第22話 雪が降っている



 一番の部屋に入ると、青龍寺せいりゅうじ家の御令息がこちらを二度見してきた。悪いか、私が参加しては。よそよそしく入口付近を陣取り、父親に似た硬い顔つきにご挨拶あいさつだ。



「ごきげんよう、青龍寺様」


「まさか……、本当にこの部屋に来るとは。それも最初のセッションで」


「部屋番号の順です。本日はよろしくお願い致します」



 隣にご来駕らいが頂いている後援会委員様に音楽への情熱を示す絶好の機会でもある。私が邪魔だというなら、奨学金の財源組織の役員を父に持った巡り合わせを呪ってくれ。






 まずは五人のセッションにて、唯一の持ち曲をどうにか終えた。なお、危うく青龍寺親子と私の三人トリオ編成で始まりそうだったので、部屋の前で気弱にまごついていた見知らぬ女生徒二人を引きずり込んでいる。


 私のフルートは授業で吹いた課題の他は鳴らないため、そそくさと退こうという矢先、呼び込んだ女生徒に震え気味の声色で引き止められた。



「あ…あの、もう帰ってしまわれるのですか?」


「お恥ずかしながら、私は先ほどの一曲しか習得しておりませんので」



 アイスマン父子というマンモス級冷房装置の近くに取り残されたくない気持ちは実によく分かるが、去り行く私には関係ない。そのすがるように伸ばされた手を見かねたのは、意外にも父マンモスだった。



「まあ、楽曲を知らないくらいで、そうかしこまることもない。そうだ明崇あきたか、昔お前が弾いていた曲があったろう、『調律曲』だったか。あれならすぐできる」


「ち、父上っ! あの曲は……!」


「どうかしたか。コンクールで友達に教えてもらったと嬉しそうに弾いていたじゃないか。レッスンを嫌がらなくなったのもあれからだ」



 青龍寺父が、すまないがここはどうか、と他二名に許可をとりつけるかたわら、息子の明崇あきたか(そういえばそんな名前だった)が目に見えてうろたえている。



「『調律曲』は。あの、曲は……」


「役違いで差支えなければ、私ともう一曲、演奏して頂けますか?」


「山中山……、お前とこの曲を、かなでることになるとは思ってもいなかった」



 奏でる、と言ったところで怜悧れいりな目元が歪んだ。よほど大切な曲と見えるが、青龍寺の古き良き想い出を汚すことへの罪悪感など微塵もない



「――ただ、この聖演会は、誰もが音楽を演じられる会だ」


「私の力量で習得できると嬉しいのですが」



 何よりも調律曲とやらの難度を気にかける私に、青龍寺はバイオリンで指示を出す。



「音やリズムがズレてもいい。ラの音を、このくらいのリズムで」


「では、どうかお願い致します。もしよろしければ、皆様もご一緒に」



 音合わせチューニングで鳴らすラ音を吹くが、私の誘いには誰も乗ってこない。


 独りむなしい四音目を合図に、青龍寺のバイオリンが響き出した。すると、ただ鳴っているだけのはずのラ音が、その伴奏によりメロディーへと変化していく。そして旋律に誘われた他の楽器達が、さらなる音の重なりを生んでいった。



 ただの単音がメロディーになる、そんな魔術じみた十数秒を終えると青龍寺は追憶に目を閉じ、そのまま溶けるような笑みを浮かべた。



「『音楽』は、学がなくても楽しめるのだと、かつてこの曲と共に教えられた。それだけのこと。――この曲を誰と奏でても、大切なことは変わらない。たった、それだけのことだと、改めて教えられた」



 散々取り乱していたのがほがらかに転調した理由はよく分からない。私としては、初見の曲にも即興そっきょうで合わせる音楽隊に戦慄せんりつするばかりだった。にわかに熱を帯びる修羅達の聖演に、背筋にぞくぞくと冷たいものが走る。


