第一夜 かぐや姫、雑木林より現る②

 「ぐはっ!!」

 女は、あり得ない力で右腕を健造の胸板に押しつけた。

 壁にめりこみそうになりながら、健造の体は宙に浮かんで静止していた。気管が圧迫され呼吸すらままならず、声は出ない。健造は両腕で女の右腕を振りほどこうとした。だが、微動だにしない。

 体勢を立て直そうとしようとしたとき、隣室で寝ていた女の子がうつらうつらと歩いてくるのが目に入った。激しい衝撃のため、目を覚ましたのだろう。

 子どもの危険を察知し、健造は渾身の力で女のこめかみを殴った。ごつっ、という衝撃音とともに鈍い痛みが伝わる。まるで硬いプラスチックの塊に拳を打ちつけたような感触だ。視界に入るのは傷一つない、無表情な女の顔。それでも、ありったけの力を奮い健造は拳を振りおろし続けた。女は、その連打にダメージを受けるまでもなかったが、暴れる健造を押さえるべく、拘束していた片腕を引き、今度は両手で健造の首元を押さえつけた。

 「ぐぐっ」

 これには健造も、首を締め付ける女の両腕を解くしかなかった。しかし、力の差は歴然で、次第に女の指が健造の喉に食い込んでいく。


 寝ぼけていた子どもは、その凄惨な状況を認識したらしく、顔をこわばらせていた。そして、全身に力を込めてありったけの声を振り絞るのだが、「ぃー」と息を吐く音にしかならない。早く逃げろ、という健造の願いもむなしく、子どもは顔を紅潮させ、「ぉー」と悲鳴ともつかない声をあげた。

 絶望的な状況で次第に薄れゆく意識の中で、健造は子どもが懸命になにかを伝えようとしているのではないかと思った。それがなんなのかという思考は、もはや健造の意識から途絶えていた。健造の腕が力を喪失し、だらりと垂れたとき、

「とーぉー」

と子どもの甲高い声が響いた。


 次の瞬間、女の瞳から幾何学文様が消え、健造の首を絞めていた両手が振りほどかれた。健造はき込みながら、その場に倒れ込んだ。起き上がることはできなかった。

 女は子どものほうを振り向き近寄ると、両手で抱きかかえ顔を近付けた。そして、目をつむり、自分の額を子どもの額の上に重ねた。二十秒ほどの沈黙のあと、女は目を開け、緊張のあまりぐったりとした子どもを、静かに元いたとこの上に寝かせた。

 子どもの無事を確認すると、女は健造のもとに近付いた。そして、まだ力が入らずうずくまったままの健造をひょいとかつぎ上げ、食卓の椅子へゆっくりと座らせた。女は平然とキッチンに赴き、グラスに水道の水を満たして持ってくると、後ろ手に健造を頭を抱えてグラスを口元に持ってこようとした。

 健造は、それを拒否してグラスを振り払ったので、半分ほど水が床に飛び散った。女は水を飲ませるのを断念して、グラスを食卓に置くと、再びキッチンから乾いたふきんを持ってきてその水を拭き取った。そして、その場所に直に正座した。


 「だんなさま、申し訳ありませんでした」

 女は深々とこうべを垂れ、その場で一礼した。それを見て健造は、女が当座、攻撃する意思がないことを認識した。

 「何なんだ、おまえは!」

 女は、平然とした表情で健造を見つめながら淡々と答えた。

 「私は養育目的の支援型アンドロイドで、名を『命言みこと』と申します。こちらにいらっしゃる、『月読つきよ』さまを監護・養育するために登録された機体でございます」

 なにを言っているのかと、改めて全身を見回す。黒ずくめの服装の不気味さを除けば、外見は二十代女性と見て疑う余地はない。が、先ほど健造を追い詰めた怪力といい、殴った時の拳の感触といい、人間でないという申告は虚偽ではないのであろう。しかし、自律して言語を解する眼前の機械人形を現実のものと受け入れるのは、まだ追及すべき情報がたくさんあった。


 「おまえは、どこから来たんだ」

 こんな技術を持つのは、企業、大学、国家機関・・機密の壁によって厳重に秘匿された強大な組織を思い浮かべた。そのような大掛かりな組織が、こんなどこにでもある住宅地に何の用があるのか。この子との関係は何なのか。とりとめのない断片的な発想を整序しても、どうしても論理的な結論に結び付かない。

 だが、命言みことと名乗るこの女の発言は、そんな空想をしのぐものだった。

 「本星系より一万四千光年あまり離れた、この星の名称でケンタウルス座ωオメガ銀河団の第一八六二七恒星系に属する惑星で、我が始祖は名を『神奈原カムナバル』と呼んでおりました」

 「宇宙から来たって!?」

 健造は思わず息を呑んだ。健造の動揺する様子を一瞥しながら、命言は平然と続けた。

 「驚かれるのも無理ありません。このように素情を明かして地球人と接触するのは、私に登録された情報では過去二五〇件あまり。そのうち、円滑な親交を築けたのは、一パーセントに満たないのですから」

