第二夜 かぐや姫養育日記⑧

 その日授業が終わって早めに帰宅した健造は、話があると言って風呂掃除をしていた月読つきよをダイニングに呼び寄せた。月読はただならぬ気配を感じて、身構えるように健造の顔色を窺っていた。健造は、こほんと一つ咳払いをして、今朝の話を切り出した。

 「月読つきよ、明日から、おれの友達の家に預かってもらうことになったからな」

 「えっ、どういうことですか? わたし、ほかのおうちに連れてかれちゃうんですか」

 月読つきよの顔がみるみる曇る。赤みが差した頬から血の気が引いていくようだった。

 「預かってもらうっていっても、おれが学校へ行っている間だけのことだ。朝、送っていって、学校が終わったら迎えに行くから。いつもと変わらないだろ」

 健造の言葉に、月読は拒否の態度を示した。

 「いやです。わたし、だんなさまが留守のときでも、おうちにいたいです。部屋の片付けとか洗濯とか、お風呂の掃除とかして、だんなさまを待っていたいです」

 「いいか、小さい子が一人で家にいると、なにかと問題があるんだよ。日中、一人でいることが近所にばれたら、この前みたく警察に通報されるんだよ。いいか、おまえくらいの子どもは、日中、小学校に行っていないとおかしいんだって! 保護者が、『育児放棄』ってことで罪に問われることだってあるんだ」


 健造は、強い調子で子どもをしつけるように言い聞かせた。月読は、目に涙をめて懇願した。

 「だんなさま、この前のことはあやまります。許して下さい。もう一人で出歩いたりしません。ベランダにも出ません。お部屋でおとなしくしています。だから、おうちに居させてください。よそのおうちに連れて行かないでください」


 瞳が涙できらきら光っていた。健造は、その純真な様子をみて、決心が鈍った。居候いそうろうとは言え、迷惑をかけまいと出来る範囲で家事をこなしている。月読が邪魔な訳じゃない。小さな体でつくそうとする健気さをいじらしく思うのだが、こうすることが月読のためだと思い、あえて非情に言葉を投げ掛けた。

 「日中、おまえが家にいると、おれは立場が危ういんだ。不安で、このままじゃ、落ち着いて授業に集中できないんだよ。おまえは、おれの学生生活を邪魔しに来たのか?」

 月読は、ショックを受けたようでうつむきながら、小さな声でつぶやいた。

 「だんなさまは、わたしがいると迷惑ですか? わたし、おうちにいないほうがいいですか?」

 「ああ、ここに置いてやっている以上、おれの言うことには従ってもらうからな。わかったか! それと、外では『健造兄さん』だ。いいな、おまえはおれの従妹だからな!」

 その言葉を聞いて、月読はきっと口元を引き締めた。眼に涙を溜め、いまにも泣き出したいのを必死にこらえているように見えた。

 「・・わかりました・・」

 うなだれたまま、力なくうなづく。その様子に健造は、こうするしかない、これが月読にとってもいちばんいいことなんだ、と、何度も自分に言い聞かせていた。


 翌朝、健造は二〇分ほど早く起きて、月読の手を引いて家を出た。月読は、いつものテンションがなく、うなだれたまま健造に手を引かれていた。

 中富なかとみ扶佐子ふさこの家は、高校の近くにあり、登下校の途中に立ち寄るのは便利な場所にある。生徒会活動の帰りが遅くなったとき、一人暮らしの健造をおもんばかって、扶佐子ふさこに夕食を誘われたことが何度かあった。

 扶佐子の家は地元では昔からの名士で、古くは一帯の地主であったという。農地を売却し、その売却収入だけで数代は生活に事欠かないという噂を他人から聞いたことがある。周辺の分譲住宅とは異なり、昔風のいかつい門構えの中に母屋と現代風の住居が併立している。扶佐子の祖父母は母屋、扶佐子の家族は新しい家に住んでいた。


 「おはよう、健造」

 玄関のブザーを押すと扶佐子が出迎えた。健造も「おはようございます」と挨拶した。

 「おー、月読つきよちゃんか~ おはよう、月読ちゃん」

 扶佐子が挨拶すると、健造の陰に隠れて様子をうかがっていた月読も、「おはようございます」と小声で挨拶あいさつした。

 「ずいぶん、大きくなったねぇ~ あれ? こんなに大きかったかしら?」

 扶佐子が疑問に思うのも無理はない。本当にサイズが大きくなっているのだから。健造は、あわててフォローの言葉を投げた。

 「い、いや。服装のせいじゃないか?」

 的確な言い訳ではないが、扶佐子は「そっか、それもそうね」と納得してくれた。


 「おはようございます!」 扶佐子の妹の芙美子ふみこが、母親に伴われて奥から現れた。

 「おはよう、芙美子ちゃん。 さぁ、あいさつして」 健造は、月読にあいさつを促した。月読も「おはようございます」と頭を下げた。

 「まぁ、かわいい。えらいわね、ごあいさつできて」 扶佐子の母親も、月読に言葉をかけた。


 「今日は突然すみません。御厄介ごやっかいになりますが、よろしくお願いします。芙美子ちゃんも、よろしくね」

 健造は、扶佐子の母親と芙美子に挨拶して、謝意を述べた。

 「いいわよ、遠慮することないわよ。うちは家族が多いんだし、年の近い子もいるからね。お遊具もたくさんあるわよ、月読ちゃん」


 扶佐子の家は三世代が同じ敷地に同居している。扶佐子には大学生の兄がいて、核家族が多いこの地域では珍しい大家族だ。扶佐子の母親もおおらかで、いかにも扶佐子の性格はこの人に似たのかと思ってしまう。

 「月読ちゃん、学校から帰ってきたら一緒に遊ぼうね」

 扶佐子の妹の芙美子も、月読を歓迎してくれた。健造は、中富家の好意にようやく安堵した。


 「それじゃ、月読、おうちの人の言うことをよく聞いて、いい子にしてるんだよ」

 健造は、最後に月読にそう言い聞かせて、頭を軽くでた。月読は、「はい。分かりました」とだけ力なく返事をした。

 健造は、扶佐子と並んで学校へ赴いた。扶佐子の家を出て門の外で振り向くと、月読がずっとこちらを見つめていた。淋しそうにたたずむその姿は、なんだか置き去りにしていくようで後ろ髪を引かれるような切なさに胸が締め付けられた。


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