 私は後学のためにと次曲を鑑賞し、そして一番の部屋を後にした。







*****







 二番の部屋は順番待ちができる程度には混雑しており、朱雀宮すざくみや兄妹の人気ぶりを伺わせた。


 列から部屋に入り、例によって一曲笛を吹き、裂けた楽譜に続く一曲で息を吐いてからおいとまとすると、烈風のトルネード妹が廊下まで見送りに出てくる。



「朱雀宮様、本日は素晴らしい経験をさせて頂いております。聖演会の企画運営、ありがとうございます。生徒会の他の皆様にもよろしくお伝えください」


「そう言って頂けると私も嬉しく思いますわ」



 金色の巻き髪を揺らしてたかぶる彼女は、私の手をしっかと握り続けている。まだ何か用があるのだろうか。



「それともう一つ。今朝、お兄様と逢瀬おうせなされたと聞きましたわ」


「二人で会う機会があったのは事実です。ただ、逢瀬というと語弊ごへいが」


「つまり、お姉さまとお呼びしても?」


つまり・・・つもり・・・もなく、それは誤った問いかけです」



 まず人の話を聞け。降り積もる雪を振り払うように握られた手とねじり切れた質問を外すと、竜巻女は私に耳打ちした。



「ここだけの話、各家ともども婚約者を決める上での最終確認として、この聖演会に足を運んでいる方もいるそうです。山中山さんの行動も注目されているかもしれませんわ」


「私は聖演会に、音楽をしに参りました。他意はありません。音楽に真摯しんしに取り組む姿勢のみを評価頂けると良いのですが」


「あら、私はとても好ましく思いますわ。きっと他の皆様もそう思われるでしょう」


「ありがとうございます。他の方々がどう解釈するかはさておき、引き続き気にせず聖演会を楽しみたいですね」



 裏話は当然無視する本日、室内楽チェンバーセッションも二部屋を巡れており、今のところ順調だ。先ほどフルートを噴かして演奏を中断させた程度、おおむね順調である。







*****







 続けて三番の部屋へ向かう途中、使わない通路の奥から何か聞こえた。どこか覚えのある保護者の声色は、もちろん無視して先へ進む。



「まあ、山中山さんだわ! ほら雪一、やっぱり来てくれたじゃない」


「そうか貴女が! 貴女たちのおかげで、僕のハニーの想いに気付けたんだ。ぜひお礼を言いたかった!」


「母様、父様も、やめてよこんな所で…」



 色めく白虎院一家であった。なお、礼を言われる筋合いはない。


 先日の夕食会で激昂げっこうしていた母親は夫の腕を抱きしめて異様に浮かれていて、一本の傘で街を練り歩くような仲睦なかむつまじさには実に妙味がある。雨降って地固まるとはこのことを指すのだろう。



「だって、どこでも愛しているもの。ねぇ、だーりん」


「いつでもどこでも愛しているよ、ハニー」



 しかし、生徒主催の学校行事に招待された父母が、会場内でこの痴態とは。熱っぽく見つめ合う夫婦の裏で、運営を担う息子の心は間違いなく冷え込み、万年雪を記憶に積もらしていることだろう。



「白虎院様、きっとみなさんが三番の部屋でお待ちですよ。早く戻られた方がよろしいのでは」


「うん、そうなんだけど……ね」



 白虎院は部屋に戻れない理由を言いよどみながら目線で答えた。風紀的に怪しい夫婦の排斥はいせきに明らかに苦慮している。



「山中山さんは、他の部屋に居なくていいの?」


「授業の課題曲を曲目に含む部屋を順に回っております」



 円滑な進行のため、白虎院にはさっさと部屋に戻って貰いたい。


 この両親から顔に泥を塗りたくられる懸念など、最近の私への過度な接近に比べれば大した問題ではないはずだ。弱小劇団の醜悪極まりない泥人形遊戯でも、存分に披露すれば良い。