 むしろ、昔からそんなにあったのかと思う。いや、それが公に伝承されてこなかったということは、円滑な親交を築けなかった場合は、ひょっとして消されるんじゃ・・


 このひどい仕打ちには、「異星人=侵略者」の構図が当てはまる。健造は、目に恐怖の色を浮かべながら、おそるおそる命言の表情を覗いた。

 「ご安心ください、だんなさま。もう先ほどのような行動を取ることはありません。それよりも、だんなさまには、私たちのよき理解者となっていただきたいのです」

 「おまえの言うことが本当なら、仲間の宇宙人が大量にやって来ているんじゃないのか? それで地球侵略の拠点を作ろうとかいうことに、おれを巻き込むんじゃ・・」

 健造がそう言いかけると、命言は途中でその言葉を制した。

 「いえ、滅相もありません。月読さまと私は、二人で宇宙を漂流していたところ、ようやくこの惑星にたどり着いたのです」


 それから、命言は、自分と子どもの出自を淡々と説明し始めた。

 「我が母星は、高度な科学技術を有し一体的な統治機構を築いて栄華を誇っておりましたが、偏狭な部族間対立が起こり戦乱状態に陥りました。戦乱は長期化しようやく停戦したときには、母星は見る影もないほど荒廃してしまったのです。そこに至ってカムナバルの人間は、千余りの調査船団を編制し移住可能な惑星を探す旅に出航したのです」


 語りながら、命言は健造の瞳に視線を向けた。命言の瞳孔が膨張と収縮を繰り返すように不規則な動きを示すと、健造はその動きに取り込まれるように眼が離せなくなった。催眠術でもかけられているように、静寂の中で命言の話す言葉だけが抑揚のない旋律のように頭の中を流れていった。

 「船団の中のひとつに、月読さまの母上が搭乗されていました。その船団は、宇宙線により突然変異した新型ウィルスの異常発生により、伝染病が大感染パンデミックし、搭乗員のほぼすべてが死亡したのです。航行機能を失った船団の中で、生まれたばかりの月読さまと母上だけが妊娠・出産による免疫機能により一命を取り留めました。お二人は、枝分船ブランチシップに搭乗して船団を離れ単独航行を続けたのですが、途中で船体の運航機能が大幅に低下し航行に支障が生じました。

 お母上は、もはやこれまでと自覚され、月読さまを冷凍睡眠コールドスリープ装置に入れ、私に後事を託されたのです。そして、船に過去の航行記録が残されていた星、地球を目的地としてプログラムしてお亡くなりになりました。枝分船ブランチシップはその後、航行を続けましたが、やがて冷凍睡眠装置の機能が低下し、冷凍睡眠が十分に維持できなくなってからは成長抑制剤を投与し続け、なんとか生命を維持し続けてきました。そして、薬が切れる寸前にこの星系(太陽系)に到達したのです。

 枝分船ブランチシップを衛星(月)の裏側に停泊し、月読さまと私はシャトルで地球に降り立ちました。人目を避けてシャトルをこの付近の地中に埋めたあと、私が情報収集と食料の調達に赴いている間に月読さまがひとり待機場所から離れてしまわれたわけです」


 淡々とした語り口が頭の中に響き渡り、健造は一心に命言の話に耳を傾けていた。命言が話す光景が、まるで実際の写真か映像でも見ているかのように、鮮やかに脳裏に浮かび上がった。

 命言の話が途切れると、健造は、催眠術が解けたかのようにふと我に帰った。不思議と、命言が語った荒唐無稽と思える話の一部始終に対して、疑う余地なく受け止めていることに気付いた。

 「おまえ、おれに何をした?」

 健造は、両眼をしばたかせ、命言から視線を外し部屋の中を見回した。視界に特に異常はないようだ。

 「はい。わたしの眼球から、だんなさまの網膜に直接、フラッシュデータを照射しました。網膜がそれを受け取って、脳に直接鮮明な画像を送っているかと思います」

 「おまえ、なんてことをしてくれたんだ。おれに催眠術でもかける気か」

 健造は、あわてて目をこすった。

 「ご安心ください。私には脳波に直接干渉し、精神支配を行う機能も装備されていますが、いまそれを行使する時ではないと認識しています。だんなさまの視覚には異常はありません。だた、私の話を現実のものとして理解していただくために、わが母星や艦隊の画像をお見せしたのです」

 こいつは、やはり危ないやつだ。そして、健造が察知した命言という眼前の怪女への恐怖が、とりもなおさず、命言こいつの話が架空でない現実だと思わせるのであった。


 命言はさらに、これまで自分が取った行動の意図を説明した。

 「さきほど、月読さまのこれまでの記憶を引き出し、だんなさまから親切にしていただいたことを理解しました。私の思考は、他者による月読さまの誘拐があったと認知し、敵拠点を探索、急襲し月読さまの身柄を奪還することを目的とする行動をとりました。しかし、あなたの目的は月読さまの保護にあったようであり、私の初期認知に誤謬があったようです」

