第19話 最新版


 どうにも寒気の続く十二月の放課後、私は職員室に足を運んだ。定期テスト作成に伴う入室制限のため、岩見担任がデスクから入口に出向いてくる。



「山中山さん、今日はどうしました」


「最近の朱雀宮すざくみや様と白虎院びゃっこいん様の行動は、私の目に余ります」


「その話ですか。私は問題無いと認識しています」



 先月の顔合わせの後、用も無いのに話しかけられる回数が顕著けんちょに増加している。特に食事や自習する私の隣席を執拗しつように確保しにやって来る、朝晩に車で迎えを寄越そうとするといった行動は、ぜひとも問題視して欲しい所だ。



「当校が認める男女間の交流を逸脱する部分があるのでは、と思われませんか」


「保護者間の同意も踏まえて、職員から批判の声は出ていません」


「同意!? 保護者間でいつそんなものが!」


「知っての通り、プライバシーに大きく踏み込む部分で教員が情報開示するケースは一部のみです。山中山さんの指摘事項はそれに該当しません」



 岩見担任は混乱する私を気にかけることもなく淡々と言葉を発する。



「私ではなく、貴方の保護者様と良く話すことを推奨します」


「……はい。師走しわすのお忙しいところすみませんでした」


「教員を頼るのは良い事です。立場上、力添えできないこともありますが、問題があればまた報告してください」



 機械的な応答にすごすごと引き下がる私。


 在宅業務で絶賛修羅場中の母を問い詰めるのは帰宅後として、辛気しんき臭い沈滞ムードで廊下を歩いて自習しに向かう。試験前のこの時期、当校図書館の環境にはやはり捨てがたい価値がある。


 悩乱したやからが隣席に座るとしても、黙って各々の学びを進めるだけなら許容すべきだ。私が座す定期テスト学年首席は、わざとがましく試験前の私に近寄る妄動へのいきどおりでは防衛できない。







*****







 さて、最近の図書館には若干ながら人気の高まりを感じている。二年近く常用している私が思うに、トルネード兄や虚仮威こけおどし眼鏡を目当てとした見物衆がいるのであろう。


 私は広い図書館を見渡し、なるべく多くの生徒の目に入る位置に陣取って学習を始めた。名誉ある四天王家の皆様方におかれましては衆目を驚かすこと無きようお願い申し上げたい。




 順調に進めている途中、ふと、私の集中を乱す声が耳元に入る。



「――さん、ねえ、山中山さん」


「…っ、申し訳ありません、集中しておりました。白虎院様」



 いつのまにやら隣には多忙な生徒会副会長が寄っていた。聖演会の準備の合間に不定期に顔は出しても、自習中に声まで出してくるのは異例だ。我に返って机から目線を上げると、知らぬ間に朱雀宮兄も対面に座っている。



 今更驚くことではないか、と思った直後、私の眼前に何かが降ってきた。



 それはデカい猫の縫いぐるみであり、持ち主の両手が私を囲うように背後へ続いていた。玄武堂げんぶどう? こんな所で何をしているのだ。


 机に張り付いた姿勢のまま当惑していると、トルネード兄がおごそかな様子で静かに口を開く。



「玄武堂君は本気だと思うかい、シャーリー」


「気付きませんでしたが、何かおっしゃられたのですか」


「シャーリーに手を出さないで……! ぼくの愛人だから……!!」



 何だ、これは。



 恥も外聞も突拍子もない彼のあまりに血迷った逸脱発言は、誰がどう聞いても錯乱を極めているとしか言いようがなく、怒りを通り越して恐怖さえ覚える。



「何もわかりません。とにかく、御覧ごらんの通り私は学習中です。まずこの腕をどけて頂けますか、玄武堂様」


「だって、シャーリーが取られちゃう」


「玄武堂様の思い込みです、確実に。正しいのは私です」



 化け猫の呪縛からどうにか解放される。背中をつたう脂汗は室内の暖房のせいではあるまい。



「皆様、お話をされたいのなら外へ、そうでないなら図書館を正規に利用されると良いと思います。私は自分の学習に戻ります」


「――そうだな、シャーリーの言う通りだ。僕も受験勉強に戻るとしよう」


「みんないるなら......ぼくも勉強がんばる」


「頑張るって、教材持っていないじゃないか。借りてくれば?」


「シャーリーのとなりから......見えるよ」



 私を中心とした凸陣形が組まれても、それでもこの時期では、当校図書館の自習環境は手放し難いのだ。


 教室への居残りが制限され、自宅へ帰れば家庭内アルバイトを押し付けられるこの時期。無料で利用可能な近隣施設は、私の知る限りでは公園のみ。さすがに当校図書館に軍配が上がる。

 


 しかし、ここは息が詰まる。よもや館内の換気のせいではあるまい。







*****







 偏執へんしつ生物達と別れて校舎裏に停めてある自転車に急ぐ途中、建物の角で何者かと衝突した。まさかこんな所に人がいるとは。



「も、申し訳ありません。御怪我おけがは……、姫山さん?」


「……っ!」



 果たして超人は、両目を片腕で隠すように走り抜けていった。泣いていたようだったが、嫌がらせでも受けたのだろうか。


 私の経験では、下流育ちの生徒に歪んだ卑賤視ひせんしをぶつけてくる弱心人間は珍しい部類に入るものの、偏見と先入観で短絡した珍獣が未開の知恵を誇示してくる懸念はゼロではない。


