第二夜 かぐや姫養育日記⑪

 子ども・・くらいの大きさのその影が、かすかに揺れた。

 健造は、坂道をぜいぜいと息を切らせながら上った。人影もその姿を認めて立ち止まった。逃げようとはしなかった。


 「月読つきよ!」


 呼び掛けた。月読つきよは、雑木林で初めて会ったときのように、凛として健造を凝視していた。健造は、ほっとして大きく息を吐いた。そして、月読の目線に合わせて腰を低くした。脱力して、表情が緩んだのだろう。緊張が解けて、自分でもおだやかな顔になっていると思った。

 月読つきよは表情を強張らせていた。怒られるのだろうと思って、緊張しているのか。

 「帰ろう」

 健造は、月読の頭を撫で手をつないだ。そして、上って来た道を二人並んで下っていった。月読が扶佐子の家を出た理由は問わなかった。無事、見付けられた。それだけでよかった。


 月読は、健造の顔を見上げていた。街灯に照らされた表情を窺っているようだった。

 「おうちに帰るんですよね」

 「そうだよ。もう真っ暗だしな」

 突然、月読がわっと泣き出して、健造の脚にしがみ付いた。こらえていたものが、一気に噴き出したように、涙がとめどなく頬をこぼれていった。

 「ごめんなさい、ごめんなさい・・」

 健造は、もう一度、月読の頭を撫でてやった。それでも、月読は泣きやまなかった。


 「おうちに・・おうちに帰りたかったんです・・それで、お掃除をして、ご飯を炊いておきたかったんです・・」

 「ご飯? 今日は、扶佐子の家でおれもご馳走になるって話だったんだよ」

 「でも、お米をといで、スイッチを入れるの、わたしの大事なお仕事なんです。だんなさま、毎日、お腹すかせて帰ってくるでしょう。すぐにご飯を食べられるようにしておきたかったんです」

 むせびながら、月読はそう言った。その姿が意地らしくて、健造は月読をひょいと担ぎ上げた。抱っこして背中を優しくさすってやった。月読は健造の首筋にしがみ付いていた。


 「おまえが心配する必要はないんだよ。おれはずっと、一人暮らしでやってきたんだから」

 「だって、わたし、何かお役に立ってないと、おうちにいさせてもらえないんです」

 何だ、そんなことを心配していたのか。健造は、月読の背中をさすりながら言った。

 「そんなことで、月読を追い出したりしないよ。家の仕事は、おれや命言に任せておけばいいんだよ。それより、なんで歩いてきたんだ。バスに乗れば、いいじゃないか」

 もしものときのために小銭を渡している。バスの乗り方は、無論分かっているだろう。

 「お金を使っちゃうと、おうちに帰ったことがわかってしまいます・・」

 「また、戻ってくるつもりだったのか?」

 「はい・・ギリギリ大丈夫だと思いました」


 扶佐子ふさこの家からは、小山のような丘を二つ越えることになる。子どもの足では、距離はともかくこの起伏は耐えられないだろうと思った。やれやれと健造は思った。怒ることはせず、月読を諭した。

 「いいか、大人に黙って家を出るのはよくないからな。扶佐子ふさこやおばさんや芙美子ふみこちゃんが心配しているだろう。いま、電話かけるから、明日、一緒に謝りに行こうな」

 「ごめんなさい、ごめんなさい・・」


 月読はまたひとしきり泣いていた。本当に反省しているようだった。健造は、携帯を取り出して扶佐子に電話した。扶佐子はほっとした様子だった。そして、代わってもらい、母親にもお詫びの言葉を述べた。母親も心配していた様子だったが、ともあれ無事、月読が見つかったことを喜んでくれた。


 通話が済んでからも、月読はまだぐずっていた。健造は、月読と手をつないで丘の道を下った。

 「今日は、弁当を買っていこうな」

 「はい」

 「なにがいいか、考えておけよ」

 「はい、わたし、なんでもいいです」

 自分よりもずっとお腹がすいているんだろう。夕食の話をしたら、途端に泣きやんでいた。まだまだ子どもなんだなと、健造は心の中で思った。


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