第21話 第一主義


 聖演会の当日、厳しく冷え込む朝に、私は校舎内の音楽室までフルートを取りに来ていた。朝練の時間帯から鍵の貸与たいよを願い出ることで、教員に音楽への意欲が示される。大講堂での本番に向けてまずまずの滑り出しだ。



「これだけ朝早くにお会いするとは奇遇ですね、朱雀宮すざくみや様」


「そうでもない。シャーリーが朝早くに練習すると信じてここに来たからね」



 最初に立ちはだかったのはトルネード兄。貴族を思わせる芝居じみたお辞儀に続いて、手が差し出された。



「今日の聖演会で僕は、シャーリーと共に行動したい」


「ご意向には沿えません。半年前の花鳥祭ではお借りした御手ですが、足元は状況が異なります」



 この冬の足場は妙に滑る。婚約者候補に祭り上げられている者同士、つるつるの氷上で手を取り合えばどう転ぶか分からない。薄氷であれば命取りだ。


 共倒れの懸念に対し、体勢を崩した他人を非力な私が支えられる可能性はゼロだろう。逆に私が転びかけたとすると、勢いによっては相手が支えきれない事も考え得る。


 人頼ひとだよりは相手に負担を、私に負い目を生む。双方の利害を考慮すれば、ここで手を結ぶべきではない。



「聖演会で私は第一に音楽への情熱を示したく、熟考した結果、独りでの参加を決断致しました」


「僕ではシャーリーの情熱を引き出せないというのなら、それは残念だ」


「本日は特定の誰かとではなく、なるべく多くの方とセッションすることで、意欲を示す方針なのです。もちろん、朱雀宮様ともご一緒する機会があれば嬉しく思います」


「この時期に多くの相手と。なるほど、――そうくるか」



 私の実力を知る若干名から招待も受けてもいる。それらを含めて順番に部屋を回っていけば室内楽チェンバーセッションの部は突破できるだろう。運営を担う生徒会役員を通して教職員に私の存在感が伝われば目的は達成される。



「それなら僕は、シャーリーの練習に協力することで、僕たち二人だけのセッションとしよう。幸い、開会までは十分な時間がある」



 優雅にピアノに座るトルネード兄。朝の静謐せいひつな音楽室でCメジャー・スケールドレミファソラシドを演じるその姿は、雪原に降り立つ聖鳥とも例えられようか。しかし私には豪雪吹きすさぶ嵐の予兆に見えた。



 当日の朝の練習でさえ、「そんな音ではとても楽曲にならないな」との評価は当然に飛び出すだろう。半年前にたまわったダンスレッスンを思い出し、身体に震えが走った。







*****







 きもが縮む音楽レッスンを終えた私は、早くも疲れのにじむ心で大講堂におもむいた。受付の机上には、当校制服を模した布をまとうデカい猫の縫いぐるみが寝転んでいる。


 先日、型紙も引かずに即興で完成させた衣装は、粗が目立つ独特の手作り感がポイントだ。



「おはようございます、玄武堂げんぶどう様」


「おはよう玄武堂君。きみと、その縫いぐるみも制服で参加か」


「リックは...しっぽの服だね......ぼくたちは、シャーリーとおそろい...いいでしょ」


「ふ、妬けてしまうな」



 燕尾服を着る朱雀宮兄が微笑ほほえみを流してくる。合わせて、珍しい物を良い物に直結する典型的だまされ思考も垂れ流されている。私はどちらも無視して受付用紙に記名した。



