第一夜 かぐや姫、雑木林より現る③

           ***


 「だんなさま・・」

 頭の上で、物音がする。

 「だんなさま、だんなさま・・」

 音(?)の割には、はっきりした人の声のようだ。しかも、体を揺すられている。

 「だんなさま!」

 人の声か?・・そんなわけがない! おれはひとり暮らし。昨日、いろいろあって、隣りに寝ているのはまだ発語がない幼児じゃないか!

 混濁する意識が下した明快な結論を頭の中でようやく知覚し、健造はあわてて上体を起こした。いつの間に寝入ってしまったのだろう。枕元の目覚まし時計をみて驚いた。

 「じゅ、十時!?」

 目覚ましが壊れて鳴らなかったのか、いやそんなはずはない。

 「だんなさま・・」

 幼児の声。ふと見ると、三歳くらいの女の子が小さな手のひらで足元を揺らしていた。

 「・・・!?」

 一瞬、白日夢に落ちたのかと思い、昨日の幼女の寝ていた座布団に目をやるが、人の気配はない。じゃ、この子はいったい・・!?

 「だんなさま、昨日は迷っているところを助けていただきまして、ありがとうございました」

 よく見ると、銀色のジャケットに黒のズボン。黒色のつややかな髪は肩にかかるくらいまで伸びている。背丈は80センチほどに達していようか、よちよち歩きだった足はすらりと伸び、腕も長くなっている。体のサイズにあわせて、着用していた衣服も伸長し、ぴったりと体を覆っていた。

 「きみは・・昨日の子?」

 健造が半信半疑で訊くと、女の子は笑顔で答えた。

 「はい。『月読つきよ』と申します。ふつつかものですが、以後よろしくお願いします」


 月読つきよとは、昨日女が言っていた名前じゃないか。昨夜の災厄がふつふつと蘇ってきたところに、当の張本人がひょっこりと姿を現した。

 「おはようございます、だんなさま」

 「うわっ!」

 健造は、その場でのけ反って身構えた。昨日のターミーネーター、じゃなくて自称アンドロイドの命言みことが黒服に薄ピンクのエプロン姿でそこに立っていた。

 「朝食の用意ができております。着替えて席にお着きください」

 あわてて立ち上がって、ダイニングを見渡す。確かに、黄身のくっきり光った目玉焼きとこんがり焦げ目のついたウィンナーの皿に、ボールに盛られたサラダ、ティーカップとグラスが並べられていた。呆然としてその様子を窺う健造に対し、

 「トーストはマーガリンを塗りますか、それともジャムがよろしいですか」

 「いや!その前に、おまえ何で部屋に入ってるんだよ!」

 「今朝、月読つきよさまに鍵を開けてもらいましたが」

何食わぬ顔で命言みことが答えた。首をかしげながら視線を玄関に移すと、台所の踏み台がドアの取っ手の下に移動してあった。不審者を招き入れた犯人と思しき月読といえば、ちゃっかり食卓の椅子に腰掛けている。背丈が足りず、頭がかろうじて出るくらいだ。

 「お許しください、だんなさま。お疲れのご様子でしたので、目覚まし時計を止めておきました」

 それでこの時間か! 今日は水曜日で、授業はとっくに始まってるじゃないか! ようやく、隠れた重要事項=学生の本分を思い出して、顔が蒼くなる。

 「ご安心ください。学校へは電話連絡し、担任の熊坂先生には体調不良で本日休みを取ることを伝えておりますので」

 「なに勝手してんだよ! っていうか、なんでおれの担任まで知ってるんだ?」

 「生徒手帳や学校の持ち物をチェックさせてもらいましたので」

 「勝手におれの身の周りを物色するな!」

 知らなかった。寝ている間に高校の所在や連絡先、担任の名前まで、調べられようとは。いや、それよりも、入学からずっと皆勤を続けているのに、こんなことで途切れたじゃないか。大学の推薦に影響したらどうするんだよ!


 畳み掛けるような連鎖的な想定外の状況に対し、まず何から追及すべきか論理的思考を失いつつ、健造はこうべを垂れながら食卓についた。命言みことはマーガリンを塗ったトーストを差し出し二人の前に置いた。それから、冷蔵庫からオレンジジュースの残りを取り出し、月読つきよのグラスに注いだ。

 月読はトーストに手を伸ばし、おいしそうに頬張っている。これだけ充実した朝食が食卓に並ぶのはこの家に引っ越してから初めてだ。それにしても何から質問すれば、殺伐とした暴力の翌日に迎えた、この朝の和やかな団らん風景を理解できるのか分からない。健造は、とりあえず目前でトーストにかぶりつく幼児のことに話を向けた

