第三夜 かぐや姫との高校生活(スクールデイズ)⑨

 次の瞬間、がらっとドアが開かれ、扶佐子ふさこが姿を現した。扶佐子は、中に入ろうと一歩を踏み出して、ぴたりと足を止めた。


「こんばんは、中富なかとみ様」


 生徒会室を出ようとした月読つきよが、扶佐子の姿を認めて一礼した。

 扶佐子もあいさつを返そうとしたが、その姿にぎくりとして一瞬言葉に詰まった。月読は、「では、ごきげんよう」と、扶佐子をさらりとスルーしてそのまま退出しようとした。


 しかし、扶佐子は何事もなかったかのように退散しようとする月読を呼び止めた。

 「月読ちゃん、あなた、なに、その恰好かっこう?」


 セーラー服を身にまとった月読がきびすを返して振り向いた。

 「中富様、ツッコむところはそこですか?」

 平然と月読が答えた。

 「いや、そこしかないわよね! いまのあなた、そこしかないじゃないの!」

 扶佐子も負けずに押し返す。


 健造は、その一部始終に立ち会って、あんぐりと口を開けたまま、言葉を失くしていた。扶佐子が戻ってきたと見るや、命言みことは瞬時に顔かたちを月読のそれに変えたのだ。そして、月読の手を引き、教室の隅に積んである余った机の陰に突き飛ばして、自分は何食わぬ顔で月読になりすましたのだ。おまけに声まで月読とそっくりだ。


 健造は、放心したようにその事態を見つめながら、「こいつに、こんな変身能力があったのか」とまじまじと月読(命言)を凝視した。


 「これは下校後のわたしの生活着なのです。疑いなく女子高生に見られると自信を持っています。どうですか、中富様もえますか?」

 命言が動揺もせず、さっきと同じことを淡々と述べた。


 「あなた、どう見てもれっきとした女子高生でしょうが! 放課後とはいえ、学校に来るときはいちおう学校の制服を着ていらっしゃいな」

 扶佐子は、経験のない事態にわなわなと口唇くちびるを震わせながら言った。

 「はっ、以後気を付けて行動いたします! それでは、失礼いたします!」

 命言は、深々と頭を下げて、素早くドアを閉め立ち去って行った。


 (本物の)月読は、部屋の隅に取り残されたまま、小さく固まっていた。


 命言! なんで自分だけ先に帰っちゃうのよ~!?


 心の中で叫んだところで仕方ない。一刻でも早くバイトに戻りたかったのか、月読じぶんの姿なら扶佐子に怪しまれずに帰れると思ったのだろう。しかし、それじゃ、わたしが帰れなくなっちゃうじゃないの~

 いまこの姿で、扶佐子の前に出ていくわけにはいかない。扶佐子に見つかるわけにもいかない。月読は息を殺して、部屋の隅で成り行きを見守った。


 一方、扶佐子は、何があったのか認識できないまま、月読(の姿をした命言)が出て行ったドアを、硬直しながらぽかんと見つめていた。

 健造は、そんな扶佐子の気を引くように声をかけた。

 「扶佐子、それでどうだった?」


 扶佐子は我に返って、健造の方へ向き直った。しかし、その顔は晴れなかった。

 「いやぁ~、らちがあかないわ。副校長は、学校全体のためにも陸上部には頑張ってもらわねばならない。どこかの部の予算を削ってでも、何とか予算を捻出してくれないかってことになって」

 「そうか、じゃ、交渉決裂なんだな・・」

 「ごめん、健造・・」


 扶佐子は、肩を丸めてしゅんとなった。いつも胸を張って前を向いているイメージしかないから、しおらしく見えた。健造の方が、そんな扶佐子の姿にかえって動揺を隠せなかった。


 「あ、あのさ・・ これ、見てくれないか」

 健造は、命言に手渡された支出先と代替業者のリストを見せながら、さっき命言から聞いた説明をそのまま扶佐子に聞かせた。扶佐子は、うんうんとうなずき、話に耳を傾けながらリストを凝視していた。


 「健造の話はわかったけど、短時間で調べたんでしょう? 本当にこのリストの業者で大丈夫なの? この価格で購入できるの?」

 にわかには信じられないのだろう。扶佐子が不安を口にした。


 「ああ、それは心配ないさ。ほら、生徒会の交流で近隣の高校の会計担当に確認したり、何社かは電話で価格を教えてもらったところもあるから、間違いないって」

 本当は自分も不安だらけなのだが、命言のやることにミスはないだろう。健造は、命言を信じて、不安を表に出さないように、適当な言い訳に包み込みながら虚勢きょせいを張った。


 「というわけで、このリストを頼りに、明日から手分けして各部活をあたって、業者の変更を持ちかけてみないか?」

 扶佐子は首を横に振った。

 「ううん、私がやるよ。健造やみんなに悪いから、これは私にやらせてよ」


 扶佐子は力なく、そう言った。いままでの交渉が不調に終わり、精神的に追い詰められているのか、いつになく語勢がなく、弱気が顔に表れていた。健造は、そんな憔悴しょうすいしきった扶佐子の様子がたまらなくなって、大きく息を吸って言葉を投げた。


 「なに言ってんだ! ここまで来たら、おれや小野や倉津さんを使えよ! おまえばかり、何でもかんでも背負しょい込むなよ!」


 健造はいつになく語気を強めた。いくら望んで生徒会長になったからといって、扶佐子こいつひとりを矢面に立たせて、理不尽な要求を押し付けるのは間違っている。

 扶佐子は、大きく目を見開いて健造の顔を見ていた。だが、耐え切れなくなったのか、両手で顔を覆った。


あの扶佐子が泣いている・・ 


 はなをすする音が聞こえた。他人ひとに泣き顔を見せたくないのだろう。

 そして、健造もまた扶佐子のこんな姿を見たくなかった。扶佐子には、自信と覇気に満ちた凛々りりしい顔がよく似合う。そして、高らかに笑い飛ばす豪快な笑顔も・・


 健造は、扶佐子の肩を抱こうとして腕を伸ばそうとした。しかし、手が震えて、いうことをきかなかった。


 下手な慰めなどいまは要らない。ただ、落ち着くまでずっとそばにいてやろう。そう思いながら、無言で扶佐子に寄り添った。


 月読は、息を殺して物陰から二人の様子をじっと見つめていた。顔を手で覆いすすり泣く扶佐子。そして、当惑した顔でそれをいつまでも黙って見守る健造。二人の間に無言で、幾往復もの会話が交わされている。


 月読はがく然として、昼間の未子みこが言った言葉を思い出した。この二人の間には、恋愛と称して茶化ちゃかすようなあいまいな関係ではなく、もっと確かな太い絆が結ばれている。間近で見ていて、そんな関係を確信していた。




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