アイカが?なにを?」

「ダメだよ、それは本人に聞かなきゃ。アイちゃんは悪い子だから、全部本当は知ってるくせに隠すんだよ」


 悪い子ってなんだよ、確かに世間一般的にはやんちゃしてる方かもしれないが、悪い奴ではなかろうに。


「……全部知ってるって?」

「アイちゃん、知ってるからあんな目にあったんだよ」

「あんな、って」

「忘れたふり?」

「……」

「大丈夫、きっといいようになるから」

「いいようって」

「きっとみんな、幸せになれるよ」


 本当に、本当にそうなってくれるだろうか。



「ナツメちゃん、ナツメちゃん」

「どうしたのヒマリ?寝られない?」

「……うん」


 布団からふわふわの鳶色の髪がモゾモゾと動き出す。いつもよりもすこし疲れた様子でこちらを少女がうかがっていた。


「一緒の布団で寝ようか」

「うん」


 シングルサイズの布団にほとんど大人の少女と小学生の子供が二人で寝るのは狭かったけれど暖かかった。安心する。


「……ナツメちゃん、髪伸ばさないの?」

「……伸ばそうかなって思ってたんだけどな」


 物心ついた時からショートカットだった。母さんがナツメは短いほうが似合うって切ってくれていたから。逆にミタカは長いほうが似合うんじゃない?っていわれてああしてたんだっけ。本人も体質が体質なので目元が隠れるほうが落ち着くようだった。……アイのやつは昔は短かったんだけど、あの事故以来傷を隠すために髪を伸ばすようになった。こんな環境だから一度だけオレも伸ばしてみようって思って肩ぐらいまで伸ばしてたっけ。いやなことがあったからそれ以来逃げるようにまたこの髪型に戻して、男に囲まれてたから慣れてしまった一人称も変えることができなくなってしまったのだけれど。


「嫌なんだ、女なんだけど女っぽい自分が」


 違和感があるとかそういうわけじゃない。学校でもこういうキャラクターが立ってしまったから表に出さないけれど、かわいいスカートとか、おしゃれなインナーカラーのロングヘアとか、憧れないわけじゃない。女子が好むマスコットだってかわいらしいし、雑貨屋だって見るのは嫌いじゃない。何なら私服がパンツスタイルばっかりの自分がスカートを履けるってだけで制服を着ているのが好きだった。けれど、自ら望んで女らしい恰好をしている自分を想像すると身の毛がよだつ。気持ち悪い。


「……なんで、こうなっちゃったんだろうな」


 思い当たるものはある。オレと顔が似ている女。清楚でなのに何処か色気があって、あんなのは男たちが放っておかないだろうなって容姿をしていて。たぶんそれだけだったら素敵な女性だなと思ったと思う。……犯罪者で、なければ。

 その女を知ったのはゴールデンタイムの凶悪犯罪者の再現ビデオ特集だった。どんな名前だったかとか、どんな生い立ちだったかとかは全く覚えていない。けれど、やったことの最悪さは頭から消えてくれなかった。身寄りのない女性たちを集めて体を売らせて金を稼いでいた。そのうち2人は精神的に病んで自殺したらしい。

 自分はそれのせいで女らしい自分に対して嫌悪を抱くようになってしまった。あれに似通っている自分を想像するだけで身の毛がよだつ。ああはなりたくない。気持ち悪い。

 かわいい、きれい、それらはとっても素敵なことであるはずで、自分だってできるならそうなりたいのに。


「オレは絶対、そんなものを使って生きたくはない」


 他者でもあっても自分自身のことであっても。


「ひまりね、いつかナツメちゃんがそういうの考えなくていいようになってほしいな」

「……ありがとう」


 ヒマリは聡明な子だった。オレの立場もなんとなく理解してくれていた、オレはこんなに小さなヒマリのこと全然わかってやれていないのに。


「明日は三つ編みに結んであげようか」

「いいの!?」

「うん、ヒマリは一番それが似合うよ」


 自分ができないからって、妹に押し付けているとは思っているが、本人が喜んでいるからこれでいいのだと言い聞かせる。

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