「ねえ...シャーリー...せいふくのおかえし......ほんとにいらないの...?」


「はい。強いて申し上げるなら、見繕ったその衣装をはずみに聖演会運営の役割を成し遂げて頂くこと。玄武堂様の頑張りを私は期待しております」


「うん......楽器はできないけど、ぼく、がんばるよ...!」



 玄武堂を運営業務に縫い付けられれば聖演会の擾乱じょうらんが抑制できる。婚約者候補に私からプレゼントを贈ってしまったのは失態だが、前向きに考えよう。



「シャーリーとおそろいだったこと......きょう来るみんなが......わすれない...ね」


「受付の役割に関しての頑張りを、私は期待致しております」



 謎のアピールで参加者の想い出を侵食しないよう私は強く願う。あるいは受付での記憶を塗り替えるほどの、感動的な演奏会になることを祈るばかりだ。







*****







 入場後にトイレを経由してトルネード兄をいた私は、未だ入口付近で足踏みしていた。というのも、ぽつぽつ来る外部客が腕章も確認せずに案内を頼んでくるからだ。受付の男が制服を着ているせいか、係の者と誤解されている。


 当校自慢の大講堂は、大小さまざまな音楽室を当然のように有するだけに迷うのは仕方がない。案内表示はあるものの、室内楽チェンバーセッションの部ではどうしても動線が複雑になる。



 そしてまたしても外部客と目が合ってしまった。黒いスーツで冷厳さをかもす男は私の前まで歩み寄りその口を開く。



「失礼。山中山さん、で間違いないかな?」


「ごきげんよう。申し訳ありませんが、どこかでお会いしたことがありますか?」


「私は青龍寺せいりゅうじの父親で、直接会うのは初めてだ。もっと早く挨拶あいさつしたかったが、定期試験前は避けた方が良いと言われてね」



 青龍寺の御尊父だった。まさか拝顔の栄に浴するに至るとは。



「息子の婚約者候補に選んだ身として、山中山さんとは直接会っておきたかった」


「率直に言って、道徳的に問題がある話と私は考えています。合わせて、他の候補の方を推薦したいとも」


「当家が定めた婚約者候補は君一人だけだ。……その様子だと、愚息は伝えていなかったようだが」



 危うくフルートを落とす所だ。私一人だけ?


 超人を筆頭とする他の候補がいるのではなかったのか?



「事実として受け止めることは、難しいです。もっと素敵な方がいらっしゃいますから」


「魅力的なお嬢さんなら誰でも、というわけにはいかない。愚息に伴侶を守る力が無い間に、潰れるとわかるご令嬢ではね」



 タフネス第一主義。正気か、栄達えいたつを重ねた大人物が。



「参考までに、私だけを選出した根拠をうかがってもよろしいでしょうか? 慣れない環境でも潰れにくい女性は、他にもいらっしゃるはずです」


「一言で表せば、成長性だろう」



 婚約関連ではマイナス成長を見込む私に、青龍寺父は続ける。



「私は後援会の委員をやっていて、特待生の状況は聞き及んでいる。入学以降の君の能力伸張は実に素晴らしい。特に学力は昨年度末からトップを維持し、その地位に甘んじることなく常に向上を目指している」


「お言葉ですが、学力とそれ以外は区別した方が良いかと」


「この学校の教育は、かつて花嫁修業にも定評があった。君がフルートを手にこの場にいることも、あるいは伝統を受け継いだ教育の成果かもしれないな」



 私が当校に通い続けるのは、時代遅れの花嫁修業のためでは断じてない。



「君には迷惑をかけて済まないが、身に着けた優れた能力には、発揮する機会が与えられるものだ」


「評価の御言葉は身に余る光栄です。ただし私はこれまで通り、あるいはこれまで以上に、私なりに活動させて頂きます。ご令息様へも、よろしくお伝えください」



 反吐へどを奥深くに封じた一礼にて挨拶あいさつを終えて別れる。


 要するに、潰れやすい場所に跳ねっかえり者を押し込んだだけではないか。息子が執着する女生徒の名は姫山であるから、山中山わたしなど首をねられて押し出されるだけだというのに。


 音楽の演奏会に無関係の氷水をさす大人はシャワーから水しか出なくなればいいと呪いつつ、私は呼吸を十分に整えてから室内楽チェンバーセッションの会場へ進んだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る