 つい先ほども新種を含む三体が図書館に出現し、脳内の危険生物リストが更新された所だ。と、涙よりも苛立いらだちがこぼれ出す私の目に映ったのは、立ち尽くす一人の男子生徒だった。



 青龍寺せいりゅうじ、少しは場所を選んだらどうだ。



「……山中山、か。そこに居たのか」


「いえ、自転車を取りに今来たばかりです」



 盗み聞きを疑われても仕方のないタイミングにもかかわらず、特に詰めてくる素振りは見られない。弱体化の著しさをありがたく無視して愛車のカゴにかばんを放り込む。



「それではごきげんよう、青龍寺様」


「――貴様も、俺が間違っていたと思うか」


「申し訳ありませんが、お話は定期テストの後にして頂けませんか。来年度の特待等級に影響するため、集中したいのです。どうしても困っているのであれば、先生方にご相談されてはいかがでしょう」



 教職員相手も嫌なら、中庭の鯉などにでも存分に語ると良い。私は超人が涙する事情に気を揉むほどの余力はなく、そもそも聴く能力もない。



「話を聞きすら、しないのか」


「御手をわずらわせないことで一助になれればと存じます」



 自転車を押して手早く通り過ぎた私の足が数歩で止まる。どうやら荷台に手が掛かっているようだ。この期におよんでまだ嫌がらせを続けるのか。



「青龍寺様。私はお話を聞くことでの精神的混乱を避け、学業に集中したいと申し上げました」


「そうだ、何かを達成するためには何かを犠牲にしなくてはならない。希望を掴むためには拳を握らねばならならない。だが山中山」



 青龍寺は自らの情動を凍らせるかのように語り続ける。



「その握りしめた望みが大切なものを傷つけるなら――、達成のための犠牲の中にこそ、真に求めていたものがあったとしたのなら――。それまでの努力はつゆと消え、あの時違う道を選んでいればと、貴様は後悔することになる」


「そういうこともあるでしょう」


「山中山。この学校に入学し、通い続けて何を得る。そのために犠牲にしたものは、取り返しのつかないものは、犠牲にして良いものだったか」



 冬の風が強く吹き抜け、両耳に小さな痛みが走った。



「ご質問の意図はさておき、この高校生活に後悔があるかどうか。道半みちなかばではわかりませんが、卒業後に思うことはあるかもしれません」



 限りある時間を学習につぎ込んで得られたのが寒空の怪話かいわとなれば、後悔の一つや二つ残るのは順当な予想だ。当校に入学しなければ、また別の生活があっただろう、と。



「しかし、私の場合は原因と結果を逆に考えます」


「逆、だと?」


「現在の諸問題により精神状態が悪化し、結果として戻れない過去に執着してしまう。そのように思い込みます」



 まさか入学前からやり直すわけにはいかないから、現在の問題をとにかく何か一つでも解決し、気分を高めることで後悔が消えると期待する。素朴そぼくな例では図書館で問題集を進めるなどでもよい。



「過去の誤りが原因で現在苦しんでいるという『真実』を直視する限り、解決不能という答えからは逃れられません。解決手段もなく今ここで苦しんでいるのに、心だけが過去にある。この分離は、非常に辛い状態だと思います」



 私はこれを『過誤かごの鳥』状態と呼んでいる。そして時に因果を欠く暴論こそがかごを破壊し明日へ羽撃はばたく勢いを生むのだ。あるいは、力尽きて失墜するとしても。


 さて、禅問答への返事はこれで十分だろう。私のやり口のひとつを押し付けるつもりもないので、泣きながら去っていった姫山に負った後悔があれば自分なりに対処してくれ。


 改めて自転車を押すこと数歩、車輪の音を斬り消す声の氷刃が両耳をついた。



「…………貴様にっ、 貴様に何が分かる!!」


「わ、わ、わかりかねます。ここはやはり、信頼できる大人の方に相談されるのが良いかと」


「貴様に、何が……! 何が……」



 私は振り返らずただ前へと、後ろを決して振り返ることなく、さらに前へと自転車を押し続ける。彼の心境に私が寄りう必要はない。


 まったく、あの剣幕を直視すれば涙の一つや二つこぼれるというものだな。次々と押し寄せる寒波に震える身体をふるい立たせながら、私は脳内の危険生物リストにる氷魔人のらんを更新し、最新版とした。







*****







 帰宅後の取り調べにより、おびえる事実が確かめられた。



 朱雀宮、白虎院、玄武堂、青龍寺のそれぞれと当家の保護者間で、婚約者候補に関する何らかの合意が成されているらしい。大の大人がそろいもそろって幻覚剤を盛られでもしたのか。


 私の保護者様に至っては、詳細の把握すらせずに言われるまま了承したとのこと。その忘我のていたらく、仕事納期の切迫と大事話おおごとばなしの迫力が織り成した精神状態を、母は火山の身ぶりでチュドーンと形容していた。


 天王山たる期末試験を思うと私の心象にも噴煙がたちこめるようだ。現実の窓の外は凍える冬霧で展望がひらけない。私は胸をく暗い炎を松明がわりに、学業への集中を改めて誓った。







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