 「この子は、本当に昨日の子か?」 健造は、傍らに立つ命言に向かって問を発した。

 「はい、月読さまが成長されたのです」

 「いや、数時間前まで歩くのがやっとで、言葉もしゃべれなかっただろ」

 「十分発語できるまでに発声器官が成長されたのです。また、言語については、私が収集した文法と語彙を大脳皮質に強制入力しましたので、成人並みの言語の操作と理解が可能です」

 「ちょっと待て! 普通の子がこれだけ成長するのに、何年かかると思っているんだ」

 「ですから、そこは地球人の身体機構とは差異があるのです。特に昨夜は、切迫した状況でしたので、ご自身も早く成長したいと念じられたのでしょう。そのため、今朝はこのように成長したお姿になられたのでしょう」

 命言が淡々と説明しているさなか、月読は椅子の上に立って、小皿に取り分けられたサラダにフォークを突き刺していた。この状況を意に介していないのは、昨夜と同じで健気であり意地らしく可愛いと思った。


 健造も観念して、目の前のトーストをちぎりながら言った。

 「それはともかく、これを食ったら交番に行こう。それで、今までの事情を全部話して、その子を引き取ってもらうから」

 最早、一高校生の手に余るこの事態に、健造は収拾を公権力に委ねる決意でいた。しかし、命言の次の発言は、健造の想像の斜め先を行くものであった。

 「それはだんなさまにとって得策とはいえません」

 命言は懐からA4サイズの紙を二枚取り出し、健造に渡した。

 「一枚は月読さまの戸籍謄本、もう一枚は住民票です。健造さまの同居親族として、月読さまを登録しております」

 言われて、あわててかぶり付くようにまじまじと紙面を見る。戸籍謄本には健造の父方の叔父の子、すなわち健造の従妹として「讃岐月読さぬきつきよ」の名が記載されていた。無論、父に弟はなく父方の叔父というのは架空の人物である。また、住民票は健造を世帯主としてその同居親族として月読の名が登録されていた。

 「住民登録を仙台市からこちらに移しました。おめでとうございます! 本日から健造さまは世帯主となります」

 わぁ~、ぱちぱち。月読がうれしそうに手を叩いた。

 「勝手してんじゃね~よ! まさか、おまえらここに居座る気なのか!」

 健造は、唐突な展開に色を失って、命言を睨みつけた。しかし、命言は涼しげな顔で答えた。

 「月読さまにはこの地に生活の拠点がありません。ですので、だんなさまのご厚意に甘え、しばらくこの家に滞在することにいたします」

 「住んでいいとは、ひとことも言ってないだろ!」

 「ご心配には及びません。戸籍の変更と住民登録は済ませましたので、だんなさまの体面を傷つけることにはなりませんので」

 「そ、そんなことは、誰も心配してないわ! てか、どうやって登録したんだよ、戸籍も住民票も!」

 「今朝、この市の戸籍情報システムと住民基本台帳ネットワークにアクセスし、健造さまの登録情報を書き換え、月読さまの情報を加えました。これで戸籍上、月読さまは讃岐健造さまの従妹となりました」

 国家が管理するシステムがたやすく侵入されるとは何ごとか。マイナンバー制度を運用する国の個人情報管理は大丈夫なのか? いや、こいつらのサイバー攻撃を想定したセキュリティなど、地球上の技術力では不可能なのか。


 「だんなさま、今日から妹として可愛がってくださいね」

 月読つきよがにっこりと無邪気な笑いを浮かべる。

 「男性のひとり暮らしは大変ですし、家族が増えるのはよいことでしょう。私も以後、精一杯ご奉仕させていただきますので、何とぞよろしくお願い申し上げます」

 無表情のまま、唇を上擦らせる命言みことには、毒気を感じる。話しても分からない相手に、もはや交渉の余地はないようだった。


 「ちょっと待て! 戸籍の改ざんも含めて、警察に訴えてやるからな!」

 「だんなさま、公的機関の保有する登録情報はすべて書き換えを終えております。痕跡が残っておりませんから、改ざんの証拠がないのです。そもそも警察も、外部から特定個人の戸籍情報を改ざんできるとは想定できませんでしょうから、かえってだんなさまが疑われてしまいます」

 命言の言うことはもっともだ。目の前に突き付けられた戸籍謄本の写しが、強制的にねつ造された事実関係がすでに「真実」となっていることを雄弁に物語っている。

 「もういい・・好きにしろ」

 健造は、目の前の現実にもはや抗う術を失っていた。目の前の朝食を一気に平らげ紅茶を飲み干すと、自分の部屋のベッドの中にもぐり込んで頭から布団をかぶった。

 結局、居候二人を抱えることになり、名ばかり世帯主に仕立て上げられた健造は、ショックのあまり、その週の登校を見送ったのだった。

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