第20話 今回ばかりは助けられた
試験期間の昼休み、私は次限のため音楽室に先入りしていた。待ち受けるフルート実技試験に向けた最終確認のさなか、
「これは朱雀宮様、お耳汚し失礼致しました」
「ごきげんよう山中山さん。春からの上達は目覚ましいですわね。聖演会で
「お言葉ありがとうございます。私としては、フルートの難しさを実感する次第です」
聖演会の響きからして、沸き立つやかんは吹かせるべきではない。
「セッションは当日参加も歓迎です。聴くだけに留まらず、多くの方々に演奏して頂ければ嬉しく思いますわ」
「検討は致しますが、他の方々へのご迷惑を考えると気が引けてしまいますね」
聖演会は二部構成の学校行事で、音楽系の部活によるコンサートに加えて参加自由の
経験と音感に乏しい私が飛び入った所で、待ち受けるのは見知らぬ人間と耳慣れない楽曲に囲まれた奈落の牢屋。音楽とするには、「楽しむ」の定義を大いに拡張することが前提となる。
「いずれにせよ、全てはこれからの実技テストで最善を尽くしてからです」
「ええ。私も負けていられませんわ」
朱雀宮の熱意ある美しい調べは、なかば
*****
数人のグループ毎に行われる実技試験で、私は最終グループの始めに出番を終えた。
その後は築き上げたクラスの底辺から他生徒を観賞するばかりだが、幼少からの過酷な管弦楽レッスンを乗り越えてきた音色には正直、心揺さぶられるものがある。
実力者がピアノを打鍵するごとに、バイオリンの弦を弾くたびに、私の奨学金に
やがて各員の実技が終わり、私は思いがけず、最後に退室することとなった。控室に戻ると同グループだった
「山中山さん。試験室で先生に呼び止められていたけど、何だったの?」
「来週末の聖演会で、
ゆっくりと言葉を区切りながら、音楽教諭のコメントの趣旨を整理して飲み込む。
『これまで経験不足は大目に見てきたが、難しくなってきた。事情を汲んで評価するためにも、せめて音楽への抜きんでた情熱が欲しい』
生徒会の肝入り行事を補習代わりにしては、なおさら聞こえが悪いだろうに。昼休憩中に教室を抜けてフライング気味に
「山中山も聖演会に参加、か。互いにままならないものだな」
「青龍寺、まだネガティブ続いてるの? さっきのバイオリンもらしくない音出してさ」
「貴様には関係ないことだ」
アイスマンは超人とのすれ違い以降、ますます気分が冷え込んでいるようだ。その音の違いを聞く耳を持たない私にとっては、自傷的な弱腰が無害でありがたい。
一方で変に調子を上げてきている白虎院は、笑顔のままさらに距離を詰めてきた。たじろいで間隔を保つ私を不可解な言葉が追う。
「ねえ、僕と二人組で参加しようよ」
「運営をなされる生徒会役員の方と、二人組。室内楽にですか?」
「聖演会当日はそんなに仕事ないし、知らない人との初見演奏は大変だよ」
二人組での行事参加と言うと、一学期の花鳥祭が思い出される。社交ダンスで懇親を図るという、一部虫けらの排除を前提とした学校行事だった。なお、私は
「私は初見演奏の大変さを気に致しません。参加を決めるからには、皆様方の御迷惑になることを気にしないという意味です」
聖演会当日に大変なのは無教養な私ではなく、私に合わせる他生徒だ。それに競争では無いのだから、多少の困難があった方が
「生徒会の方々の素晴らしい運営により、楽器が下手でも充実した時間を過ごせると期待しております」
「そんなこと言わずにさ。僕が一緒に行きたいんだ、可愛い婚約者候補と」
「耳慣れない候補のお話は、恐るべきことに複数の方とございます。あらぬ誤解を避けるため、私は単独参加の方針です」
周囲は深い冬霧に包まれているが、私は花鳥祭の頃と同様に考えている。すなわち、学費全額免除となる一級特待の死守が最優先事項だ。鳥肌の立つ人間関係に興味を向ける余裕などない。
さらには聖演会にて音楽への熱意を示し、苦手科目への温情評価を狙おうというのだ。その私が実力者の
楽器ロッカーへと急ぐ私に、しかし白虎院は追い討ちをかけた。すれ違い様に私のフルートが奪取される。