「ご両親様もいらっしゃると盛況なセッションになりそうですね」


「楽器なんて弾けないわ」


「僕も音楽はさっぱりだ」



 なぜ入場してきた、室内楽チェンバーセッションの部に。



「それより、姫山さんはいるのかしら」


「あいにく、存じ上げません。最近校内でもお見掛けしないもので」


「それは残念だし心配だねぇ。私達の愛のキューピッドには、ぜひとも雪一をよろしくと伝えたかったのに」


「姫山さんとの面会は、職員室で先生方に相談頂くと良いかと考えます」



 不在にしてなお存在感を発揮する超人をエサにご退場を願う。



「そうか、職員室だな。行ってみようか、ハニー。雪一の晴れ舞台が見られないのは残念だけどね」


「行きましょう、ダーリン。雪一は山中山さんをしっかりエスコートするのよ」



 姫山の超能力の余波か、あっさり職員室へ除雪されていった。去り際、岩見先生に聞いてみましょう、と晴れがましい突撃案が聞こえた気がするが、気のせいとする。



 白虎院の息子殿は眼鏡を外して目を擦り、私に向き直った。



「また、助けられちゃったね」


「とんでもありません。それでは白虎院様、三番の部屋までご一緒してもよろしいでしょうか」


「……聖演会まで僕と一緒にいたら、誤解されるかもよ」


些細ささいなことです。誤った認識は無視しましょう。室内楽チェンバーセッションに支障はありません」



 部屋主と一緒なら順番待ちができていても割り込める可能性がある。私が示すべき純粋な熱意に妙な色が混ざる懸念はあれど、少しでもセッション参加数を稼ぎたい。得体の知れない他人の感想よりも、数値的な成果を優先する方針だ。


 そして半身で先導する私は、腕を広げて襲い掛かろうとする白虎院に気付いていた。音楽優先といっても、脳内リスト上位の危険生物への警戒はおこたらない。


 とっさにフルートでけん制すると、大きなため息とともに、捕縛を諦めた手が力なく垂れ下がる。



「御両親に当てられましたか? 時、場所、そして相手を間違えています」


「間違いかどうかもわからないよ……。だって僕たちはたぶん、何もわかっていないんだから。僕たちがどう見られているのか、僕たちはどうしたらいいのか」


「今日のところは楽器の弾き方がわかっていれば十分です。聴衆の皆様方を気にせず、音楽に情熱を向けることが正解だと私は思っています」



 もしこの理解が不十分なら、開き直るしか手は無い。








*****







 以降の午前の部は、泥をき散らす自転車のごとく部屋を巡り、できる限り多くの参加者と、多数のセッションをこなすことができた。


 続く午後の部では、当校オーケストラ部の美しい調べに耳をました。一つひとつの音が明確に表現されながら全てが完全に調和した、実に素晴らしい演奏が展開され、聖演会はほまれ高き盛大な拍手をもって閉会へと至った。



 くたびれた心身を伴う帰り際、何人かに夕食を誘われたが全て謝絶済みである。まだ聖演会を終えただけ、高級ディナーにうつつを抜かしている状況ではない。加えて家の冷蔵庫には白菜カレー(芯入り)の残りが幅をきかせている。



 さて、本日の成果、すなわち私の音楽への情熱はどうだったか。また聖演会を通じて私の音楽への理解、姿勢はどう変化したか。



 具体的に評するには私自身の音楽的感受性が決定的に足りないが、いま必死に言葉を探している。聖演会の体験を、自主的に・・・・感想文にまとめて提出するために。音楽教員をうならせる熱意を込めた感想を書くために。



 最後まで死力を絞り出し、何としてでも音楽の期末試験の結果を挽回ばんかいするのだ。来年度の学費全額免除を獲得できるかどうか、恐らくこれが最後の節目ふしめとなるだろう。




 十二月下旬、自宅前。雪が降っている。




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