 「『誘拐』って、幼女を家に連れ込んで身代金でも要求しようってか?」

 「いいえ。私がこれまでに収集した情報によれば、だんなさまの年代の男性は性的な衝動に突き動かされ、時として予測不能な行動をとるとありました。直接、警察に赴かず、自宅に同行させた時点で性的行為に及ぶ危険性が極めて高いと判断しました」

 「そんな! 犯罪者かよ、おれは!」

 そういう理由かと、健造は面喰らった。ちょっとした親切心がこうもこっぴどい仇で返されようとは、慣れないことをするものではないなと思った。

 「申し訳ありません。だんなさまに害意をもって接したことをお詫びします。改めて、だんなさまを私たちの理解者として認識し、今後、忠実にお仕えすることをお約束いたします」

 「いまそんな話を信じろと言われても、さっき殺されかけた相手のいうことを、直ちに『はいそうですか』ってわけにはいかないだろ」


 健造は、警戒心を解かなかった。あまりに唐突な話ばかりで、信用するに足る確証はない。また、いつ危害を加えてくるか分からない相手だと思えた。

 「だんなさまが私を警戒されていることは、理解しています。そこで敢えてお願いするのですが、月読さまをしばらく保護していただけないでしょうか」

 「家に置くってことか?」

 「左様です。私たちには、この星で当面、生活する拠点がないのです。ですので、私たちの事情をご理解いただいただんなさまに、おすがりするほかないのです」

 確かにこの子をほっておけない気持ちはある。だが、面倒を誰が見るというのか。

 「おれは学生で、いまは学期中だ。自分で何もできない幼児を日中ほったらかしておくわけにいかないだろう」

 「その点は、ご心配におよびません。日中はわたしがお世話しますし、月読さまも、まもなく自立した行動が取れるようになるでしょう」

 「なに言ってんだ。言葉も満足にしゃべれないんだぞ。信用できないおまえといっしょに、家に置いとけんだろう」

 そう言って、健造は議論するのをやめた。やはり、この女を家に入れるのは危険だ。いますぐ一一〇番して警官に突き出したいところだが、うっかり警察を呼ぼうものなら、この女が翻意して、また自分を襲うとも限らない。


 「今日は、出て行ってくれないか。もう遅いし、この子も疲れているから、今晩は家に置いてこのまま寝かせておく。明日、迎えに来てくれないか」

 健造はとっさに対案を示した。命言は、倒れたように眠っている子どもを一瞥した。

 「だんなさまがそう仰るなら、今宵こよいは帰投いたします。明朝、また参上することにいたします」

 子どもを動かせないと悟ったのだろう。命言は立ち上がり、玄関に歩を進めた。そして、健造のほうへ向って深々と一礼してから、静かにドアを開けて立ち去っていった。

 命言が退去したあと、健造はおそるおそるドアを半開きにして外の様子を窺った。命言の姿はすでになく、マンションの外は真夜中の静寂が広がっていた。健造はドアを閉め、手早く鍵をかけた。


 健造は、あわてて部屋に駆け込んでスマートフォンを手にした。震える指先で、必死に一、一、〇のキーを押した。数回の呼出し音が鳴り、女性の声がした。

 「どうかなさいましたか、だんなさま」

 健造は、わぁっと恐怖に満ちた声を上げ、スマホから耳を離しあわててモニターを確認した。確かに一一〇にかけている。

 「なにか御用の際には、何番にかけてもつながりますので、呼び出してください」

 健造は即座に電話を切った。そして、隈なく機械を調べた。スマホが細工された形跡はない。とすると、電波が外部から干渉されていて、命言以外の番号につながらないようになっていると思うしかなかった。

 まさか・・、そんな・・ 健造は、スマホを懐にしまい、その場にへたり込んだ。いったい何なんだ、この状況は・・ 反芻(はんすう)しても、事情がよく整理できない。寝室には、依然、雑木林で拾ってきた幼児が疲れて眠っている。アンドロイドを制止するのに、力を使い果たしたためだろう。発語できないところを無理して、アンドロイドを制止するキーワードを叫んだことが原因かもしれない。


 健造は毛布と布団を持ち込んで、幼児の隣りに敷いた。目覚まし時計を五時にセットし、横になった。とりあえず、この子のそばにいれば、あの女もうかつに襲って来ないだろう。周辺に潜んでこちらの様子を窺っているかもしれないから、暗いうちは外に出ない方がいい。あと数時間のち、夜が明けるのと同時に警察に駆け込もう。そして、事情を話さなければならない。とりあえず、宇宙から来た異星人うんぬんの話は捨象し、捨て子を保護したら自称母親と名乗る女から攻撃を受けたとして、事情を説明し納得してもらうしかない。警察に、この子と自分を保護してもらうようにしなければならない。

 健造は横になりながら、明朝実行しなければならないオペレーションを頭の中でシミュレートした。興奮状態で頭も体も冴えており、まったく寝付ける状態になかったが、鳥がしきりにさえずり新聞配達のバイク音がかすかに耳に入ってくるころ、疲れのせいか次第に意識が遠のいていくのを感じた。

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