「僕と二人で参加してくれたら、楽器も教えてあげるよ。ほらこんな風に」
「一体なにを――」
唖然とする間にフルートを鳴らし始める白虎院。
「何やってるんですか自暴自棄な…! 変な
コップの回し飲みより軽微な接触とはいえ、当校の常識に照らせばドブ川から釣り上げた錆びたやかんに口をつける行為に等しい。
「こうやって君の感情が見られるのなら、僕はもう外聞なんて気にしないことにしたよ」
「白虎院様は人一倍気にしてくださらないと困ります。青龍寺様も妙な形で吹聴しないよう、宜しくお願い致します」
青龍寺たるもの偏向ゴシップを量産する色眼鏡では見ないだろうが、念のため釘を刺す。横の色気づいた眼鏡には目線にて五寸釘を打ち込んでおいた。
「白虎院様、私は聖演会に独りで参ります。当日、
「僕は三番の部屋で待っているよ」
「承知致しました。ごきげんよう、お二方」
都合よく教師が戻ってきたことを契機に尻尾を巻いて逃げる。次限のテスト前にこれ以上精神を乱されるのは
*****
十二分に清掃を
なぜ氷像がここに。
「聖演会、俺は一番の部屋にいる」
「はい。承知致しました。それでは」
「それと山中山、もし当日………いや、……」
言葉が凍っているのか続きが遅い。私は急いでいるのだが。
「次の試験、手を抜いてやってもいい。聖演会で一番の部屋に来ることが、その条件だ」
「どういった意図でしょうか」
「それは、……言わせるな。俺には、もう何もない。もはや姿すら――俺の前には見せなくなってしまった」
言うまでもなく、超人姫山にまつわる怪奇な
「よくわかりませんが、試験において特別な手加減は御控え頂ければ幸いです」
「……やはり貴様の不退転の覚悟は、羨ましくもある」
冷めた目線を天井に向ける前に、私に対する的外れな認識を自己批判した方が良いだろう。私は前に進むしかない状況に
*****
翌週の放課後、私はちょうど職員室から出る所だ。今学期最後の試験答案について、採点への疑念を晴らすために個別指導にもつれ込ませていた。結果、それでもなお、得点は据え置かれた。
気分一新、とばかりに扉を開けると、その先の廊下に
「シャーリー......おそいよ。なにやってたの」
「ごきげんよう、
「......なんで?」
「自己採点と実際の得点に、差があったことが理由です」
教師の採点では、なんと満点であった。
今回ばかりは助けられたな。私自身の得点能力に。
「玄武堂様は、私に何か御用ですか?」
「......ん!」
くたっとした縫い猫が台座の男から突き出された。昨秋、この縫いぐるみ用の服を
「もしや、聖演会に向けたコスチューム作成の依頼ですか」
「シャーリーとおなじ......しっぽの服」
「私は、この制服で、参加する予定です」
「でも......おんがくは...しっぽの服でやるんだよ」
私のフルートがお遊戯会レベルだという皮肉であればよし。そうでなくとも私自身の衣装代に回るカネなど無いのだから、謎の尻尾をつかんでおく必要もない。
「せっかくの校内行事、私は制服が最適だと考えています」
「ん、わかった......せいふく...!」
「申し訳ありませんが、制服の
既製品、とりわけ当校に特徴的なデザインを扱えば、金銭の授受が厄介事になるのは明白である。無償奉仕は避けたい。
それ以前に嫌な予感もしている。前回、
「当校制服のレプリカとなると、デザインの利用許諾、材料調達に型紙作成。とても一週間では満足できません」
「やだ」
「やだ、と
膝と手をついてにじりよるクレイジーキャットにおびえ後ずさる。背に扉がつくまで退いた所で、ふいに引き戸がスライドした。
「どうしました、職員室の前で」
「岩見先生、これというのも、玄武堂様から難しいお話が」
「イワぁん......せいふく!!」
立ち上がった玄武堂が私の頭上に縫いぐるみを突き出した。尻尾が髪を撫でる。狭い隙間で振り返ると、目が合った岩見担任が薬指で眼鏡のブリッジを上げた。通訳をご所望か。
「玄武堂様は、聖演会に向けて当校制服のミニレプリカを作って欲しいとのことです」
「個人利用ならば問題ないでしょう」
