第二夜 かぐや姫養育日記④

 その日は、午後からひとしきり雨の予報だった。正午のニュースで天気予報を確認した月読つきよは、朝のドタバタ騒ぎで健造が傘を持たずに家を飛び出したことに気付いた。

 「傘、届けてあげなくちゃ・・」

 月読つきよは昼食を済ませると、健造の折りたたみ傘を持った。そして、命言に買ってもらった赤いレインコートを羽織り、幼児用の黄色いジャンプ傘を開いて外に出た。折しも、ポツリポツリと雨粒が地面を濡らし始めていた。健造の学校の場所は、人工的に刷り込まれた記憶の中にあり、外に出ると、その道筋もなんとなく理解できていた。


 幼児の歩みは遅い。健造の家は多摩丘陵にある。学校まで小山のような二つの丘を越えるのだが、その起伏を越えるのに一時間以上を要した。ようやく健造の高校にたどり着いたときには、ちょうど六限の授業が終わる直前だった。

 校門の前で、月読は躊躇ちゅうちょした。さすがに幼児姿の自分が、この中に入ると呼び止められることは間違いない。とはいえ、校門の前でうろうろしているのも極めて危険だ。

 月読は意を決して校門をくぐった。幸い、下校時間にはまだ早かったのと、雨で人通りが少なかったのが幸いして、何ごともなく玄関の中に入れた。ちっちゃな長靴を揃えて、備え付けの来客用の子どもスリッパを拝借し、ぺたぺたと廊下を歩きだした。


 さて、どこから探せばいいものかと思案していると、廊下の向こうを歩いていた二人組の女子に目撃された。

 「あれ? 子どもがいる。ちっちゃな子どもだよ、美幸みゆき!」

 「あら、ほんとね、親御さんとはぐれたのかしら。行ってみましょう、未子みこ!」

 ぎくっとして月読が振り向くと、並んで歩いていた女子二人に姿を発見されてしまった。月読が、もはやこれまでと覚悟を決めたところへ、二人は近付いてきた。

 「どうしたの? 誰か探しているの?」

 美幸みゆきと呼ばれた女子は、優しそうな声で膝を折って月読に話しかけた。よく見ると、髪がつややかに整えられ、ほのかな芳香が漂っていた。整然とした物腰といい、いかにも育ちのよい上品さを醸し出していた。


 「ほほぅ。幼児が校内を一人で歩いているなんて、なんか訳ありなのかな?」

 未子みこと呼ばれた女子は、高校生にしてはあどけない顔立ちをしている。背丈も長身の美幸とは頭一つ分以上低く、幼児体型だ。よく通る甲高い声で、陽気さ、朗らかさをにじませている。多分、憎めない中性キャラなのだろう。


 「でも、この子、折り畳み傘を持ってるわよ。雨が降るから届けに来たんじゃないかしら。ねぇ、あなたひとりでここにいらしたの?」

 黙っているのも、かえって怪しまれると思い、月読は口を開いた。

 「はい。お兄ちゃんに傘を届けに来ました・・」

 その声を聞いて、未子と呼ばれた女子は、快哉かいさいをあげた。

 「かわいいねぇ~ よく見ると、ほっぺがぷっくりとして、おまんじゅうみたい。おいしそうな子だねぇ~」

 未子はそう言うと、目を細めた。月読はぞっとした。なにかこの女子のツボにはまったみたいなのだが、そのツボがいまひとつ分からない。


 「ね、ね、お姉ちゃんに触らせて」

 そう言い終わらないうちに、未子は両手で月読のほっぺたを撫で始めた。未子の手は高速で振動し、ふくよかな月読の頬が波打つように揺れ動いた。

 「いやぁ、軟らかいよ~ 気持ちいい。あたしのほっぺで、すりすりしてあげたい-」

言った傍から、未子は月読を抱き上げて、自分の頬に近付けようとした。


 「未子ったら、およしなさいな。ほら、この子怯えているじゃないの!」

 美幸が未子の蛮行を制した。いきなりのスキンシップ波状攻撃に、さすがの月読も硬直したまま、表情に恐怖の色を浮かべていた。

 「はは、ごめん、ごめん。あんまりおいしそうだったんで、つい」


 地面に下ろされた月読は、恐怖のあまりぷるぷると震えながら、「わたしは、食べ物じゃないよぉ。食べても、おいしくないよぉ」と心の底から救済を求めていた。


 「ええっと、じゃぁ、あなたのお兄さんのお名前を聞こうかしら」

 そこへ行くと、もう一人の美幸という女子は、しっかりとして頼りになりそうだ。よく見ると、ウェーブのかかった髪に、きれいに整った睫毛まつげ、うすくファンデが引かれた頬といい、完璧に整った外見でお嬢さま度が高い。

 未子と美幸は、月読の手を引いて二年E組の健造のクラスに連れて行ったが、一足違いで、健造は生徒会室に向かっていた。

 「きみのお兄さんって、生徒会の人だったんだね~」

 未子はそう言うと、美幸とともに健造のクラスをあとにして生徒会室へ向った。

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