「待ってください。製作費が絡むことですから、もっと慎重に」
「山中山さん、慎重に議論された制作実績があることが重要です。もちろん、事前に御二人の保護者様に相談されることは強く推奨されます」
機械人間と奇怪人間に挟まれ、離脱の機会を私は失った。
「ほら...シャーリー......ぼくの家、いこ」
「家!? 直接お家まで行かなくても…!」
岩見担任は退路を
*****
押し込まれた輸送機械に揺られて現在地は玄武堂家の別邸。両親はいないとのこと、そう語った老年の使用人は飲み物の準備に消えた。
一方、握力をもって私を自室まで引き込んだ玄武堂は、ベッドサイドに猫の縫いぐるみを置く。私はその隙をついて拘束を外し、ベッドに腰かける玄武堂から離れる。
さらにドアを半開きにして退路を確保すると、呪いの招き猫が口をきいてきた。
「せいふく......できたらごはん食べよ」
「本日はできません。今ここでは縫えませんから」
「だってシャーリー、あれ...!」
メルヘン生物は首をかしげて壁際の棚を指さす。かつて私が販売した縫いぐるみと、その横には
「採寸からお届けまで、一週間ほどお時間頂戴したと記憶しております」
「うそ......気付いたら......できてたもん」
竜宮城帰りかこの男は。昨秋の一時期、玄武堂は確かに精神的に旅立っていたとはいえ、夢物語が過ぎるだろう。
「少なくとも材料は必須ですし、ミシンも母の仕事がひと段落してからでないと」
「ざいりょう......ある...!!」
「はい? って、その制服は材料にはできません! 止まって!」
おもむろに上着をはだけさせ、下にまで手を掛けだしたのであわてて
「そのまま御着替えなされるのであれば、私はしばし退室を」
「ぼくをっ!!! 置いていかないでっ!!!」
「……ええと、置いていくも何も、ここは玄武堂様のお部屋ですよね」
予期せぬ叫びに頭を抱えたくなる。常人が置いて行かれる状況を日々作り出す
「仮にいま私が無断で帰ったとしても、事故でも起きない限りは学校でお会いする機会があります」
「だってみんな...いなくなっちゃう.......かなでも...いなくなっちゃった......学校にも...」
「姫山さんと私は互いに異なる人物ですから、切り分けて考えると安心できるかもしれません」
休んでいるらしい超人の幻影を私に重ね、脱いだ上着をぎゅっと掴む玄武堂はひどく小さく見えた。
「さみしいよ.......シャーリー、いかないで....!!」
「遅くとも本日の夕食前にはお
涙目で上擦り声をしぼり出すその姿は端的に迷惑であり、そして本日の目的を大きく外している。私はベッド脇に横たわる縫いぐるみを示しつつ話題を変えにかかった。
「それはさて置き、その子のために制服を作るのですよね。材料はお家の方に相談するとして、短期で仕上げるためには簡素化が必須です」
「ぼくのこと......きらいになってない...? みんなみたいに...置いていかない...?」
「私の所感は以前から同じです。それに別れがあったとしても、それまで過ごした時間は事実として残ります」
「すごした......じかん」
棚に飾られる前例の服や縫いぐるみが示す通り、私の
制服再現の難度が高すぎる、あるいは、頑張ってみた結果作れなかった、という
「おや、おとりこみ中でしたか?」
「いえ、飲み物までご用意して頂きありがとうございます」
「ねえ、よっしー......ざいりょうも...もってきて.......!」
「こちらに用意してございます」
「!?」
布地の入った箱と高機能ミシンが台車の下段から出てきたのには絶句した。行きの車内で経緯を知ったにしても都合が良すぎる。奇術を見ている気分の私に、老年の使用人が種を明かす。
「かねてより
「まってた......シャーリーのテスト...おわるの」
「そう、だったのです…か」
ごゆっくり、と去り行く姿を尻目に、私は考えねばならなかった。一刻も早く制服を仕上げられる
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